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日蓮大聖人・池田大作

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「久遠の誓願」果たし「本有の生死」を悠…  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

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2  誓願成就の総仕上げの最晩年
 池田 大聖人の身延時代は、御自身の誓願成就の時期であられたと拝することができます。とりわけ最晩年にあたる、弘安二年(一二七九年)から御入滅の弘安五年までの四年間、揺るぎない大勝利の時を迎えられ、御生涯の最高峰にあられたと確信する。
 斉藤 出世の本懐を遂げることを宣言された「聖人御難事」(弘安二年)では、大鬼神のついたような者たちも、もはや大聖人を迫害することはできなくなったと仰せです。
 池田 諸天善神をも自在に動かされる大境涯です。末法の根源的救済である「一閻浮提広宣流布」に向かっての前進に次ぐ前進、闘争に次ぐ闘争の大人生によって勝ち取られた、究極の大満足の御境涯です。
 人生は、総仕上げの時期が一番大事です。
 戸田先生も「人生の幸不幸は途中では分からない。最後の数年聞がどうかで決まる」と言われました。
 先生ご自身が広宣流布をわが使命として戦いに戦われ、最後の四年間はひたすら願業成就に邁進される最高の人生を生きられた。これが真実の勝利者の姿であると私は思った。
 森中 戸田先生の最後の四年間というと、池田先生が青年部の室長として活躍された時と一致しています(室長の就任は昭和二十九年三月)。戸田先生の誓願であった七十五万世帯の実現へ、大躍進が始まり、その成就がなされた四年間です。
 池田 後継の青年にバトンタッチすべく、広宣流布の盤石な基盤を完成させる未聞の戦いに邁進された四年間であられた。戸田先生の一挙手一投足は「これが広宣流布の師子王だ」と語り示されているようであった。
 人生は、最後が勝負です。最後の数年間が幸福かどうかです。心底、胸中に悠然たる満足感があるかどうかです。
 森中 地位や経済的境遇は、幸福の最終的な基準にはなりませんね。
3  生死の苦を乗り越える「不惜身命の信心」
 池田 そう。仏法の目的は、生死の迷いと苦悩を克服して、胸中に崩れざる確固たる境涯を築くことにある。
 南無妙法蓮華経は、生死の迷いと苦悩を解決する大法です。これは大聖人が御一代の弘教において初めから強調されていることです。たとえば、これまで何度も拝してきたが、「一生成仏抄」の冒頭に明確に示されています。
 森中 はい。拝読します。
 「夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、衆生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり
 〈通解〉――無限の過去から繰り返されてきた生死の迷いと苦悩を止めて、今この人生で間違いなく最高の悟りを得ようと思うならば、必ず、「衆生本有の妙理(あらゆる生命に本来具わる妙なる真理)」を自身の生命の中に見ていくべきである。
 「衆生本有の妙理」とは妙法蓮華経のことである。ゆえに、妙法蓮華経と唱えれば「衆生本有の妙理」を自身の生命の中に見ていることになるのである。
 池田 生死の迷いと苦悩を止めるための法は、衆生の生命に本来具わっている。それが「衆生本有の妙理」である妙法蓮華経です。
 大聖人は、万人がこの妙理を根本として生きていく道を確立してくださった。それが南無妙法蓮華経です。
 南無妙法蓮華経は、この妙理の名であり、また、この妙理を信ずる「信」でもあり、そして、この妙理をありのままに顕現させた生命、つまり仏界の生命の名でもある。成仏の因も果も具わった「因果倶時の法体」です。
