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日蓮大聖人・池田大作

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第九章 六難九易 浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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2  通解
 一滴の水をなめて大海の塩味を知り、一輪の花を見て春の訪れを察しなさい。万里を渡って宋の国に行かなくても、三年をかけて霊鷺山まで行き着かなくても、竜樹のように竜宮に行かなくても、無著菩薩のように弥勅菩薩に会わなくても、法華経の二処三会に連ならなくても、釈尊一代の経の勝劣を知ることはできるのである。
 蛇は七日以内に洪水が起こることを知る。竜の眷属だからである。烏は年内の吉凶を知る。過去世で陰陽師だったからである。鳥は飛ぶことにおいて人よりすぐれている。
 日蓮は、諸経の勝劣を知ることにおいて、華厳宗の澄観、三論宗の嘉祥、法相宗の慈恩、真言宗の弘法よりすぐれている。天台、伝教の業績に思いをはせるからである。澄観らは、天台・伝教に帰伏しなかったならば、謗法の罪を免れ得たであろうか。(御書190㌻、216㌻等で、諸宗の元祖は天台・伝教から学んで法華経を尊崇していたので、表面的には敵対していたが、実質上は天台・伝教に帰伏していたと示されている)
 今の世において、日本国で第一に富める者は日蓮である命は法華経に奉り、名は後世にとどめるのである。大海の主となれば、河の神たちは皆したがう。須弥山の王に山の神たちがしたがわないわけがあろうか。法華経の六難九易をきわめれば、一切経は読まなくとも日蓮にしたがってくるのである。
3  講義
 「開目抄」では、日蓮大聖人こそが「末法の法華経の行者」であることを、法華経の経文に照らして証明されていきます。
 そのために大聖人は、法華経見宝塔品第十一の「三箇の勅宣(諌勅)」、提婆達多品第十二の「二箇の諌暁」、勧持品第十三の二十行の備に説かれる「三類の強敵」を順次、考察されています。
4  仏意・仏勅を受けて起こす法戦
 宝塔品の「三箇の勅宣」とは、釈尊が法華経の会座に参集した菩薩たちに対して、釈尊滅後に法華経を弘通していくべきことを三つの観点から示し、三回にわたって滅後弘通を勧めたことを言います。これについては、後で詳しく論じたいと思います。
 さらに、提婆達多品の「二箇の諌暁」とは、「悪人成仏」と「女人成仏」の二つの法門を説いたことを指しています。この二つを説いたことで、釈尊滅後において成仏の法である法華経を弘めて、悪世に生きるすべての人々を救済していくべきであることが明確にされたのです。
 大聖人は、以上の「三箇の勅宣」と「二箇の諌暁」を合わせて「五箇の鳳詔ごこのほうしょう」と呼ばれています。「鳳詔」とは、もともと”王の言葉””王の命令”の意ですが、ここで大聖人は、”仏の意を示した言葉””仏の命令”の意で用いられています。末法悪世の法華経弘通は「仏意」であり、「仏勅」なのです。
 この仏意・仏勅を受けて、勧持品では、法華経の会座に集った八十万億那由佗の菩薩が滅後の法華経弘通を誓います。周知の通り、この誓いの言葉の中で「三類の強敵」が説かれる。すなわち、菩薩たちは、「三類の強敵」による大迫害があっても、滅後の弘通に邁進することを誓います。
 大聖人は、これらの経文に照らして、御自身こそが末法の法華経の行者であられることを証明されていきます。
 これらの経文によって、謗法が渦巻く末法においては、謗法の悪と戦ってこそ法華経の行者と言えることが明らかになっていきます。すなわち、法華経に説かれる仏意・仏勅を受け、大難を覚悟で法華経弘通に立ち上がり、戦いぬく人こそが法華経の行者なのです。
 このことを「如説修行抄」では次のように簡潔に示されています。
 「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し(後略)」
 ――このような悪世末法の時に、日蓮は仏勅を受けてこの国土に生まれたのである。これは時の不運とも言うべきであろうが、法の王である仏の命令に背くことはできないので、経文に説かれている通りに、権実二教の戦を起こしたのである――。
5  「時の不祥」と言われているのは、当然、悪い時代に生まれた不運を嘆かれているわけではありません。むしろ、時代の悪と戦う覚悟を示されているのです。
 諸天善神の加護もなく大難を受けている大聖人は、法華経の行者でないのではないか――これが、当時の世間の人々や門下から大聖人に対してなされた疑難でした。これに対して、大難を覚悟のうえで自ら「権実二教のいくさ」を起こすのが、法華経に説かれる通りの法華経の行者である、と大聖人は答えられているのです。
