Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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舎利弗。如来知見。‥‥  

講義「方便品・寿量品」(池田大作全集第35巻)

前後
11  悟り、智慧とは御本尊への大確信
 方便品の文では、続けて、仏が「禅定」「解脱」「三昧」を具えており、悟りの境地に深く入り、いまだかつてない大法を体得したことが説かれている。このような確固不動の境地にあるからこそ、仏は、縦横自在に民衆の中で法を説き続けることができたのです。
 座して眠想するだけの仏はいない。民衆のために悩み、行動し、人々の悩みを解決してこそ仏なのです。その意味で、皆さま方が、広布途上のさまざまな問題で悩み、そのために祈っている姿こそ尊いのです。日々、友のため、広宣流布のため、人材育成のために悩んでおられる。悩むのが菩薩です。悩んでこそ仏の境涯になれるのです。また、広布に挑戦する姿自体が、すでに仏の振る舞いに通じているのです。
 前に述べたように、この経文に示されている「仏の智慧」「仏の力」は、御本尊の境涯であり、御本尊を受持する私たちも、この境涯になることができる。また、「禅定」「解脱」「三昧」等が、現代で言えば、勤行・唱題に含まれることも、すでに述べたとおりです。
 すなわち、私たちが、広布のために真剣に悩んだ分だけ、御本尊にぶつかった分だけ、こうした諸仏の智慧が、力が全身にみなぎってくる。そうなってこそ、この経文を身で読んだことに通じるのです。
 悟りの境地といっても、かつてない智慧といっても、具体的には「御本尊への大確信」のことにほかなりません。

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