Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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末法万年へ「太陽の仏法」の旅立ち  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

前後
16  池田 「月の仏法」は、目覚めた仏が衆生をその光で照らそうとした。また、仏道修行者は、月の光に照らされて、六道から二乗、二乗から菩薩へ、そして仏へと遥かな山道を登っていった。
 しかし、末法の無明の時代を照らすためには、根本的には信仰を自覚した一人ひとりが胸中に法性の太陽を昇らせるしかない。万人が太陽と輝く以外に、末法の深き闇を晴らすことはできない。
 そして、目覚めた民衆が、胸中に太陽を赫々と昇らせ、慈悲の光明を万人に照らしていこうと立ち上がる。その目覚めた民衆のスクラムが広がって、点から線、線から面へと慈悲の光明が拡大していく。
 太陽の光明で百花が繚乱と咲き誇るように、仏法の光明は、人々の慈悲と智慧をはぐくみ、人間性の開花をもたらします。その「人間の善性のスクラム」が地球上に広がれば、人類の境涯が変革されていく。
 日蓮仏法には、現実変革の無限の可能性がある。民衆の中に仏や菩薩の境涯を確立し、真の平和を実現していくことが宗教の目的です。
 森中 全人類を幸福にしていこうという希望と責任感――それが、大聖人の仏法西還の教えに脈打っている心ですね。
 池田 一言で言えば「万人の平和」を目指す「善性の触発」であり、「善性の連帯」です。無明を破り、法性を開いていく一人ひとりの生命変革を基盤にしつつ、対話と理解の輪を忍耐強く拡大していくことです。
 大聖人は「地涌」について、「一人立てば、二人、三人、そして百人と次第に広がっていく。これが地涌の義である」と言われています。
 また、「地とは我ら衆生の心である。涌出とは、広宣流布のときに全世界の一切衆生が法華経の行者となることを言うのである」とも仰せです。
 誰もが心の大地に妙法蓮華の花を咲かせることができる。そして、誰もが法華経の行者となりうるのです。
 そう信じて、語りかけていく「開かれた心」「開かれた行動」が大切です。
 太陽の仏法が持つ「開かれた心」こそ、人間主義の宗教として世界が待望している。
 無明の闇に太陽の仏法を――これが私たちの使命です。あらゆる人が生命の奥底では太陽の仏法を待ち焦がれているのです。

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