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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 五重の相対 生命の配果と人生の根本指標

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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9  人生の根本目的を体現する人格
 さて、五重の相対によって因果観が深まると、尊敬されるべき主師親の意義も深まってくる。
 外典・外道では、明確な因果観のもとに立てられた主師親ではないから、尊敬されるべき存在としていかに荘厳され、また、その絶対性や権威が強調されていたとしても、信ずる人に明確な目的観をもたらさず、暗中模索の生き方か、権威に従属する消極的な生き方しかもたらさない。
 次に、仏教のなかでも、小乗教と権大乗教は厭離断九の成仏観・因果観であり、仏は特別の存在として崇められる。他方、衆生は自分だけが煩悩を滅するという小目的で満足する生き方(小乗)か、あるいは、万人を救済するような偉大ではあるが、しかし架空でしかない仏の救済を待つという夢幻に生きる生き方(権大乗)にとどまる。
 いずれにしても消極的、な生き方を脱することはできない。
 これに対して、実教である法華経では、九界の衆生にも仏界が具わり(迹門)、久遠実成の仏にも九界が具わる(本門)という真の十界互具が示され、人々は自らに仏界の偉大な生命を開くという、深い希望を持った生き方ができるようになる。
 しかし、久遠実成の仏は、完成された円満なる仏果を中心に説かれているために、凡夫にとっては、崇拝し、渇仰するだけの対象にとどまり、成仏の因果を実現する手本にはならない。
 これに対して、大聖人の仏法では、大聖人御自身が一念の力による凡夫成仏の手本であられる。御書に示される大聖人の戦い、大聖人の不惜身命の実践、大聖人の誓願、大聖人の師子王の心が、私たちに凡夫成仏のための一念を示してくださっているのです。
 それは、「例せば日蓮が如し」、「例には他を引くべからず」等の大聖人御自身の仰せからも明らかです。
 五重の相対は、究極の因果を示すことで、人生を常に向上に導く最高の指標を指し示す教えです。
 そして、最終的には、末法の凡夫が一生成仏を遂げていくための最高の手本となる至高の主師親を示した法理なのです。
 「開目抄」は、末法の万人に向かって、凡夫成仏の手本である法華経の行者・日蓮大聖人を明らかにされた書である。それゆえに「人本尊開顕の書」と言われるのです。

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