Nichiren・Ikeda
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健康長寿で広布大願の人生を!
講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)
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5 広布に戦う生命は常楽我浄
池田 大聖人は、病は仏の御はからいであると仰せられている。病によって求道心が起こるからです。
病気もまた、仏と魔軍との戦いにほかならない。
大病を患っている南条時光に対して与えられた「法華証明抄」では、障魔と戦う「一念」「気迫」を教えられています。
斉藤 「鬼神めらめ(鬼神どもめ)」と、鬼神に呼びかけ、呵責されています。
森中 南条時光に対しては、”この病気は、戦ってきた時光の成仏は間違いないがゆえに、天魔や外道が脅してきたものであるから、少しも驚いてはならない”と指導されています。
そして、今度は大聖人御自身が、天魔・鬼神を厳しく責めていかれます。
池田 時光を苦しめることは、法華経に背き、三世十方の諸仏に敵対することになるぞ、との厳しい呵責です。
また、鬼神も悔い改めて時光の病気を治すだけでなく、今度は時光を守護する戦いをしなければならないとも仰せです。
ここに、健康の本質を示す重要な原理があります。
私たちが、現実社会の万人に向かって、慈悲の振る舞いをするための長寿であり、健康です。
もちろん、自分自身のために健康・長寿を祈っていくことは当然です。まして不摂生や油断から、自分の健康を損ねてしまっては反価値的行為です。生活は賢くなければいけない。その日のうちに疲れを取るとか、疲れたら休むとか、賢明な行動で健康は勝ち取るものです。健康は賢者の勲章です。
そのうえで、何のための健康なのか、何のための長寿なのか。
法のため、家族のため、同志のため、民衆のため、わが使命の実現のため、広宣流布の大願成就のための健康・長寿です。
大事なことは、広宣流布のなかで戦う生老病死です。その姿そのものが、三世永遠の常楽我浄の実証です。
生老病死は忌むべき苦悩ではなく、常楽我浄の凱歌をとどろかす生命の舞台です。私たちは、生老病死のドラマを通して、人間勝利の歓喜の劇を演じているのです。