Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 唱題の意義 仏法正統の実践で生命究極の勝利へ

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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10  ”我が身即日蓮大聖人”
 私たちが唱える南無妙法蓮華経の本義について、さらに忘れてならないことは、南無妙法蓮華経とは、日蓮大聖人の御本仏の御生命の名前でもあるということです。
 南無妙法蓮華経といっても、日蓮大聖人の御本仏としての御生命を離れて存在するものではありません。宇宙と生命を貫く根源の妙法蓮華経の真理は、日蓮大聖人が実践され、日蓮大聖人の御振る舞いのなかに現れることによって、初めて確立されたと言えます。それまで人々が観じるkおとのできなかった「法」が、現実に示されていったからです。
 日蓮大聖人の御本仏の生命とは、悪と戦い、無明を破る生命にほかなりません。この地上の一切の不幸と悲惨、宿命と四苦から人間を解放する闘争は、その悪をもたらす根源の無明と戦うことに尽きます。
 日蓮大聖人が広宣流布のために唱えられた自行化他の南無妙法蓮華経の題目には、「無明の雲晴れて」と仰せのごとく、無明を払う力があります。
 南無妙法蓮華経と唱えれば、胸中に仏界の太陽が昇ります。厚い雲のように太陽を覆い隠していた無明が晴れていくのです。胸中に仏界の太陽が昇れば、無明の闇は去っていきます。
 日蓮仏法は、大聖人御一人が太陽であるという宗教ではありません。大聖人御自身が胸中に太陽を昇らせたように、私たちの胸中に太陽を昇らせるための宗教です。もったいないことですが、わが身に日蓮大聖人と同じ仏の太陽の生命が昇るのです。
 このことは、日寛上人が「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊蓮祖聖人なり」(「観心本尊抄文段」)と仰せの通りです。まさに、唱題行は、民衆一人一人が太陽になることを教えた最高の成仏への道程なのです。
 プーシキンは歌いました。
 「偽りの知恵は、
 不滅の知性という太陽の
 前に揺らぎ、くすぶる。
 太陽よ、万歳!
 闇よ、消えよ!」(А.С.Пушкин:Собрание сочинений,том2,Художественная*литература)
 日蓮仏法は、生命究極の勝利への道を全人類に開いた太陽の仏法です。我らこそは、「太陽万歳」と高らかに謳いながら、人々の胸中の闇を晴らす戦いに、勇躍、邁進していこうではありませんか。

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