 そのうえで、実践の側面から言って重要なのは「信」の在り方です。
 大聖人は一貫して、法を惜しんで身を惜しまぬ信心、すなわち「不惜身命の信心」を強調されています。
 斉藤 人間は、身を惜しむがゆえに、かえって保身や利害にとらわれ、得失や毀誉褒貶に臆病にならざるをえません。
 そのような人間の愚かさを「佐渡御書」では、魚や鳥が命を惜しむゆえに、かえって餌にだまされて捕らえられていく姿に譬えたうえで、こう仰せです。
 「人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし
 森中 だれでも、自分の身が惜しくない人はいないと思います。しかし、大事にしようとしても、気がついたら「世間の浅き事」に執着して人生を終わってしまう。
 池田 幸福を追い求めているのに、いつしか、「浅き事」に執着し、真の幸福への道である「大事の仏法」から遠ざかってしまう。そこに根源的な愚かさというべき「無明」の恐ろしさがあります。どんなに優秀でも、無明に敗れてしまえば、仏道修行を完遂することはできないし、人生は敗北です。それどころか、「大事の仏法」を軽んじ、法に背き、やがては法の敵対者となる者も出てくる。
 それゆえに大聖人は、一貫して「不惜身命」「身軽法重」の信心を強調されているのです。大聖人御自身が、不惜身命で生きぬかれ、そして門下にも、不惜身命の信心にしか成仏がないととを教えられています。その御文は多く拝することができます。
 森中 はい。「松野殿御返事」にも、こう仰せです。
 「どんなことをしても、この身はむなしく山野の土となる。惜しんでも、どうにもならない。いくら惜しもうとも、惜しみ切れるものではない。人は長生きしたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは、ただ、一眠りの問の夢のようなものである。(中略)法華経迹門には『我れ身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ』(勧持品)と説かれ、本門には『自ら身命を惜まず』(寿量品)と説かれ、涅槃経には『身は軽く、法は重し。身を死して法を弘む』と説かれている。法華経の本門と迹門の両門も、涅槃経も、共に身命を捨てて法を弘むべきであると説いている」
 池田 永遠から見れば、私たちの一生は、一瞬の出来事のようなものです。だからこそ、限りある一生を真剣に生き、大事にしなければならない。
 そのために「法」を根幹にして生きていきなさいとの御文です。身を惜しまず、法を惜しんで、仏法を求めきっていくところに、わが生命が、妙法と一体になるからです。そこに、成仏という尊極の生き方が可能になるからです。
 森中 「身を惜しまず」といっても、決して、玉砕的に命を投げ出すことではありませんね。
 池田 当然です。「法を惜しむ」とは、法を持つ者を迫害してくる者、法を破る者に対して、「師子王の心」で戦うことです。さらには、法の精神に違背する一切の魔性と「大聖人の如く」戦いぬくことです。
 「法に生きる」生き方とは、まさしく、「魔」と戦い、打ち勝っていく生き方と言ってよい。
 斉藤 「法を惜しむ不惜身命の信心」とは結局、「勇気を奮い起こして悪と戦う信心」ということになりますね。
4  最後まで戦う御心を示された大聖人の御入滅
 池田 人生とは闘争です。
 そして、仏法は勝負です。
 ”広宣流布のために、絶対に勝利する”と決めて戦う心の中に、真の自受法楽の境地がある。戦わなければ、生老病死の四苦を「常楽我浄」の四徳で飾ることはできない。
 日蓮大聖人は、最後の最後まで戦いぬかれた。それは、大聖人の御入滅直前の御姿を拝すれば明瞭です。
 斉藤 はい。これまでにも触れてきましたが、大聖人は、弘安五年(一二八二年)九月八日に身延を出られて、門下の屋敷、宿所に泊まられながら、九月十八日、武蔵の池上宗仲邸に到着されたのでした。
