Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十三章 なぜ大難に遭うのか 根源悪「謗法」と戦う法華経の行者

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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11  「戦う人間の魂」を創る日蓮仏法
 「法華経の行者であるのなら諸天善神の守護がないのはなにゆえか」、また「迫害者に現罰がないのはなにゆえか」という人々の疑いは、諸天善神の加護を、ただ待ち焦がれ、頼みにするような信仰が前提となった疑問です。
 これに対して大聖人は、一応、道理をもって答えられつつも、法味を失って去った諸天善神をも蘇生させていく「宿命転換」「立正安国」の妙法を宣言されます。
 その御文が「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」で始まる「大誓願」の一節なのです。
 ここに示される末法の主師親としての日蓮大聖人の御境地に照らせば、大聖人の仏法は、諸天の加護がないことを嘆くような宗教ではない。現実に立正安国の実践をすることによって、国土全体に諸天善神の力強い働きを再び起こし、理想郷の実現を目指す仏法であると拝することができます。
 私の胸中には大聖人の大音声が響いてきます。
 今、戦わずしていつ戦うのか。わが門下よ、勇気をもって立ち上がれ!
 師子王の心を取り出して戦えば、いかなる罪障も消滅し、宿命転換することができる!
 我らを迫害する一闡提をも救い、人類の無明を断ち切っていくのだ!
 そして、立正安国を実現し、平和の楽土を築いていくのだ!
 「戦う人間の魂」を創るのが、大聖人の仏法であり、「開目抄」の真髄ともいえます。
 したがって、本質的な意味で、諸天の加護の有無、法華経の行者に対する大難への疑難を乗り越えていくには、「大願」「誓願」に立ち、不惜身命・死身弘法で自ら法華弘通に生きぬく以外にはない。「開目抄」は、「誓願」を持ち、「法」に生きぬく真の宗教のあり方、真の人間の生き方に万人が目覚めてゆく「開目」の本義を示されているのです。

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