 受け身の苦難ではない。仏意を受けて自ら起こした戦いである。この生き方こそ、大聖人が「開目抄」で門下に教えてくださっている要諦です。
 学会は、まさしく仏意・仏勅の広宣流布のために覚悟の戦いを起こした団体です。この戦いに連なる人は仏意に生きることになる。如来行を行ずることになるのです。ゆえに、学会員には仏が悟った妙法の無限の功徳が現れるのです。
6  宝塔品の三箇の勅宣
 前述したように、大聖人は、本抄で、宝塔品の「三箇の勅宣」を引用されています。(御書217㌻)
 第一の勅宣は、釈尊が、滅後の裟婆世界において法華経を弘める者に対して「付嘱」をすることを宣言したうえで、菩薩たちに滅後弘通の誓いの言葉を述べるように呼びかけます。つまり、釈尊がか”付嘱の意”を明らかにして滅後弘通を勧めているのです。
 宝塔品から始まる虚空会の儀式の全体は、まさに地涌の菩薩に法華弘通の使命を託すための儀式なのです。
 第二の勅宣は、十方の諸仏、すなわち全宇宙のすべての仏が裟婆世界の法華経の会座に集ってきた目的は、裟婆世界における「令法久住」にあることを示し、滅後弘通の誓いの言葉を述べるように呼びかけます。
 つまり、裟婆世界の令法久住は”全宇宙の仏が持つ仏意”であり、それほど重要なことなのです。それは、もし裟婆世界の衆生が成仏できないとすれば、万人の成仏を可能にする法を悟り、弘める仏の戦いが成就しないことになるからです。
 第三の勅宣は、「六難九易」を説き、滅後の弘通が難事中の難事であることを示したうえで、大願を起こして滅後弘通の誓いの言葉を述べよ、と菩薩たちに命ずるものです。
7  仏自身が立てた教判
 大聖人は、この「三箇の勅宣」のうち、第三の「六難九易」について最も詳しく言及され、諸経が減後に弘めるべき六難」に入る教えなのか、「九易」に属する低い教えなのかを立て分ける「教判」として考察されています。
 すなわち、釈尊が六難九易を説いて、菩薩たちに法華経の滅後弘通を勧めたのは、法華経が滅後悪世の衆生をも救うことができる最も勝れた教えだからです。
 「開目抄」前半に述べられているように、法華経寿量品の文底に凡夫成仏の要法である真の十界互具・一念三千の法門が秘沈されています。このゆえに、法華経は最も勝れた経典なのです。
 伝教大師は『法華秀句』で、六難九易の意義について「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」(『伝教大師全集』3)と述べています。
 すなわち、釈尊が六難九易を説いたのは、浅い教えを弘めるのは易しく、深い教えを弘めるのは難しいことを教えたのです。そこには、法華経は深く、諸経は浅いという釈尊自身による教えの浅深の判定、すなわち教判があります。このことを伝教大師は「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり」と言っているのです。
 法華経以外の諸経は、仏が九界の衆生の意に合わせて説いた随他意の経であるがゆえに易信易解であり、法華経は、仏が自身の仏界を説く随自意の経であるがゆえに難信難解なのです。
 伝教大師はさらに「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」と述べています。この一節が重要です。釈尊が六難九易を説いて滅後弘通を勧めたのは、「浅い教えを去って、深い法華経を弘めよ」という仏意を示しているのです。
 「丈夫」とは、「調御丈夫」すなわち仏のことであり、「丈夫の心」とは「仏の心」「仏意」のことです。滅後の弘教においては、易信易解の浅き教えを捨てて、難信難解の深き法華経につくべきであるというのが仏意なのです。
 すなわち、法華経第一こそ仏自身が立てた教判であり、釈尊滅後にはこの仏の教判に従い、諸経を去って第一の法華経を受持し、弘めるのが、仏意を体した菩薩の実践であるべきなのです。
8  所対を知らない諸宗の教判
 大聖人が「三箇の勅宣」の経文を引用した後、「此の経文の心は眼前なり」と仰せのように、「三箇の勅宣」に仏意は明々白々です。それは、青空に太陽が赫々と輝くことに似て、誰が見ても間違うものではない。しかし、執着する心、ゆがんだ心を持った人には太陽が見えない。目隠しをして空を見るようなものです。
 そこで大聖人は、代表的な教判を立てた華厳、法相、三論、真言の「四宗の元祖」たちが、いかにゆがんだ眼で法華経を見ていたかを明らかにされている。
 諸宗の元祖たちが、なぜ、誤った教判を立てるのか。大聖人は、それは所対すなわち比較対象を知らないためであると指摘されています。
 すなわち、諸宗がそれぞれ依経とする経典で自経が最高の教えであると説いているからといって、直ちに一切経すべての中で最勝とは言えない。なぜならば、それらはすべて、ある限定された範囲で、その経が最高であると言っているにすぎないからです。
 それに対して、法華経は、法師品に「己今当」と説かれているように、釈尊が説いたあらゆる経典の中で最勝の教えであるとされている。
