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日蓮大聖人・池田大作

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臆病にては叶うべからず  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

前後
1  斉藤 前章では、熱原の法難についてるる語っていただきました。熱原の農民信徒たちが、権力の横暴に対して一歩も退かない姿を厳然と示しました。
 まさに「仏法は勝負」です。その「民衆の魂の勝利」に呼応して、大聖人は大御本尊を御図顕され、全人類救済の道を確立されたのでした。
 本章では、その「仏法は勝負」という原理について大聖人の御書から拝したいと思います。
 池田 「仏法は勝負」という原理は、表現は様々ですが、大聖人の御書全編にわたって拝することができる。なかんずく、端的な表現として「四条金吾殿御返事」(別名・世雄御書)に「仏法は勝負」と明快に仰せです。牧口先生も、この仰せを引用し、ここに「宗教の生命」があると述べられている。
 そこで、この御書を繙きながら、「仏法は勝負」の原理を考えていきたい。
2  仏法は勝負、王法は賞罰
 森中 はい。まず、この御書の冒頭の一節を拝読します。
 「御文あらあらうけ給わりて長き夜のあけ・とをき道をかへりたるがごとし、夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり
 〈通解〉――あなたのお手紙の内容を概略うけたまわり、長い夜が明けたように、遠い道を歩いて帰りついたように安心しました。そもそも、仏法というのは勝負を第一とし、王法というのは賞罰を本としている。故に、仏を世雄と号し、王を自在と名づけるのである。
 斎藤 この御消息を執筆された年月日は不明ですが、内容からみて建治3年(1277年)の後半頃と拝してほぼ間違いないと思います。
 この頃、四条金吾は、法華経の信心を捨てなければ所領を没収すると主君から言われたことに対して、断じて信心を捨てないことを大聖人に誓いました。大聖人はその金吾の決意を讃えられながら、金吾のために主君に対する弁明書である「頼基陳状」を認めて下さっています。
 池田 今の御文からは、その苦境の事態に変化を告げる何らかの朗報があったことが、うかがえます。
 とはいえ、陳状を今にも提出しなければならなくなるような緊迫した状況にあることには変わりはなかった。
 そこで大聖人は、事態の変化を勝利に結び付けていくために、「仏法は勝負」との原理を教えられたと拝されます。
 仏法は勝負であり、人生も勝負です。
 仏法は、仏と魔との戦いという生命の根本の闘争に万人が勝っていけるために説かれたと言っても過言ではない。
 魔を打ち破って成仏を遂げるか、魔に負けて迷妄の人生を送るか。人生における仏法の意義は、究極するところ、この根本的な勝負に勝つことにあるのです。
 森中 「仏法は勝負を第一とする」ということの意味が鮮明になりました。
 池田 この仏法究極の生き方においては、人生のあらゆる局面は、勝負、勝負の連続になる。それがまた、人生の実相である。
 そして、この戦いに挑戦する人にとっては、人生に起こる様々なことは、それが世間のことであっても、すべて仏道修行に通じていく。すなわち「仏法は勝負」との原理に適っていくのです。
 斎藤 それで、大聖人が「仏法は勝負」と対比させて、「世法は賞罰」と述べられていることの意義も鮮明になります。
 池田 四条金吾が属している武家社会では、主君による賞罰が武士たちの人生の根本基準であったと言えるでしょう。しかし大聖人は、今の苦境を、世法の賞罰の問題として受け止めるのではなく、仏法の勝負として受け止めるべきであると、金吾に教えられているのです。
 斎藤 人生の根本基準を「仏法の勝負」に置いて、今の苦境を勝ちきっていくよう教えられているのですね。
3  「世雄」の生き方を継ぐ
 池田 戸田先生は、現代人が分かりやすいように、よく「世法は評判、国法は正邪、そして仏法は勝負」とも表現されていた。
