Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 主師親の三徳 一切衆生が尊敬する「人間主義」の指導者

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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15  旧来の神仏の考え方から言うと、釈迦仏が衆生のために主師親の三徳を具えた偉い仏かと思っていたのに、実は、そうではない。衆生が仏性をもち、仏の生命を現す可能性を具えているからこそ、釈迦仏は衆生の主師親としての徳を発揮しうるのであり、それゆえ衆生が釈迦仏に三徳を与えているのであると言われているのです。
 ここでは、主師親三徳の考え方、そして、宗教のあり方について、「革命的な転換」がなされています。旧来の考え方で言えば、主君は民衆を支配し、従える存在です。師匠は、弟子を導き、鍛える存在です。親は、子を産み、子に敬われる存在です。このような関係だけで見ると、主・師・親は権威ある存在であり、そこから仏を主師親になぞらえても権威主義的な宗教しか生まれません。
 しかし、主君は民衆を幸せにしてこそ主君であり、師匠は弟子を一人前に成長させてこそ師匠であり、親は子を立派に育ててこそ親です。このような観点で主師親を見れば、主君は民衆が幸せになる可能性を持っていればこそ主君としての力を発揮できるのであり、師匠は弟子が立派に成長する可能性を持っているからこそ師匠としての徳を具えることができるのであり、親は子が一人前に育つ可能性を持っているからこそ親としての役割を果たせるのです。
 宗教も同じです。衆生が成仏できる可能性を持っているからこそ、仏は主師親の三徳を具えることができるのです。
 この大聖人の仰せには、神や仏に服従し、僧侶に拝んでもらう「権威主義の宗教」から、民衆が幸せになるための「人間主義の宗教」への転換が示されているのです。

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