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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 「開目」 大聖人に目を開け! 民衆に目を開け!

講義「開目抄」「一生成仏抄」(池田大作全集第34巻)

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1  講義
 「開目」――。
 まさに「開目抄」全編の主題は、「開目」というこの題号に尽きているともいえます。
 「開目抄」の御真筆は現存していませんが、本文を認められた和紙の上に、大聖人御自ら「開目」と書かれた和紙一枚の表紙が加えられていたとの記録があります。
 「開目」とは、文字通り「目を開く」ことです。また、「目を開け」という大聖人の呼びかけと拝することもできる。
 閉ざされた心の目を、どう開いていくのか。
 無明の闇を、いかなる光明で照らしていくのか。その解決の道を開かれたのが、末法の御本仏日蓮大聖人であられます。
 「一切衆生の救済」と「立正安国の実現」を目指し、あらゆる魔性と戦う法華経の行者としての闘争の炎は、北国の佐渡に流されても、いやまして燃え盛っておられたと拝されます。
 その大聖人の御心境が示されているのが、「開目抄」のあまりにも有名な次の一節です。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん
 「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず
 社会的に見れば、大聖人は流人です。権力の弾圧による冤罪ではあっても、死罪に次ぐ重罪の流刑を受け、いわば、天然の牢獄に入れられたに等しい。しかし、大聖人の心を縛りつけるいかなる鎖も存在するはずが、なかった。
 古今東西の歴史で、迫害の受難に耐えぬいた賢人・聖人は少なからず存在します。しかし、迫害の地で、人類を救う宣言をされたのは大聖人だけでしょう。
 「我日本の柱とならむ」
 いかなる迫害も、あらゆる魔性も、民衆救済の誓願に立ち上がられた大聖人を阻むことはできなかった。
 そして「内なる生命の法」に目覚めた人間は、どれほど尊極な魂の巨人になれることか。
 日蓮仏法は、「人間宗」です。
 大乗仏教の精髄である法華経が開いた「人間の宗教」の大道を確立され、全人類の幸福と平和実現への方途を未来に残してくださったのが日蓮大聖人です。
 まさに、大聖人こそ、人類の「柱」であり「眼目」であり「大船」であられる。
 その「柱」を倒そうとしたのが、当時の日本の顛倒した権力者であり、諂曲にして畜生道の僧たちでありました。
2  佐渡の過酷な環境のなかで御執筆
 「開目抄」を書かれた由来については、大聖人御自身が「種種御振舞御書」に詳しく記されています。
 「さて皆帰りしかば去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頸切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮にりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ
 ――さて(塚駅問答が終わり)、皆が帰ったので、去年の十一月から構想していた「開目抄」という書二巻を造った。これは、頸を斬られるのであるならば、日蓮の不思議を留めておとうと思い、構想したのである。
 この文の心は「日蓮によって日本国の有無(存亡)は決まる」ということにある。譬えば家に柱がなければ保つことはできない。人に魂がなければ死人である。日蓮は日本の人の魂である。平左衛門はすでに日本の柱を倒してしまった。そのために、ただ今、世が乱れて、いつのまにか夢のように嘘が横行し、この北条一門が同士打ちして、後には他国から攻められるであろう。たとえば「立正安国論」に委しく述べた通りである。このように思って(「開目抄」を)書き記して、中務三郎左衛門尉(四条金吾)の使いに持たせた――。
3  この一節は、文永九年(一二七二年)二月の「開目抄」御執筆の時点での大聖人の思いを後に回顧されている内容ですが、まず「去年の十一月」つまり佐渡御到着直後の文永八年十一月から「開目抄」を構想されたと仰せです。
 大聖人が極寒の地・佐渡の塚原に到着されたのが十一月一日。
 佐渡の塚原三昧堂とは、墓所の「死人を捨つる所」にある堂のことです。一間四面の狭い堂で、祀るべき仏もなく、板間は合わず、壁は荒れ放題にまかせている廃屋同然の建物であった。
 冷たい風が容赦なく吹き抜け、雪が降り積もる環境のなかで、敷皮を敷き、蓑を着て昼夜を過ごされた。慣れない北国の寒さに加え、食糧も之しく、十一月のうちには、お供してきた数人の弟子を帰している。
 「筆端に載せ難く候」。筆舌に尽くせないほどの劣悪の環境のなかで、現身に餓鬼道を感じ、八寒地獄に堕ちたと思わせるような状況であると、大聖人は記されています。「佐渡の国に流されて、命を全うできる人はいない。命を全うしても、生きて帰ることができた人はいない。流人を打ち殺しても、なんのお咎めもない」(御書917㌻、趣意)と言われていた。
