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日蓮大聖人・池田大作

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是故如来。以方便説。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

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5  御本尊に巡りあえたのは不思議なる縁
 私たちが御本尊に巡りあえたことは、御本仏に巡りあえたのと同じであり、不思議なる縁によるものなのです。大聖人は仰せです。
 「夫れ人身をうくる事はまれなるなり、已にまれなる人身をうけたり又あひがたきは仏法・是も又あへり、同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる結句題目の行者となれり、まことにまことに過去十万億の諸仏を供養する者なり」と。
 御本尊に巡りあうことができた私どもは、もはや薄徳の人ではありません。すでに過去に無量の仏に出会った大福徳の人であると、御本仏が御断言なのです。
 何と不思議なる、私どもの人生でしょうか。使命でしょうか。このことを教えてくださるために、大聖人は、一人の偉大なる「人間」として、大闘争の御生涯と、荘厳な御入滅の姿を示されたのです。その御振る舞いは、すべて民衆を導くためのものであり、「皆実不虚」(皆な実にして虚しからず)なのです。また、そ
 のことを証明していくのが、創価学会の信心です。
 戸田先生も、「これからのわずか二、三十年あるいは四、五十年の短い生活のあいだを、何百万年、何千万年にも一度おあいしがたい大御本尊に、お目にかかれた喜びで暮らしていけることを感謝し、誇りをもっていきたいと思うのであります」(『戸田城聖全集』5)と述べられている。
 私たちは、この奇しき「仏縁」を深め、「仏勅」を果たしゆく地涌の勇者の生涯を、堂々と歩んでいこうではありませんか。

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