 「世法は評判」という基準にも、「国法は正邪」という基準にも、「仏法は勝負」におけるように魔に勝つかどうかという生命の根本の基準は含まれていません。だから、前の二つは人生の基準としては十分ではないのです。
 しかし、だからといって、当然、前の二つを無視してよいというのではありません。むしろ、「仏法は勝負」という基準は、前の二つを含むものといえる。なぜならば、魔と戦う人は、仏の生命を涌現させ、人格的な力を発揮できる。そして、世間の評判にも適い、国法も正しく判断し行動できるようになるからです。
 また、法華経の法師功徳品では、法華経を持つ人の功徳として「六根清浄」を説きます。その中の意根清浄の功徳として、法華経を持つ人は世間法の何を考え、何を語っても、実相に違背しない、すなわち仏法に適っていると説かれている。これも、「仏法は勝負」の生き方から開かれるものと言えます。
 大聖人は「仏をば世雄と号し」と仰せです。「世雄」とは現実社会における勇者のことです。勇敢に魔と戦い、しかも仏界の生命力を現しながら、世間法の中で正しく生きていくのが仏だからです。
 森中 冒頭に拝した「四条金吾殿御返事」で、大聖人は「仏は世雄」に対して、「王は自在」と仰せです。
 池田 王を「自在」と言われるのは、賞罰などの力を使って人々を自在に支配していくからです。これに対して、仏は妙法で開いた生命の力によって社会を正しく生き抜いていくがゆえに、「世雄」すなわち「世の勇者」なのです。
 大聖人が在家の門下の中心者である四条金吾に「仏法は勝負」と教えられているのは、仏の「世雄」の生き方を継ぐの仏法者であることを示していると拝することができます。
4  道理によって勝つ
 森中 大聖人は同じ御消息で、日本や中国に仏教が伝来したときに、仏教を信じた者たちが繁栄し、逆に、仏教に背いた者たちや、一旦は仏教を信じても傲慢になって非道を行った者たちが滅びていった事実をあげて、「仏法は勝負」の例証とされています。
 斎藤 また、この仏法の勝負に負けて滅びた者の例として、大聖人は一門の中で退転した少輔房・能登房らに言及されていますね。
 池田 信は勝ち、不信や傲慢は滅びる。「仏法は勝負」といっても、結局、何によって勝つのか。それは「心」です。自分の心が正しい法の側に付くのか、邪な法の側に付くのか。この仏法上の闘争を指して「仏法は勝負」と言われているのです。
 ゆえに、不信や非道は厳に戒めねばならない。この勝利への根本の道は、妙法への信を貫くことです。また、信を根本とした道理ある生き方、行動です。
 斎藤 この御消息で大聖人は「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」と仰せですね。
 池田 四条金吾に対する所領没収の脅しは、讒言に動かされた主君の非道の行為です。真実を訴えた「頼基陳状」に基づいて、しかるべき裁定があれば、主君・江間氏のほうが不当とされるべきことは、明白であったと言える。
 仏法は道理です。ゆえに、権力者らの非道に対して、正しき仏法者が最後は必ず勝つことは間違いない。
 それを現実の上で決めるのは、仏法者自身の強き信心です。「心」です。だから、哀れな退転者らを教訓としていきなさいと教えられているのです。
 斎藤 だから、この時期の金吾への御消息では、「心の勝利者」になるように、きめ細かく指導されているのですね。
5  法華経の兵法――勇気と智慧と信心
 池田 「仏法は勝負」と強調されているゆえんは、いかなる困難にも強靭に立ち向かっていく強い心を持て、ということです。臆病な心では、胸中の魔にも、社会の魔にも勝てないからです。「臆病にては叶うべからず」です。
 ”わが門下よ、断じて世間の荒波に負けるな””卑劣な魔軍に負けるな”という、大聖人の万感こもる励ましです。「法華経に勝る兵法なし」の原理もそうです。
 斎藤 はい。「四条金吾殿御返事(法華経兵法事)」で「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と仰せです。
