Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第七章 法華経の行者 忍難と慈悲に勝れたる正法の実践者

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

前後
1  御文(
 夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう、在世猶をしかり乃至像末辺土をや、山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし、(中略)今末法の始め二百余年なり況滅度後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに非理を前として濁世のしるしに召し合せられずして流罪乃至寿にも・をよばんと・するなり
2  通解
 子どもに灸を据えれば必ず母を憎む。重病の人に良薬を与えれば決まって口に苦いと不平を言う。そのように釈尊の在世でさえ、なお怨嫉が多かった。まして像法・末法において、また辺地においてはなおさらのことである。山に山を連ね、波に波を重ねるように、難に難を加え、非に非を増すであろう。
 (中略)今は末法が始まって二百年余りになる。「況滅度後」の世の前兆であり、闘諍の世の始まりであるがゆえに、理不尽なことがまかり通り、濁った世である証拠に、日蓮には正邪を決する場も与えられず、むしろ流罪になり、命まで奪われようとしている。
3  御文
 されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
4  通解
 したがって、法華経を理解する日蓮の知恵は、天台や伝教の千万分の一にも及ばないけれども、難を忍び慈悲がすぐれていることには、誰もが恐れさえ抱くであろう。
5  御文
 経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし、此れも又かくのごとし当時の責はたうべくも・なけれども未来の悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり
6  通解
 経文の予言に、わが身がまったく合致している。ゆえに、難を被れば、いよいよ喜びを増すのであるたとえば、小乗経の菩薩でまだ三惑を断じ尽くしていない者が、「願兼於業」といって、つくりたくない罪ではあるけれども、父母などが地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、型を取るように同じ業をつくり、自ら願って地獄に堕ちて苦しみ、そして父母たちの苦しみに代われることを喜びとするようなものである。日蓮もまたこの通りである。現在受けている迫害は耐えることができないほどであるが、未来に悪道から脱すると思うと喜びである。
7  講義
 日蓮大聖人は立宗の時に、大難を予見されつつ、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」との深き誓願を立てられ、「法華経の行者」として立ち上がられました。このことは、前章で詳しく拝察しました。
 立宗後の闘争は、大聖人が予見されたごとく、また、経文に説かれるごとく、難また難の連続でありました。大聖人はこう仰せです。
 「既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり
8  激しく執助な迫害は怨嫉から起こる
 「大事の難・四度」――大聖人御自身に危害が及び、命も危うく、大聖人の教団そのものの存続も危ぶまれる大難が、立宗から二十年ほどで、四度もありました。言うまでもなく、松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そして、この竜の口の法難・佐渡流罪です。
 竜の口の法難・佐渡流罪は、権力の手による最大規模の大難であり、大聖人御自身が処刑の座に臨まれた。さらに弟子・檀那も謀反人のように扱われ、たまたま大聖人の法門を聴聞しただけの人々も重罪に処せられるという徹底ぶりでした。
 これらの大難は、大聖人を亡き者にしようとし、大聖人一門の壊滅を図る迫害者たちの「邪悪な意図」と「残酷さ」をあらわにしたものと言えます。
 その他の難について、大聖人は「少少の難は・かずしらず」と仰せです。悪口罵害、讒言、嫌がらせ、そして門下に対する追放や罰金。それらの難が「かずしらず」打ち続いたのです。まさに、迫害者たちの「執拗さ」を示しています。
 大聖人は、これまでに御自身が遭われた難を概括されつつ、これらの迫害者の本質について、経・釈を引かれながら浮き彫りにされていきます。
 その性根は「怨嫉」です。怨嫉とは「敵視する感情」の意ですが、その文字のままに「怨み」と「嫉み」が入り混じった、まことに複雑な感情であると言えます。
