Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

未来永遠に人類を救わん!  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

前後
2  報恩の究極は慈悲の実践
 森中 報恩というと、現代人には、封建時代の道徳にすぎないように感じてしまう人も多いようです。
 池田 ともすると、主君から家臣、親から子というように、上から下への一方向で恩を考えてしまいがちだからです。それでは、封建時代のような身分が固定化された社会では、どうしても人間を束縛するものに陥りやすい。
 しかし、大聖人が説かれた報恩は、もっと普遍的なものであり、究極的には仏法で説く究極の道理である「縁起」の思想に根ざしています。
 斎藤 経典における「報恩」の原語としては、サンスクリット(古代インドの文語)の「クリタ・ジュニャー」が考えられるようです。この語の意味は「なされたこと(クリタ)を知る(ジュニャー)」です。
 池田 今の自分があるのは、さまざまな人々からいろいろなことしてもらったおかげです。その自分に対してなされたことをよく知り、感謝の心をもち、今度は自分が人々のために尽くしていく――。それが「知恩」「報恩」の原義です。
 さらに、万人の成仏を説く法華経によると、報恩の究極は「一切衆生の恩」に報ずることになると考えられます。これは即ち慈悲の実践であり、広宣流布の実践になります。
 そして、この報恩の究極である「一切衆生の恩」は、法華経では万人成仏を願う仏の誓願に一致します。
 斎藤 「一切衆生の恩」について大聖人はこう仰せです。
 「一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し、又悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき
 衆生無辺誓願度とは、菩薩が仏道修行の最初に立てる四弘誓願の第一です。"あらゆる人々を苦悩から救いたい"との誓いです。
 池田 全民衆の幸福のために尽くしたい――その慈悲の心を確立することが成仏の道の第一歩です。
 その決意を促してくれた苦悩の民衆こそ、恩人である。しかも、迫害を加えてくる悪人は、自身を鍛え磨き、力をつけさせてくれる大恩人である。
 そう大聖人は教えられている。
 森中 『御義口伝』でも、法華経譬喩品の「世尊の大恩」を論じて、法華経を受持すること、そして、一切衆生を救うことが仏の大恩を報ずることになると言われています。
 池田 大聖人が説かれる報恩は、まさに法華経の報恩観なのです。したがって究極的には、万人を成仏させるという仏の誓願と一致していきます。
 それゆえに、「報恩抄」では最後に「大事の大事」(330㌻)たる三大秘法を明かされた後、大聖人の「誓願の成就」を示されているのです。
3  未来にわたる広宣流布の道の確立
 森中 はい。これまでも何回か拝読してきた、あまりにも有名な御文です。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが(流布)るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、」
 〈通解〉――日蓮の慈悲が曠大であれば南無妙法蓮華経は万年をこえる未来までも流布するであろう。日本国の一切衆生の盲目を開く功徳がある。無間地獄の道をふさいだのである。この功徳は、伝教・天台をも超え、竜樹・迦葉にもすぐれている。
 極楽百年の修行は、穢土の一日の功徳に及ばない。正法、像法二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るであろう。
 斎藤 伝統的には、大聖人の主師親三徳を明かした一節と拝されてきました。
