Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第四章 一念の転換 胸中の変革を忘れれば一切が「無量の苦行」に

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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9  三代会長の心、創価の挑戦
 「一人一人の己心に法あり」とする宗教は、一人の人を大切にする。一人一人に働きかけ、一人一人の人間革命を促して、万人を救っていこうとします。それが、大聖人が仰せの「地涌の義」であり、広宣流布の変わらぬ方程式です。(「諸法実相抄」御書1360㌻)
 これこそが、牧口先生、戸田先生、そして私と、三代の会長が貫いてきた創価学会の生き方です。それゆえに学会は大きく発展し、広宣流布は全世界に広がりました。
 これに対して、「己心の外に法あり」とする宗教は、権威主義的な宗教や形式的な宗教であったり、民衆を蔑ろにし抑圧していく傾向を持っている。ややもすれば、儀式とか聖職者の権威などを強調し、信徒も、儀式や聖職者にすがることによって不安を紛らわそうとする。
 特に、人間にとって最大の不安は、死であり、死後である。それゆえに、権威主義的宗教や形式的宗教は、葬式仏教のようになっていくのです。それは一人一人がよりよく、より強く生きていくための宗教ではない。
 牧口先生は、仏法は「生活変革の法」であると訴えられました。「妙法蓮華経は我が己心にあり」と信じることは”私は必ず幸せになれる””私は必ず一生成仏できる”と確信することです。そして”自分も友も幸せになれる。だから友に語っていこう”と、広宣流布の戦いに打って出る信心です。そのまことの信心を創価学会・SGIは貫いてきたのです。
 この難事を戦いぬいてきたことに、創価学会の偉大さがあり三代の師弟の不二の心があります。
 「”我、妙法蓮華経なり”と決めよ」と、戸田先生は言われた。
 「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。
 私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、”いかなる苦難も乗り越えていける””断じて幸福を勝ち取っていくことができる”との大確信で、すべてに向かって勇敢に挑戦していくことです。
 「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。
 「逃げる臆病」ではなくて「挑戦する勇気」――これが大事です。
 どのような障魔が競い起こっても、一歩も退かない。驚かない。何事にも打ち勝っていけるのが、妙法蓮華経です。それを深く確信することが大事なのです。
 逆に、苦難に怯えて環境を嘆いたり、恨んだりすれば、「己心の外に法あり」という生き方になってしまう。
 自分が勝つという確信が失せて、誰かが助けてくれるだろうと人頼みをしたり、他人のせいだとかグチを言ったり、仕方がないとか諦めたりするのも、「己心の外に法あり」の生き方です。
 どのような苦難があろうと、魔を魔と鋭く見破って、逃げずに戦っていく、それが題目をあげて妙法に生きゆく人の生き方です。「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」と仰せのように、臆病を排し、勇気を第一に生きていくことです。
 勇気ある信心の人は、臆病・無明・迷いの暗雲が破れ、妙法の太陽が輝き、妙法蓮華の花が生命に咲くのです。
 戸田先生は、草創の女子部にこう指導されました。
 「もったいなくも、御本仏と同じ生命を持っている自分自身に誇りをもちなさい。気高い心で、人生を勝ちぬくことです。自分自身を卑しめていくことは、絶対にあってはならない」
 日蓮大聖人の仏法は、自分の中に偉大なる仏の生命があると自覚するところから出発する。ゆえに、最大の「一念の転換」をもたらす信仰なのです。ゆえに大聖人は「心」を強調されているのです。
 「仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり
 私たちの実践は、朝晩の勤行はもとより、あらゆる活動が、すべて「我が一念に納めたる功徳善根」である。その深き心で前進する人が、一生成仏の直道を歩む真正の勝利者となるのです。
 どこまでも「心こそ大切」の大哲学を掲げ、栄光と勝利の人生を歩んでいきましょう。

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