 当時の仏教諸派の僧や檀那は、大聖人が法華経の行者として正法に生きぬかれている姿に対して、どす黒い「嫉み」を抱いていた。とともに、各派の信仰の誤りを、大聖人が厳格に破折されたことに対して「怨み」をあらわにしていました。
 大聖人はここで、法華経からは「如来現在猶多怨嫉。況減度後(=法華経を弘めるのは、釈尊の在世ですら怨嫉による難が多いのであるから、釈尊の滅後にはさらに多いのは当然である)」(法師品、法華経362㌻)、「軽賎憎嫉」(譬喩品、法華経199㌻)、「一切世間多怨難信」(安楽行品、法華経443㌻)などの経文を引かれ、末法の迫害の根底に、法華経の行者への「怨嫉」があることを示されています。
 また、悪口罵詈、讒言、追放・流罪などの離間策や直接的暴力など、「怨嫉」から起こる陰湿な迫害の様相を説く法華経・涅槃経の経文を挙げられています。
 さらに、天台・妙楽・伝教・東春などの多くの釈の文(『法華文句』大正34巻110㌻)。『法華文句記』大正34巻306㌻など)を引かれて、迫害は「怨嫉」から起とることを強調されています。
 末法における法華経の行者への迫害が激しく、執拗であるのは、まさしく迫害者たちの生命に「怨嫉」が渦巻いているからなのです。
9  元品の無明が強く発動する時代
 この怨嫉の根本は、妙法に対する無知であり不信である「元品の無明」です。
 前章の講義でも述べましたが、末法とは正法への不信、謗法が渦巻く社会である。法華経の行者が正法を説けば、人々の元品の無明が悪鬼の働きを起こす。そういう「悪鬼入其身」の社会なのです。
 「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」と仰せの通り、無明の生命が発現して、第六天の魔王の働きとなる。そして、「悪鬼は善人をあだむ」と仰せの通り、悪鬼入其身の人々は正法の人に迫害を加えていくのです。
 また大聖人は、「日本一同に日蓮をあだみ、上一人から下万民に至るまで前代未聞の瞋恚(瞋りの心)を起こしている。これは、浅い迷いである見思惑も断じていない凡夫でありながら、最も深い迷いである元品の無明を現している姿である」(御書998㌻、趣意)とも仰せです。
 謗法充満の末法では、三障四魔も、天台・伝教の時代よりも一段と激しく起こってくる。謗法が充満することで、無明の発動が盛んになり、貪瞋癡が強く現れてくるからです。ゆえに、正法を説き弘める法華経の行者に対して、怨嫉が盛んになる。
 このことを「開目抄」では「小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう」と示されています。
 正しく正法を弘める法華経の行者であればこそ、人々の正法不信の心が激しく反発するのです。
 ゆえに大聖人は、「魔競はずは正法と知るべからず」と仰せられています。
10  小失なくも度々難に遭う人
 大慢の者が正義の人を陥れる方法は、「讒言」です。対話や言論戦を避け、なおかつ、己の虚飾を満たすために、讒言・ウソという卑劣な手段を選択する。それも、こともあろうに、正義の人に「悪人」のレッテルをはり、中傷するのです。
 法華経勧持品には、僣聖増上慢が、国王・大臣や社会の有力者に向かって、法華経の行者についてのデマを捏造すると説かれます。また、涅槃経では外道が阿闍世王の所へ行き、釈尊が利益を貪り、呪術を用いたなどと、およそ正反対のデマを作り、仏を「大悪人」呼ばわりしたことが記されている。
 賢明な社会であれば、当然、そうしたウソを見破る指導者が出てきます。大聖人は、天台、伝教の時代は像法時代で、いろいろな難はあったが、最後は国主が是非を判断したゆえに、それ以上の迫害はなかったと仰せです。
 しかし、末法では、悪鬼入其身の僧らによって仏法をゆがめられた社会にあって、指導者には善悪を判断する能力も意志もなくなっていくゆえに大聖人に対して、国主らは「非理を前とし(中略)召し合せられずして」――道理に反した理不尽な政道を行い、公正な弁明の機会を与えることもなく、一方的に流罪・死罪に処して、迫害に及んだと言われています。
 民主主義の現代で言えば、”真実を見極められない国主”とは、ウソを容認してしまう社会、デマを傍観してしまう社会の存在に通じると言えます。
 いかなるウソやデマも、そのまま放置すれば、結局は、人々の心の中に沈殿して残ります。ですから、ウソやデマと戦えない社会は、必ず精神が衰退し、ゆがんでしまう。それゆえに、末法広宣流布は、人々の無明をはね返して、人々の精神の奥底を破壊する謗法を責めぬいていく、強く鋭い言論の戦いが絶対に重要となっていく。その戦いがあってこそ、社会に健全な精神を取り戻すことができるからです。
 デマ、讒言という一例をもって述べましたが、いずれにしても、転倒した社会にあって正義を叫ぶことは並大抵なことではありません。むしろ、真実を叫べば叫ぶほど、迫害の嵐は強まる。たとえば、人々が天動説を信じきっている社会の中で、ただ一人、地動説を唱えるようなものです。
 正義の人は、執拗で理不尽な迫害を受ける。また、それでこそ正義の人である。