 そうした劣悪な環境のなかで、日蓮大聖人は、思索を深められ、人類を救う大著を書きつづられた。四百字詰め原稿用紙で言えば、百余枚に相当する著述を、約三ヵ月間で構想・執筆されたことになります。
 大聖人は、佐渡に到着されて、直ちに民衆救済の書の御執筆を開始されたのです。
 佐渡における大聖人の御境地について、戸田先生は、こう語っておりました。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにも侵されず、なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。大聖人の佐渡御流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される。
 されば『此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』とも、『日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし』ともおおせられているのは、御本仏の境涯なればと、つくづく思うものである」(「戸田城聖全集」3)
 事実、日蓮大聖人は、言語に絶する逆境のなかで、どうすれば全人類を仏にすることができるかを思索され、「開目抄」「観心本尊抄」を認められ、その方途を明確に築かれたのです。古来、大難を耐え忍んだ者はいたとしても、大聖人の偉大さは、その大難のなかで御自身のことよりも、民衆救済、人類救済のための闘争を始められたということです。
4  発迹顕本と「開目抄」
 さて、大聖人は先の御文で「開目抄」御執筆の動機について「日蓮の不思議を留めておこうと思い、『開目抄』を構想した」と仰せられています。留められるべき「日蓮の不思議」とは、その最大のものが、竜の口の法難の時の「発迹顕本」であると拝察できます。
 この時、大聖人は「名字即の凡夫」(法華経を信ずる凡夫)という迹(仮の姿)を開いて、内証に永遠の妙法と一体になった自在の御境地である久遠元初の「自受用報身如来」の本地を顕されました。
 大聖人が発迹顕本されることによって、凡夫の姿のままで仏界の生命を現す「即身成仏の道」が万人に開かれたのです。
 「開目抄」につぶさに示されているように、大聖人は相次ぐ大難を乗り越えられ、障魔を打ち破る激闘のなかで、発迹顕本という「生命根本の勝利」を勝ち取られたのです。
 私たちも、いかなる障魔も恐れず、勇気ある信心を貫けば、何があっても無明を破り、法性を顕す自分自身を確立することができる。それが、私たちの発迹顕本です。そして、この「わが発迹顕本」が一生成仏を決する根本になるのです。
 「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」と仰せの通り、日蓮大聖人の発迹顕本は、末代のあらゆる凡夫に通じる成仏の「根本原理」を示されている。また、その「証明」であり、「手本」なのです。
 妙法への揺るがぬ信があれば、万人が、自己の凡夫の肉身に、宇宙大の境涯を広げることができる。
 いわば、末法の全民衆の発迹顕本の最初の一人となられたのが日蓮大聖人であられる。そして、日蓮大聖人は、御自身の発迹顕本を証明されるために、また一切衆生が発迹顕本するための明鏡として、御本尊を御図顕なされた。
 まさに、大聖人は、全人類の柱です。一切衆生が仏性を開いていけるのは、日蓮大聖人の発迹顕本のおかげだからです。この点にこそ「日蓮にりて日本国の有無はあるべし」「日蓮は日本の人の魂なり」と仰せの最も深い意義があると拝せられます。
 「開目」とは、このように「大聖人に目を開け」と呼びかけられているのです。
5  不惜身命の精神に目を開け
 「日蓮大聖人への開目」とは、すなわち「法華経の行者への開目」であり、したがって「法華経への開目」でもある。
 そのように、「開目」には重層的な意義があり、「開目抄」では、それを拝せる種々の御文が記されております。
 ここで「大聖人に目を開け」との呼びかけにあたる仰せをいくつか挙げてみたい。
 まず、先ほど述べた「大聖人の発迹顕本に目を開け」にあたる御文は有名です。
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・ん人いかに・をぢぬらむ
 まさに「大聖人の魂魄に目を開け」と仰せの御文である。
 ここで大聖人は、「竜の口の頸の座において凡夫・日蓮は頸をはねられた。今、佐渡で『開目抄』を書いているのは、日蓮の魂魄そのものである」と言われている。この「魂魄」とは、発迹顕本された御内証である「久遠元初自受用身」にほかならない。
 ここで、「開目抄」全編の構成から見た時に、この一節が、大聖人御自身の法華経身読、なかんずく勧持品第十三の身読を説く個所の冒頭に示されていることに着目したい。