 そして、その原理を示されるうえで大聖人が強調されているのは「心」です。「ただ心こそ大切なれ」「あへて臆病にては叶うべからず」です。
 池田 「法華経の信心」とは、観念論でも抽象論でもない。現実の社会で勝利するための具体的な智慧を発揮しゆくものでなくてはなりません。
 大聖人は、「前前の用心といひ又けなげといひ又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給い目出たし目出たし」と仰せです。
 森中 四条金吾が「強敵」と戦って、ことなきをえたという報告に対する、大聖人の御指導ですね。
 池田 そうです。「前前の用心」と仰せのように、大聖人は、四条金吾に何度も何度も、身の安全をはかるように指導されていた。師匠から繰り返し言われることで、四条金吾もはじめて事の重大性に気がついたのかもしれない。用心する習性がついたからこそ、敵人に狙われても大丈夫だったのだと大聖人は仰せられている。
 斎藤 師匠とは、本当にありがたい存在ですね。
 池田 そして、「けなげ」とは、いざ事に当たっての「勇気」です。勇気がなければ最高の智慧も無に帰してしまう。
 そして、すべての根本が「強き信心」です。信心によってのみ、妙法の無限の力用が、智慧となり、勇気となり、生命力となり、諸天の加護となって開かれてくるからです。
 「智慧」と「勇気」と「信心」――これが勝利への要諦であることを大聖人は教えられています。
 大聖人御自身が、師子王の心で、勝利また勝利の大闘争を続けてこられた。決定した一念にこそ諸天善神も動くのです。
 「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり」と仰せです。
 森中 最大の法難である竜の口の法難で処刑場に連行される時に、八幡大菩薩を叱咤されるなど、自ら諸天善神を動かされ、勝利を開いていかれました。
 池田 大聖人は引き続き「今は魔王もこりてや候うらん」「第六天の魔王の眷属けんぞく日本国に四十九億九万四千八百二十八人なりしが・今は日蓮に降参したる事多分なり」とも仰せです。偉大なる勝利宣言です。
 身延の山中で「既に日蓮かちぬべき心地す」と大勝利宣言をされている御書もある。
 大聖人は、何度も仏と魔との「合戦」であると仰せられているが、この合戦に大勝利したと明確に宣言されているのです。
 斎藤 四条金吾をはじめ熱原の法難に至る「弟子の法難」は、今度は門下が「仏法は勝負」の原理のままに勝利してきた姿だということですね。
 そして、勝利した弟子たちは皆、「日蓮が如く」戦った。反対に、大聖人に背いた門下は、惨めな敗残の姿を呈してしまいました。
6  人類のための闘争
 森中 「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」という一節もあります。当時、猛威を振るっていた疫病をはじめとする三災七難は、その根本原因である元品の無明を法華経の行者の実践で打ち破り、社会に妙法の力を現していく以外に解決しえないと言われています。
 斎藤 この御文は、社会の次元で「仏法は勝負」の戦いを担うのが法華経の行者であるということですね。
 池田 人生も、生活も、社会も、変化変化の連続です。そして、変化は、良く変わるか悪く変わるか、中途半端はない。だから、信仰も勝負、宗教も勝負、勝負を決する以外にないのです。
 イギリスの思想家カーライルが言うように、「人間はたたかうように創られている」(上田和夫訳)のです。
 名優チャップリンにも、映画の中で、人生の先輩として、生きる希望を見失った若き乙女を励ます場面がある(『ライムライト』)。
 「戦うんだ」「人生そのもののために!」「宇宙にみなぎる力は、地球を動かし、木を育てる。それは、君自身の中にある力と同じだ。その力を使う、勇気と意志を持つんだ!」
 この一人一人の胸中における善と悪の精神闘争は、これからの人類全体の課題です。人類の宿命を転換するために、今、私たちは、人類全体の無明を打ち破り、善の生命を万人に開発していく勝負を開始したのです。

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