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日蓮大聖人・池田大作

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末法万年へ「太陽の仏法」の旅立ち  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

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1  斎藤 青年の月・7月です。広宣流布の未来を担う青年のために、日蓮大聖人の未来記である「仏法西還」について語っていただければ幸いです。
 森中 正法・像法時代には西のインドから東の日本へと釈尊の仏法が伝わってきました。これを「仏法東漸」といいます。これに対して、末法には東の日本から西のインドに日蓮大聖人の仏法が還っていく。これが大聖人の教えを要約して「仏法西還」ですね。
 池田 釈尊の未来記は法華経の「後五百歳広宣流布」であり、「一閻浮提広宣流布」です。その実現のために戦い抜かれたのが日蓮大聖人であられる。
 その日蓮大聖人の未来記が「仏法西還」に他ならない。これを実現しているのが創価学会です。
 創価学会が現れて、世界に広宣流布しなければ、日蓮大聖人の言葉は虚妄になってしまったでしょう。
 戸田先生は、何度も何度も言われていた。
 「この仏法は、かならず東洋に弘まるのです。東洋に渡らなければ、日蓮大聖人様は大嘘つきです。かならず弘まることを自覚しなさい」
 斎藤 その戸田先生の御遺命を現実のものとされたのが、池田先生でした。
 池田 私は、戸田先生から遺言されました。
 「君のほんとうの舞台は世界だよ」
 「君は世界に征くんだ」
 だから、そのとおりに必死に戦ったのです。
 戸田先生は、日本から一歩も外に出られることはなかった。しかし、いつも東洋に、世界に目を向けておられた。
 特に青年には、東洋広布、そして世界広宣流布という仏法の真髄を語ってやまなかった。あの男子部の結成式の日もそうでした。
 森中 戸田先生が第2代会長に就任して間もない昭和26年(1951年)7月11日に、結成式は行われました。池田先生は男子部の班長として参加されていたとお聞きしています。
 池田 激しい雨の日でした。西神田の旧学会本部に180人ほどの青年が集った。その時、戸田先生は、こう言われた。
 「広宣流布は、私の絶対にやりとげねばならぬ使命であります。青年部の諸君も、各自がその尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたいのです。」
 「つねに青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。どうか、諸君の手で、この尊い大使命を必ず達成していただきたいのが、私の唯一の念願であります」
 こうして広宣流布こそが青年部の使命であることを示されたうえで「仏法西還」について語られた。
 「われわれの目的は、日本一国を目標とするような小さなものではなく、日蓮大聖人は、朝鮮、中国、遠くインドにとどまることなく、全世界の果てまで、この大白法を伝えよ、との御命令であります。
 なぜかならば、大聖人様の五字七字は、じつに宇宙に遍満し、宇宙をも動かす大生命哲学であるからであります」
 青年に、普遍的にして力ある世界宗教の担い手たれと呼びかけられたのです。この言葉に、大聖人の「仏法西還」の意義が余すところなく示されるといってよい。これが日蓮仏法の精神であり、学会精神の骨髄です。
 森中 この会合で、戸田先生が次のように語られたことを、池田先生は「随筆 新・人間革命」で紹介されています。
 「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会会長が現れるであろう。
 必ずや、私は、このなかにおられることを信ずるのであります。その方に、私は深く最敬礼してお祝いを申しあげたい」
 「今日は、この席から、次の会長たるべき方にご挨拶申し上げ、男子部隊の結成を心からお祝い申し上げる」
2  池田 だから私は、第3代会長に就任すると満を持して世界に飛び立ったのです。
 私もまた、次の本格的な世界広布を青年に託します。世界広布とは、世界平和の別名だからです。
