Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「一人立つ」弟子の闘争が広布を拓く  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

前後
5  騒る魔性と戦う地涌の民衆の出現
 斉藤 御書を拝すると、障魔はまさに紛然と競い起こっていたようです。建治四年(一二七八年)二月の「三沢抄」で大聖人は、富士地方の有力門下の一人・三沢殿に対して、第六天の魔王の蠢動に注意するよう呼びかけられています。(御書1487㌻)
 池田 そのころは、身延におられる大聖人におかれでも、権力との緊張がいちだんと高まっている時だね。
 森中 はい二二月下旬に、公場対決の使者が到来します。その一方で、四月ころには、大聖人を三たび流罪しようとするうわさがありました。
 池田 そしてまた、このころに、熱原の三烈士として知られる神四郎、弥五郎、弥六郎の兄弟が入信した。
 森中 民衆勢力の拡大と、権力者・敵対勢力の迫害の増大は表裏一体ですね。
 斉藤 得宗家周辺の人たちの反発、エセ坊主の横暴、黒幕・良観の暗躍、そして権勢拡大の機会を虎視耽々とうかがう平左衛門尉という”悪役たち”もそろってきます。
 池田 その意味では、これまで大聖人御一人が三類の強敵と戦い、乗り越えられてきたが、ここ駿河の地では、民衆の連帯に対して、俗衆増上慢、道門増上慢、借聖増上慢の三つが動きだしたと言えるのではないだろうか。その三類の強敵が、明確に噴出するのが、弘安二年(一二七九年)の熱原の法難です。
 「撰時抄」の最後のところで大聖人は門下に呼びかけられている。
 「我が弟子等心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して此の度仏法を心みよ
 この呼びかけにいち早く応えられたのが、日興上人の不惜身命の闘争です。この師弟不二の戦いによって武士はもとより、女性信徒、そして農民信徒が数多く生まれていった。多くの僧たちも日興上人と共に宗教改革に立ち上がった。多彩な地涌の人間群像が出現する勢いは、まさに涌出品における地涌の菩薩の出現を彷彿させます。
 権威と騒りの嵐に立ち向かった熱原の門下たちは、日興上人の勇姿を目の当たりにして、自分たちが選びとった宗教に無上の誇りをもって嬉々として実践に励んでいたのではないだろうか。
 斉藤 行智らが策謀を巡らせば巡らすほど、民衆は信仰心を失った醜い坊主と決別できた喜び、そして、真実の和合僧の一員であることの誉れを感じていったと思います。
 池田 最後は一念の力です。”断じて広宣流布を進めてみせる”という一念がないと、悪に勝ち切っていくことはできません。
 創価学会は、戦う地涌の民衆の集いです。大聖人は「上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」と仰せです。
 地涌の力に目覚めれば、力は無限に湧きいずる。その「地涌の使命」に立って、大きく力を発揮する時が今なのです。

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