 大聖人は、末法の法華経の行者の条件として、次のように述べられています。
 「小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ
 法華経の行者には、何一つ失がなくとも、大難が押し寄せるのです。その様は、「開目抄」の「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」との仰せに示されて余りあります。
 このように大難が起こる構図をもとより承知のうえで、大聖人は法華経の行者として一人立たれた。そして二十年に及ぶ大闘争を経て、今、流罪地の佐渡にあっても正義を説かれ、獅子吼されているのです。
11  忍難と慈悲の力で法を体現
 大聖人は、御自身の法華経の行者としての御境地を次のように述べられています。
 「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
 法華経に対する智解の深さは、仮に、天台・伝教のほうが勝っているとしても、「忍難」と「慈悲」においては、はるかに大聖人が勝っているとの仰せです。
 もちろん、末法の弘通にあっても、法華経に対する「智解」、すなわち道理を尽くして、理路整然たる教義の展開から語りゆくことは重要です。大聖人も、理論的解明の功績を天台・伝教に譲られることはあっても、その必要性を否定されているわけではありません。
 しかし、それ以上に重要なことがある。それは、悪世末法に現実に法を弘め、最も苦しんでいる人々を救い切っていく「忍難」と「慈悲」です。
 この「忍難」と「慈悲」は、表裏一体です。民衆救済の慈悲が深いからこそ、難を忍んで法を弘めていく力も勝れているのです。
 「難を忍び」とは、決して一方的な受け身の姿ではありません。末法は「悪」が強い時代です。その悪を破り、人々を目覚めさせる使命を自覚した人は、誰であれ、難と戦い続ける覚悟を必要とするからです。その根底には、末法の人々に謗法の道を歩ませではならないという厳父の慈悲があります。その厳愛の心こそが、末法の民衆救済に直結します。
12  願兼於業の悦びの信心
 慈悲は忍難の原動力であり、忍難は深き慈悲の証明です。そのことを示すために、大聖人は「願兼於業」の法理について言及されています。
 大聖人は、ここで、御自身が受けられている大難は、実は衆生を救う願いのために、あえて苦しみを受けていく菩薩の願兼於業と同じであるとされています。そして、菩薩が衆生の苦しみを代わりに受けていくことを喜びとしているように、大聖人も今、大難という苦しみを受けているが、悪道を脱する未来を思えば悦びである、と言われている
 願兼於業こそ悦びであるとの仰せは、本抄のいちばん最後の結論部分と一致します。
 「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし
 願兼於業とは、仏法における宿命転換論の結論です。端的に言えば、「宿命を使命に変える」生き方です。
 人生に起きたことには必ず意味がある。また、意味を見いだし、見つけていく。それが仏法者の生き方です。意味のないことはありません。どんな宿命も、必ず、深い意味があります。
 それは、単なる心のあり方という次元ではない。一念の変革から世界の変革が始まる。これは仏法の方程式です。宿命をも使命と変えていく強き一念は、現実の世界を大きく転換していくのです。その一念の変革によって、いかなる苦難も自身の生命を鍛え、作り上げていく悦びの源泉と変わっていく。悲哀をも創造の源泉としゆくところに、仏法者の生き方があるのです。
 その真髄の生き方を身をもって教えられているのが、日蓮大聖人の「法華経の行者」としての振る舞いにほかならない。
 「戦う心」が即「幸福」への直道です。
 戦うなかで、初めて生命は鍛えられ、真の創造的生命が築かれていきます。また、いかなる難があっても微動だにせぬ正法への信を貫いてこそ、三世永遠に幸福の軌道に乗ることができる。一生成仏とは、まさに、その軌道を今世の自分自身の人生のなかで確立することにほかなりません。
 「戦い続ける正法の実践者」こそが、大聖人が法華経を通して教えられている究極の人間像と拝したい。
 その境地に立てば、難こそが人間形成の真の基盤となる。「魔競はずは正法と知るべからず」と覚悟して忍難を貫く正法の実践者は、必ず妙法の体現者と現れる。そして「難来るを以て安楽と意得可きなり」、「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」という大境涯に生きていくことができるのです。
 大聖人は、この「開目抄」で、その御境地を門下に、また日本中の人に厳然と示されることによって、万人の無明の眼を開こうとされた。そして、法華経の行者の真髄の悦びを語られていると拝することができます。

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