 森中 身延の山を出られたのは、「常陸の湯」で湯治をするためだと門下に説明されています。
 ただ、この「常陸の湯」が具体的にどこを指すかは、古くから研究されていますが、いまだにはっきりしていません。
 池田 より重要な問題として、大聖人の目的は単に湯治だけではなかったと拝察すべきではないだろうか。
 森中 他に真の目的があった、ということでしょうか。
 池田 これはあくまでも推察ですが、湯治を理由とされたのは弟子の勧めがあったからかもしれない。
 あるいは、大聖人は身延に隠遁したと思っている幕府に対して、身延の山を出る名目とされたのではないだろうか。
 森中 確かに、身延から池上に向かわれる道は、幕府要人の領地が多い駿河の地を避けて、富士山の反対側を迂回するようにして抜けられています。また、駿河の地は、熱原の法難の余燼がくすぶっていたとも思われます。
 池田 深い考慮があられたと拝するべきでしょう。
 斉藤 前節でも触れましたが、前年の弘安四年(一二八一年)のころに、大聖人は御自身の入滅の時期を悟られていました。さらに、「西山殿御返事」では、臨終が大事であることに言及されています。
 大聖人が、御自身の臨終をどう迎えるかということを深く、お考えになっておられたことは間違いないと思います。
5  池田 戸田先生も、逝去前の一カ月は、「3.16」の広宣流布後継の儀式を頂点として、広宣流布の指揮を一歩も引かずに執り続けられた。
 先生は、戦う勇姿と一念を、弟子の目に焼きつけられた。最後の最後まで戦う心を教えられた。偉大な指導者のお姿でした。
 森中 大聖人は、池上到着の翌日の御手紙で「すぐに帰る道ではあるけれども、病身のゆえに思わぬことがあるかもしれません」と仰せられ、それとなく死期が近づいていることを示唆されています。
 池田 湯治という弟子の配慮はありがたく受け止められつつも、大聖人の御真意は、やはり別にあったと拝察される。
 斉藤 ある伝承には、大聖人が身延を出る決意をされた時に、「吾れ所思あり、武州池上に赴かん」と言われたとあります。この御発言が実際にあったかどうかは分かりませんが。
 池田 ただ大聖人は、池上を臨終の地として想定されていたのではないだろうか。
 釈尊も、王舎城から「最後の旅」に出た。そして弟子に告げた。
 「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と」(『プッダ最後の旅』中村元訳、岩波文庫)
 釈尊は、どこまでも法のため、民衆のために「歩き続ける」「戦い続ける」なかに仏法があることを、自身の行動を通して教えられているのです。
 大聖人も、池上の地で、病床にあられながらも、最後まで、広宣流布の指揮を執られている。
 森中 たとえば、伊勢法印が問答を仕掛けてきた時に若き日目上人に命じて法論させ、論破させておられます。
 また、九月二十五日には、池上邸で「立正安国論」を講義されました。そのころ、鎌倉と安房・上総・下総の弟子檀那を集めて御入滅を予告されています。
 斉藤 「立正安国論」の実践は、日蓮仏法の骨格中の骨格です。
 まさに、御生涯をかけて追求されてきた「立正安国」の戦いを弟子門下に託される厳粛な講義であられたのではないでしょうか。
 森中 さらには、六老僧の選定、なかんずく日興上人への継承といった重大な出来事が続きます。
 池田 「諌暁の精神」の継承を示され、広宣流布の実現に向かう「和合僧」の形成を呼びかけられるなど、最後の最後まで戦いぬかれました。どこまでも末法万年尽未来際へ向けての大闘争であられた。
 そして、御入滅の日、十月十三日を迎えます。暦のうえでは、現在の「小雪」。いわゆる「小春」の間このとです。
 御入滅は辰の刻。午前八時前後です。この時に桜が咲いたとも伝えられる。小春日和の陽光の中での御入滅であられたがゆえの伝承でしょう。
 日蓮仏法は「太陽の仏法」です。日輪とともに立宗が始まり、日輪とともに御入滅を迎えられた。
