Nichiren・Ikeda
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諸善男子。於是中間。‥‥
講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)
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8 さらに、戸田先生は、次のようにも講義された。
──大聖人が、入滅に先立たれて、末法の私たちのために御本尊を残された。生きていらっしゃる時には日蓮大聖人と仰せられ、亡くなられては一閣浮提総与の大御本尊と仰せられる。これが「名字の不同」であり、「年紀の大小」である。仏の正体である──と。
言うまでもなく、大聖人の仏法は、末法万年の大法です。未来永遠にわたって全人類を照らす光源です。「年紀」は無限です。
また、「種種の方便を以て、微妙の法を説いて、能く衆生をして歓喜の心を発さしめき」とは、妙法蓮華経を説き、御本尊の力によって、大歓喜をわかせることにほかなりません。真剣に妙法を受持して、不幸になることなど、断じてありません。絶対にない。
戸田先生は、御本尊を拝んで大歓喜がわかなくては真の信心とは言えない、とまで言われました。
歓喜があれば、功徳の大輪は、ますます大きくなる。
しかし、「こればかりは『それ、歓喜、歓喜』などと言っているだけでは、歓喜は出てこない。勤行で足がしびれて、『まだ終わらないか、ああ、歓喜、歓喜』──それでは歓喜になりません」とも語られていました。
勇んで為すのが信心です。真剣に戦っていればこそ心が弾む。仏法に悲壮感はありません。″正義は楽し″です。にぎやかにして楽しく、明るく信念の道を進んでまいりたい。