Nichiren・Ikeda
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然今非実滅度。而便唱言。‥‥
講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)
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7 すばらしき生を実感するための死
ところで、この入滅(死)ということを、われわれ自身に展開するならば、死は、生のすばらしさを実感し、充実した人生を歩むための「方便」と言えます。
戸田先生は、この経文について、こう講義されました。
「死なないということくらい、恐いことはないのであります。衆生も人間だけならまだいいのでありますが、みんな死なないのでありますから大変であります。
猫も犬もネズミもタコもみんな死なない。これは困ったものであります。みんな死なないとしたら、どうなるか。叩かれでも、殺されても、電車にひかれでも、飯を食べなくても死なない。世の中は大変なことになります」
「このように人間は死ななくても困ります。また死ぬ時がわかっているのも困ります。もし三日しか生命がないとしたら、講義の本なんか読んでいられません。
ですから、人間はかならず死ななければならないものであって、死ぬ年月がわからないようにできているところに、世の中の面白さがあるのであります。これが妙なのであります。なればこそ、御本尊を拝むようにもなるのであります。じつに生命というものは面白いものであります」(『戸田城聖全集』5)と。
「生死」に対する、先生の偉大な達観が明かされています。
死があるから、生のありがたさが実感できる。生きる醍醐味が味わえる──これは、まさに人生の″奥義″です。
いたずらに死を恐れるあまり、病気や事故などに遭うとすぐに沈み込んだり、やけを起こしてしまうのは愚かです。しかしまた、″命知らず″とか″死など全然こわくない″というのも、私は信じません。それはたんなる蛮勇にすぎないからです。
最もこわいものは、″心の死″です。よりよく生きようとする心を失うことです。″アメリカの良心″といわれたノーマン・カズンズ氏は、いくつもの難病を克服した経験から、結論しています。″人間の最大の悲劇は死ではない。生きながらの死である″と。(本全集第14巻収録)
死は、誰人も避けられない。だからこそ、「瞬間瞬間を全力で生きよう」「人間らしく、自分らしく″今″を輝いていこう」と決める時、人間は、計り知れない力を出せる。また、そこから他者へのいたわりの心も持てるのです。ここに、生命の″妙″がある。″中道″がある。仏法は、この凝縮した生き方を教えた哲理なのです。