 まさに、末法万年の闇を照らす御本仏にふさわしい御姿であられたと拝察する。
 それとともに、最後の最後まで「戦う心」を弟子に教えられた偉大なる師匠であられた。その御心は、日興上人、日目上人に、まっすぐ継承された。お二人とも、やはり、最後まで戦い続けられている。
 斉藤 人生の寿命の長さは千差万別です。また、亡くなる場面は百人百様です。
 健康長寿は万人の願いですが、より大事なことは、「どう生きたか」「どう死を迎えたか」ですね。
6  池田 日蓮大聖人は六十一歳。日興上人は八十八歳。また、日目上人は七十四歳で京都への諌暁の旅の途上であられた。
 究極は、三世にわたって、法のため、民衆のために戦い続ける心を体現した生であり死である。その心にこそ、妙法蓮華経の永遠性が顕現しているのです。
 斉藤 池上での御入滅は、この「戦う心」を弟子たちに示されるための方便現涅槃の犠式であるとも拝せらるのではないでしょうか。
 人間としての一生の完結は、この「戦う心」を貫くところにある。――それを教えるための方便としての御入滅と拝することができます。
 森中 釈尊の仏法の究極は法華経の如来寿量品第十六、なかでも自我偈ですが、その結語は「永遠の仏」の「永遠の一念」を明かしています。それも永遠に民衆を救う大願の一念です。
 斉藤 民衆救済の大願を大聖人の御生涯の結論として、また、門下が受け継ぐべき精神として示すために、当時の主だった弟子が集まるのに最も適切な池上邸を御入滅の地として選ばれたとも拝することができます。
7  広布の戦いのなかに「本有の生死」
 池田 大聖人は「不老は釈尊不死は地涌の類たり」と仰せです。法華経薬王品「病即消滅不老不死」の経文についての「御義口伝」です。地涌の菩薩を「不死」に配されていることが重要です。
 地涌の菩薩は、永遠の妙法を生命に所持、それを弘めていくために戦う無数の菩薩です。その地涌の菩薩こそ「不死」であるというのです。
 地涌の使命に生きぬいてこそ、生老病死の生命に常楽我浄が香ることになる。苦悩の生死の連鎖を断ち切ることができます。
 妙法に生き、妙法に死すことが「本有の生死」です。
 大聖人は、「妙は死法は生」と仰せです。また、「此の法華経は生死生死と転りたり」、また「自身法性の大地を生死生死とぐり行くなり」とも仰せです。
 「永遠の妙法」そのものに「生死」は含まれているのです。あらゆる生命の生死、あらゆる現象の起滅は妙法の生であり、妙法の死である。
 生命は究極するところ永遠であるが、生死の繰り返しは誰人も避けることはできない。
 その生死を六道輪廻の苦悩の繰り返しとするのか、常楽我浄の四徳香る「妙法の生死」「本有の生死」にするのか。
 万人の生老病死の苦しみを、常楽我浄の大安楽に転ずる道を開いてくださったのが、日蓮大聖人です。
 斉藤 生老病死の苦しみをどう逃れるか。通途の仏教では苦悩を忌み、離れることを強調していました。「出離生死」という表現に、端的にそれが示されています。
 池田 日蓮大聖人は、私たちの生老病死の生命そのものが、永遠の大法である南無妙法蓮華経と一体の「宝塔」であると教えられています。
 妙法を持つ私たちの生命の「宝塔」においては、前にも言ったように、生老病死の四苦は、常楽我浄の四徳となり、人生に四徳の霞郁たる香りを放つことができるのです。
 常楽我浄の四徳です。仏が悟った生命の永遠性(常)、崩れぬ安楽の境地(楽)、確固たる主体性(我)、完全な清らかさ(浄)を、私たちの生老病死の生命のうえに顕していくことができます。
 森中 「生も歓喜、死も歓喜」の境涯ですね。
 斉藤 大事な点は、どこまでも現実の生老病死を離れないということですね。従来の宗教は、永遠性を求める時、どうしても私たちの現実を離れたところに楽園を設定していました。日蓮仏法は、生老病死の現実からどこまでも離れずに、大歓喜へと変革しゆく道を示されていきます。
 池田 「御義口伝」にこう説かれています。