 すなわち、この御文では、法華経勧持品で三類の強敵の迫害がいかに恐ろしいものとして説かれていても、魂魄である日蓮には何も恐ろしくはないと言われているのであり、何ものも恐れない久遠元初自受用身の偉大な御境涯の一端を示されているのです。
 三類の強敵は法華経の行者に対して権力を使って弾圧するなど、その恐ろしい迫害の相が勧持品には詳細に説かれる。
 その命にも及ぶ大難を受けた時に「不惜身命」の魂で戦うとの誓願を、八十万億那由佗の菩薩たちは立てるのであります。
 勧持品には、「我れは身命を愛せず 但だ無上道を惜しむ」(法華経420㌻)とあります。
 万人を仏にする無上道を惜しんで何ものも恐れない「不惜身命」の精神を、菩薩の根本の要件として説いているのです。
 名聞利養の悪僧と、愚痴の悪臣が結託して、非道の権力によって法華経の行者へ襲いかかった時、不惜身命の「師子王の心」を持てる者が仏になれる。――大聖人は「開目抄」とほぼ同じ時期に書かれた佐渡御書で、このように明かされています。
 したがって、「開目」には、「大聖人の不惜身命の精神に目を聞け」との意義が含まれていると拝したい。
6  障魔と戦いきる人が末法の師
 次に、大聖人が遭われた大難の相と、勧持品に説かれる三類の強敵の迫害の相とが一致することをつぶさに検討された末に結論された御文を拝したい。ここにも、「大聖人に目を開け」との意を拝察することができます。
 「仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし
 「求めて師とすべし」――三類の強敵と戦いぬく法華経の行者こそ、末法の人々を救う真正の「師」であるとの結論です。障魔と戦える人のみが「末法の師」なのです。
 「魔競はずは正法と知るべからず」とも仰せのように、末法で正法を正しく持ち、実践する人には、必ず障魔が競い起こる。
 万人に具わる仏性を、一人一人の生命に、そして社会に現す方途を確立することが、末法の人々を救う唯一の道である。その大道は、万人に具わる元品の無明を打ち破る、深く強き「信」を確立できる人のみが、開くことができる。なぜならば、あらゆる障魔の正体は、まさに元品の無明であるからです。元品の無明との戦いを示さない教えでは、決して「末法の正法」でもなければ「末法の師」とも言えない。
 元品の無明は、本来は修行の最終段階に進んだ菩薩が出あう、妙法に対する根本的な迷いであり、等覚の菩薩ですらも、この迷いに道を失うことがあるという。
 末法は「白法隠没」と言われるように、正法が隠没し、邪智が深まる時代です。この末法に正法を行ずるには、元品の無明との対決が不可欠なのです。
 そのために大聖人は「開目抄」のなかで二つの点を強調された。
 その第一は、「五重の相対」によって、何が末法の正法かを明確にされたことである。
 それは「文底の一念三千」であり、法華経本門寿量品で説かれる久遠の「本因本果」である。簡単に言えば、純粋で強い信によって元品の無明を破ることにより、今の九界の自分と永遠の仏界の生命との互具を実現する「真の十界互具」である。これこそが、九界の自分に仏界を涌現させて即身成仏・一生成仏を実現させていく法であり、これのみが「末法の正法」なのです。
 第二には、「誓願」を強調されています。
 法華経の本門寿量品の文底に秘沈されている末法の正法は、難信難解である。しかし、万人の成仏という仏の大願をわが願いとして、広宣流布の戦いを不退転で戦いぬくことを誓うことにより、「信」を鍛え、強化していけるのです。そして、発迹顕本を遂げられ、末法救済の大法を確立された大聖人こそ「末法の師」であり、「末法の御本仏」なのです。
 大聖人の誓願を示されている御文については、すでに冒頭にも引用したが、もう一度、掲げておきたい。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず
 以上の二点は、「開目抄」の骨格を成す法理であり、後に本文の講義のなかでさらに詳しく考察していくことにします。
7  忍難・慈悲に目を開け
 関連して、御文をもう一つ拝したい。
 「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし
 多くの同志の心に刻まれているこの御文もまた、「大聖人に目を開け」と呼びかけられている御文であると拝することができます。
 ここで大聖人は法華経の智解については天台等よりも劣ると御謙遜されているが、先に述べたように、末法の一切衆生の成仏を実現する要法を把握されるという最高の智慧を本抄では示されている。
 しかし、この要法は衆生一人一人の一念において十界互具・仏界涌現を実現するための究極の法であり、説明することはもとより難しいが、衆生一人一人に弘め、実現していくことは、さらに困難なのです。
 それは前人未到の戦いであり、時代は悪世、法は難信の要法、そして弘める人の姿は凡夫であるゆえに、大難は必定なのです。そこで、大聖人は、相次ぐ大難に耐えられながら、仏界の生命を凡夫のわが身に開き顕していかれた。その大聖人の生き方・実践を手本として提示し、万人に弘めていく方途を確立されたのです。