 「日蓮が慈悲曠大」が「親の徳」、「一切衆生の盲目をひらける」が「師の徳」、「無間地獄の道をふさぎぬ」が「主の徳」です。
 いずれにしても、未来永遠に民衆を救済せずにはおられないとの大聖人の御本仏としての大慈悲の御境涯が拝されます。
 池田 「盲目をひらける」であり、さらには「無間地獄の道をふさぎぬ」と仰せです。人類が地獄に堕ちる道が"ふさがれた"との仰せは重要です。救済の道は三大秘法によって確立した、という大宣言であると拝したい。
 斎藤 三大秘法の根幹は南無妙法蓮華経であるという意味では、大聖人が「御義口伝」で仰せのように、立宗宣言のその日、大聖人が南無妙法蓮華経と唱えだされたことで、末法一万年の民衆を成仏させる大法が示されたと言えます。
 池田 しかし実際には、立宗宣言で、大聖人の誓願が成就し終わったのではなく、むしろ誓願成就のための戦いが始まったと言える。ここが重要な点です。
 もちろん、大聖人の若き日に、父母や周囲の人々への報恩として日本第一の智者たらんとした仏法探求の道は、南無妙法蓮華経の題目にたどりつくことで成就したと言える。しかし「広宣流布」は、そこから始まるのです。
 大聖人は、立宗の時から、迫害との連続闘争が始まり、竜の口の法難で発迹顕本を迎える。その魔性との戦いの過程において、凡夫の身に仏の大生命が顕現できることを身をもって示された。そして、大聖人の御本仏の御生命をそのまま御本尊にしたためられ、万人の仏界湧現の明鏡とされた。
 これによって、万人救済の方途は厳然と確立されたとも言える。しかし、言うならば道が開かれたのであって、大聖人の全人類の救済の誓願は完全に成就し終わったわけではない。
 永遠の広宣流布の道、広宣流布の未来への潮流の確立こそが、大聖人の最終的な誓願成就とも言えるのです。
 大聖人は「報恩抄」で仏法を薬に譬えられているね。
4  謗法の重病を救う仙薬
 森中 はい。正法・像法・末法と時代が下り、人々の智慧が浅くなるにつれて、仏法が深くならなければならないことを示されて、こう仰せです。
 「例せば軽病は凡薬・重病には仙薬・弱人には強きかたうど方人有りて扶くるこれなり
 池田 「重病には仙薬」です。三毒強盛な末法の民衆を永遠に救うには、"これさえ飲めば大丈夫だ"という究極の薬が必要です。
 ただし、末法には、目の前に仙薬があっても直ちに飲もうとしない人々が集まっている。妙法への不信・謗法の毒が生命に深く入っている人が多いのです。それが末法の重病です。
 斎藤 法華経寿量品の「良医病子の譬」にあるように毒気深入によって本心を忘れた衆生です。
 池田 そこで人々の目を覚まさせる遣いの者が必要になる。それが地涌の菩薩です。人々が仙薬の効用を疑い、反対に仙薬を勧める人を悪口罵詈する。その大難のなか仙薬を弘める人がいて、民衆は薬を飲むことができるのです。これが寿量品で言う「遣使還告」です。
 斎藤 はい。「観心本尊抄」には「今の遣使還告は地涌なり」と仰せです。
 正法・像法時代は、仙薬までも必要がないし、また、薬が置いてあれば人々は自然にそれを服していく。
 しかし、末法は、仙薬、良薬の存在と、その薬の真価に自分も目覚め、他の人にも目覚めさせていく人の実践がなければ成り立ちません。
5  誓願を継承する地涌の菩薩
 池田 それも、濁世の怨嫉の嵐の中で弘通を続ける地涌の勇者でなければならない。すなわち、大聖人の誓願成就とは、三大秘法の開顕とともに、大聖人と心を同じくして広宣流布に戦う弟子が陸続と出現してくることが不可欠なのです。
 森中 すでに「熱原の法難」を考察していただきましたが、大聖人は、熱原の民衆の不惜身命の信心を御覧になって、出世の本懐を遂げられました。
 すなわち、誓願を継承する弟子が出現したからこそ、大聖人は出世の本懐を遂げ、誓願を成就されたと言えます。
 池田 弟子の誓願の継承とは、言い換えれば、「広宣流布を目指す信心」の確立です。