 「己今当」とは、己に説き、今説き、未来に当に説くであろう一切の経典を指し、その中で法華経が最も難信難解であると、法師品で明確に説いていることを言います。(法華経362㌻)
 このように一切経に対して最高に難信難解であり、最も深き法である法華経であればこそ、六難九易が説かれるのです。
 このことを見失い、それぞれの経典で最勝と説いている部分を各宗は依処として、結果的に仏の本意に背く体系を残した。
 まして、その諸宗の末裔の僧たちは、諸経の勝劣に惑い、理に迷っている。そうした癡かさに対して、大聖人は「教の浅深をしらざれば理の浅深をわきまうものなし」と痛烈に破折されています。
 すなわち、仏が自ら判定した「六難九易」「己今当」に暗く、教の浅深が分からなければ、教に含まれている法理の浅深に迷うのは当然とも言えます。
9  「当世・日本国に第一に富める者」
 反対に言えば、”六難九易を知ることで、教の浅深を知り、理の浅深を弁えること”ができる。それが日蓮大聖人のお立場です。
 したがって、大聖人は、御自身が諸経の勝劣を知ることは、華厳の澄観、三論の嘉祥、法相の慈恩、真言の弘法よりはるかに勝れていると仰せです。
 六難九易を弁え、教の浅深が分かるということは、「六難」で示された法華経の受持・弘通に生きることです。実践なき教判など、観念の遊戯です。そして、大聖人は、法華経の心のままに不惜身命で戦うがゆえに名は後代にとどめるであろうと断言され、その大境涯から「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」と仰せです。
 最勝の経である法華経を身で読む以上の精神的”富”はありません。
 日蓮大聖人の仏法を実践する創価学会員もまた、この大境涯に連なっていくのです。
 ここで、あらためて特筆すべきことは、日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられている境遇にあって、このように”日本国で一番の富者”であると仰せられていることです。
 「流人なれども身心共にうれしく候なり
 「流人なれども喜悦はかりなし
 まさに、いかなる権力も、いかなる大難も、日蓮大聖人の大生命を抑えつけることなど絶対にできない。また、どんな地獄のような境遇であっても、仏の生命から見れば何も束縛するものとはならない、ということです。
 それを実現する要諦が「命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし」とあるように、不惜身命の実践です。法華経に帰依することで胸中の妙法蓮華経が開かれ、自身の生命に開花するのです。この六難九易を身で読む生き方を、大聖人は「大海の主」「須弥山の王」に譬えられています。
 つまり、「大海の主」に諸の河神が従うように、「須弥山の王」に諸の山神が従うように、六難九易を身で読んだ者は仏法の王者である。一切経の根源である寿量文底の妙法を体現し、南無妙法蓮華経として弘めるゆえに、仏教の究極を極める存在となるのです。
10  深きに就く「勇者の心」
 「深きに就く」とは、何よりも自分自身が主体者として、勇敢に広宣流布に立ち上がる戦いです。
 現代において、この最も困難な戦いを貫いてきたのが、創価学会・SGI(創価学会インタナショナル)です。草創期以来、同志の皆さまは、悪口を言われ、批判され、中傷されながら、それでもこの人を救いたい、あの友に信心を教えたい、幸せになってほしいと、勇気を奮って信心の偉大さ、学会の正しさを語ってこられました。
 自分さえよければいい、他人のことはどうでもいいというエゴと無慈悲の時代のなかで、友の幸せを祈り、また地域・社会の繁栄を願い、ひたぶるに広宣流布に走ってこられました。
 まさに「六難」にある「悪世に法華経を説く」「一人のために法華経を説く」「少しでも法華経の意義を問う」という勇気と信念と求道の尊い行動を、来る日も、来る日も、実践してこられたのです。
 このように広宣流布に戦う「勇者の心」こそが、そのまま「丈夫の心」であり、「仏の心」となっていく。「仏の心」に通ずる尊き同志の皆さまの戦いがあればこそ、創価学会によって、未曾有の世界広宣流布の時代が開かれたのです。
 人間の生き方として拝すれば、「浅き」とは惰性であり、安逸であり、臆病です。この惰弱な心を勇敢に打ち破って、「深き信念」と「深き人間の偉大さ」につくのが「丈夫の心」です。
 「浅きに就くか」「深きに就くか」――。この生命の攻防戦は、自分自身の心においても一日のなかに何度もあることでしょう。
 人生も戦いです。弱い心に打ち勝ち、信心を根本として、「少しでも成長しよう!」「もう一歩、前進しよう!」「必ず勝利しよう!」と、勇敢に立ち上がっていく。この「深い生き方」を貫いてこそ、真の人生の勝利者になっていける。そのための私どもの日々の信心であり、学会活動なのです。

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