 その戦いを貫き、完遂された原動力は「誓願」です。そして、そのさらなる根底には一切衆生への大慈悲があられた。この大慈悲こそ、私たちが大聖人を「末法の御本仏」と拝するゆえんなのです。
 大聖人御自身も、末法の一人一人の人間を根底から救う折伏の戦いの本質は慈悲であるとして「日蓮は日本国の諸人にしうし主師父母なり」と仰せられています。これは「開目抄」の結論であり、「大聖人の慈悲に目を開け」との呼びかけであると拝することができます。
 戸田先生は、「開目抄」の御文を引きながら、万人の成仏、全人類の境涯変革こそが「如来事」(如来の仕事)であるとして、その実践を同志に向かって呼びかけられています。
 「全人類を仏にする、全人類の人格を最高価値のものとする。これが『如来の事』を行ずることであります。
 大聖人が開目抄に、『日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし』と仰せられた深意は、一切衆生をして仏の境涯をえさせようと、一生をかけられた大聖人のご心中であります。
 これこそ目の前に見た『如来の事』であります。学会のみなさまよ、われわれも『如来の事』を行わなくてはなりませぬ。しからば、いかにして全人類に仏の境涯を把持いたさせましょうか」(「戸田城聖全集」1)
 大聖人は万人の成仏、全人類の境涯変革を目指し、法体の確立・流布のために忍難・慈悲の力を現されました。学会は、この大聖人の御精神を受けて、牧口初代会長の時代より、大聖人の仏法を現実変革の法として受け止め、民衆救済の戦いに邁進してきたのです。
8  根底は民衆への慈悲と信頼
 題名の「開目」の意義は、以上のように重層的に拝することができますが、「大聖人に目を開け」ということが基調になっていると言えます。そして、その根底には、さらに民衆への慈悲と信頼がある。それは「民衆に目を開け」と、表現できるものです。
 大聖人の仏法は「師弟不二の仏法」です。大聖人は御自身が身をもって確立した末代凡夫の即身成仏の道を、弟子たちにも勧められています。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし
 ここでは、無疑自信・不惜身命の「信」を同じくすることをもって、大聖人と弟子たちとの師弟不二の道とされています。この「信」には、「疑い」を退けていることから明らかなように、生命に潜む魔性や外からの悪縁となる障魔との闘争が含まれていることは言うまでもありません。
 そして、大聖人の戦いに連なっていけば「成仏」の果も間違いないと保証されております。いかなる人も、因行・果徳ともに大聖人と不二になれるからです。
 このことは、本抄に一貫して拝することができる「大聖人に目を開け」という呼びかけが、実は人間・民衆への深い信頼の上に成り立っていることを意味しているのです。
 そこで私は、本抄の「開目」の意義として「大聖人に目を開け」の呼びかけとともに、「人間に目を開け」「民衆に目を開け」との熱い呼びかけがあることを明言しておきたいと思います。
9  万人の仏性を開く「開目の連帯」
 結論して言えば、「開目抄」を拝することは、日蓮大聖人を末法の成仏の「手本」とし、成仏の道を確立した「末法の教主」として正しく拝することにほかならない。また、文底の民衆仏法の眼から拝せば、「開目抄」を拝することは、「人間への信頼」に立つことであると言えます。
 そう拝した時、「開目抄」を真に正しく拝読した者がいずこにいるのか。あらためて、戸田先生の慧眼が光を放つと言えるでしょう。講義の第一章を結ぶにあたって、恩師戸田先生の次の一節を紹介しておきたい。
 「私が大聖人様の御書を拝読したてまつるにさいしては、大聖人様のおことばの語句をわかろうとするよりは、御仏の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈なる大衆救護のご精神、ひたぶるな広宣流布への尊厳なる意気にふれんことをねがうものである。
 私の胸には御書を拝読するたびに、真夏の昼の太陽のごとき赫々たるお心がつきさされてくるのである。熱鉄の巨大なる鉄丸が胸いっぱいに押しつめられた感じであり、ときには、熱湯のふき上がる思いをなし、大瀑布が地をもゆるがして、自分の身の上にふりそそがれる思いもするのである」(「謹んで開目抄の一節を拝したてまつる」、『戸田城聖全集』3)
 この戸田先生の拝読の御精神こそが、創価学会の御書拝読の永遠の指針であると確信する。御書を拝することは、民衆救済の大慈悲と哲理に触れることであり、日蓮大聖人の広宣流布の御精神に浴することに通じます。
 私たちも、地涌の勇者として、全人類の無明の目を開き、万人の仏性を開く「開目の連帯」を築いていきたい。今、世界中で、日蓮大聖人の人間主義の仏法を待望しています。私たちの平和と文化と教育の大運動を見つめています。

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