 「生死を見て、嫌い離れるのを迷いといい、始覚というのである。一方、本有の生死と知見するのを悟りといい、本覚というのである。今、日蓮と門下が南無妙法蓮華経と唱え奉るとき、本有の生死であり、本有の退出であると悟るのである」
 まさに、三世永遠にわたる自由自在の大境涯です。生も死も仏界の寂光の大空を飛朔していく大歓喜の境涯です。
 仏界の生死であれば、自分が生まれたいところに、生まれたい時に、生まれたい姿で生まれることができる。
 死もまた自在です。亡くなっても、「須臾の間に」つまり「たちまちに」現実世界に還ってきて、衆生利益の戦いを開始すると大聖人が仰せです。
 森中 そう考えると、臨終の時に「また、すぐ広布の陣列に戻ってくるから」「ああ、大満足だった。一点の悔いもない」「さあ、次はあの国で広宣流布したいな」等と言って亡くなる創価学会員一人一人の境涯は、まさに「本有の生死」の姿を体現していると言えますね。
 斉藤 学会とともに生きぬいた方々は、みずからの生命の実感として「本有の生死」を間違いなくつかんでおられます。
 池田 戸田先生は、信心をすると三世の生命が分かるようになると、よく言われていた。私は深く深く思索すべき言葉と思ってきました。
 末法の悟達は「不惜身命の信心」に徹することです。
 そのなかで、自分の生命の境地として、「本有の生死」を確かな実感として会得できるのではないだろうか。臨終を目前とした学会員の方々の悠然たる境地は、わが生命に三世の生命を自得しているからこそです。
 何の悔いもなく、大満足で死を迎えることができる学会員の境涯がいかに崇高か。草の根の庶民が「生死不二の達人」となっている事実が、いかに尊極なことか。
8  師弟不二の広布大願
 斉藤 広宣流布の大願、民衆救済の闘争に生きぬくところに「本有の生死」を実感する境涯が開かれることが分かりました。
 池田 その「大願」と「戦う心」を師と弟子が同じくしていくことが大聖人の仏法における師弟不二です。
 師匠は「大願」と「戦う心」に貫かれた完結した人生を弟子に示すことによって、弟子の規範となり、拠り所となります。
 法華経に説かれる釈尊の振る舞い、そして日蓮大聖人の御生涯の御振る舞いも、そのような師の在り方を示されていると拝したい。
 弟子も、同じ「大願」と「戦う心」とを貫くことによって、師弟不二を実現します。その生き方のなかに、仏と同じ常楽我浄の境涯が開かれるのです。これが「仏界の生死」であり、「本有の生死」です。
 斉藤 広宣流布の戦いのなかにこそ、永遠の妙法に基づいて生きる仏と同じ生き方が開かれてくるということですね。広宣流布へ戦いぬく創価学会の師弟においても同じことが言えるのではないでしょうか。
 池田 戸田先生はつねに、「死身弘法」の実践で現代の広宣流布の端緒を開かれた牧口先生を思われながら、行動されていた。
 晩年、しみじみと「牧口先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と言われていました。
 私もまた、戸田先生が存命中も、亡くなられてからも、今も、つねに戸田先生との「師弟不二の大道」を歩み通してきたつもりです。それが私の人生最高の誇りです。
 「師弟」に徹することが、三世永遠の不滅の境涯を得る道です。師弟の大道こそ、何ものにも勝る「人間の宗教」の本質です。
 法華経は諸経典で唯一、「師弟不二の経典」です。
 日蓮仏法は世界の宗教で唯一、一切衆生を仏にしゆく「師弟不二の宗教」です。
 そして、創価学会の実践のなかには、「師弟不二の大道」があります。
 人類の境涯を高め、この地球上の一人一人が師子王となっていく創価学会の「師弟不二の行動」が、二十一世紀の「人間主義の宗教」のパイオニア(先駆者)として不滅の輝きを放っていくことは間違いありません。

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