 その根幹は「不惜身命の信心」です。その継承が「信心の血脈」です。
 そして、その信心を核とする躍動的な広宣流布の組織の確立です。
 森中 若き法将・日興上人の弘教をはじめ、各地で門下たちが、身延の大聖人と心を合わせながら、弟子の闘争を本格的に始めていったのは、広宣流布を目指す信心と組織を確立する戦いの意味を持っていたと拝察できますね。
 池田 その戦いの中で、三大秘法が確立していき、大聖人の誓願が成就するのです。
 三大秘法は、広宣流布を戦い抜かれた大聖人の御生命から開き顕された法体です。したがって、広宣流布への信心と戦いがなければ、三大秘法の南無妙法蓮華経を受持したことにはなりません。三大秘法の受持には、広宣流布の誓願の継承が不可欠なのです。
6  広布の誓願が三大秘法の核心
 斎藤 三大秘法はもともとは大聖人の戦うお姿の中にあるといえます。
 「本門の本尊」は、大聖人におかれては、妙法と一体の大聖人の御生命に躍動する尊極の仏界の生命であり、大聖人己心の妙法蓮華経です。ゆえに私たちは、御本尊を「観心の本尊」と拝さなくてはなりません。
 森中 「本門の本尊」を根本と尊敬して、いかなる悪の生命をも打ち破っていくという確固たる誓願を持ち続けて戦われる御姿にこそ防非止悪の戒を持たれています。その大聖人がましますところが「本門の戒壇」です。
 私たちにとっては、単に御本尊を御安置するだけでなく、誓願を継承して広宣流布に戦ってこそ、そこが「本門の戒壇」であるといえます。
 池田 「本門の題目」は、本尊への信とその証である唱題を、自行化他にわたって実践し、弘めていく大聖人の実践です。
 大聖人は「報恩抄」で、本門の題目を「声もをしまず唱うるなり」と仰せです。これは不惜身命の信心が本門の題目の根本であることを示されていると拝せます。
 このように三つの次元で、大聖人が実践された法体を私たちに示してくださったのが三大秘法です。大聖人の御生命と実践の全体が継承されるように示されているのです。その核心は、広宣流布の誓願の継承です。
 三大秘法は、いわば妙法を個人の生命に、国土に、そして全世界に具現化させていけるように示された法体なのです。
 その三大秘法の受持のために大切なのが、大聖人と同じように、魔と戦いきる強盛の信心です。
 悪世において、その強盛の信心を起こして、魔を打ち破り、三大秘法を持っていくのが地涌の菩薩です。
 ゆえに悪世滅後の弘通は、誓願を継承した地涌の連帯である和合僧団の存在が不可欠となる。一人また一人と同志を糾合して「日蓮が一門」を確認しあい、「日蓮と同意」で広宣流布に前進していく地涌の絆を再確認する場がどうしても必要になる。
 斎藤 創価学会の会合は、まさに地涌の菩薩が誓願を確認し深めあう場ですね。
 池田 そうです。戦う地涌の菩薩が集っているのです。虚空会を今に現出した姿であるといえます。
 「時のしからしむるに有らずや」です。
 濁劫悪世の今こそ、ますます広宣流布を強力に推し進める「時」にほかなりません。
 それが創価学会の三代会長を貫く確信です。
 牧口先生は、戦前の国家主義と今こそ戦う時だとして特高のいるまえで座談会を開かれた。戸田先生は、戦後の荒廃を前に、今こそ妙法弘通の時であるとして75万世帯の誓願に立たれた。
 斎藤 そして池田先生は、人類全体が無明に覆われつつある時代に、人間主義の対話の光明で人道と平和の連帯を築かれています。先生の行動を通して、世界の識者たちが日蓮仏法の可能性に期待する時代を迎えています。
 池田 この地上から悲惨と不幸をなくしたい――。それが戸田先生の願業でした。師の広宣流布の大誓願を分かち持ち、不惜身命で実践し実現していってこそ、仏法の真実の師弟がある。
 戸田先生が示されたごとく、日蓮仏法を掲げ21世紀の無間地獄の道をふさぎ、「万年の外・未来までもながる」広宣流布の大道を開く。それが、戸田先生の師恩に報いる私の道です。

1
2