 斎藤 仏法西還の心は創価学会にこそ脈打っていることを教えていただきました。
 池田先生が釈尊成道の地であるインドのブッダガヤに「三大秘法抄」と「東洋広布の記念碑」を埋納されたのは、第3代会長就任の翌年、昭和36年(1961年)の2月4日でした。
 この歴史の足跡に、仏法西還の遺命をなんとしても成し遂げようとの深き心を強く感じます。
 森中 インド随一の法華経学者であるロケッシュ・チャンドラ博士(インド文化国際アカデミー理事長)は語っておられました。〈1998年11月〉
 「インドで生まれた仏教は、幾世紀もかけて、中国へ、韓・朝鮮半島へ、日本へと伝わりました。
 そして今、池田先生によって、仏教は世界へ広がり、人類を啓発しています。池田先生によって、”法華経”が日本から世界に広まったのです!これほど、うれしいことはありません。
 まさに、太陽が東から西へと移動するのと同じく、法華経も東から西へと”旅”をしている。世界の各国を旅している。素晴らしいことです」
 斎藤 そのとき博士は「先生のご尽力で、日本から世界に、法華経の『精神の息吹』が発信されています。池田先生こそ『新しき世紀』を体現する方です」とも言われています。
 池田 恐縮です。
 チャンドラ博士とは対談集『東洋の哲学を語る』を発刊しました。その中で、マハトマ・ガンジーが、道場での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたことも話題となりました。
 博士によれば、ガンジーは、「南無妙法蓮華経」が、人間に内在する宇宙大の力の究極の表現であり、宇宙の至高の音律が奏でる生命そのものであることを覚知していたという。実は、ガンジーに「南無妙法蓮華経」を教えたのが、博士の父で著名な仏教学者のラグヴィラ博士でした。そのラグヴィラ博士は「ガンジーの師は日蓮大聖人である」と考えられていたという。
 ともあれ、先ほどの男子部結成式での戸田先生の言葉にも、南無妙法蓮華経が宇宙根源の法であるがゆえに全世界に広まらなければならない、とあった。
 日蓮大聖人が仏法西還という「世界」を視野においたお考えを抱かれたのは、御自身が顕された法の普遍性を深く確信されたからであると拝察できます。
3  「顕仏未来記」――世界を救う道の確立を宣言
 森中 大聖人が仏法西還について明確に述べられている御書は「顕仏未来記」と「諫暁八幡抄」の二書です。
 「顕仏未来記」は、文永10年(1273年)閏5月に佐渡で著されました。「観心本尊抄」を著された直後です。
 「諫暁八幡抄」は、御入滅の約2年前の弘安3年(1280年)12月に身延で著されました。
 池田 ただし、「顕仏未来記」よりも前の文永8年(1271年)11月、佐渡に到着された直後に認められた富木常忍宛のお手紙の中でも、大聖人は「一大事の秘法」を弘めることを明示されたうえで、仏法西還に通ずる内容を仰せられているね。
 斎藤 はい。「一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮あに其の人に非ずや」と言われています。そして、この大法が法華経で上行菩薩が釈尊から付嘱された法であることを示されつつ、伝教大師の「日出て星隠る」、遵式の「末法の初西を照す」との言葉を引いて、仏法西還を示唆されています。
 池田 竜の口法難で発迹顕本された直後のお手紙です。世間的には佐渡に流された流人の身であられるにもかかわらず、日本だけでなく仏法西還、世界広宣流布を展望されているのです。
 末法の時代を救う大法が赫々と御自身の胸中に輝いていたがゆえの大確信であられる。
 「法已に顕れぬ、前相先代に超過せり日蓮粗之をかんがうるに是時の然らしむる故なり」と仰せです。
 〈通解〉――「法」が現われ終わった。その瑞相は正法・像法時代にはない大瑞相である。日蓮があらあらこのことを考えてみると、この法が現われたのは「時」によるのである。
 森中 正嘉の大地震という大瑞相に見合う大法が、今、現れたのであると宣言されています。末法を救う大法が現われたということですね。
 池田 この妙法のみが、末法の濁世に生きる民衆を救うことができる。それは、妙法こそが万人に内在する普遍的な法だからです。
 そして、妙法の無限の力によってこそ、元品の無明から現われるあらゆる迷いと苦悩を打ち破り、克服していくことができる。
 末法の人間が真の幸福へと蘇生していく道は、妙法による以外にない。
 斎藤 その功徳を万人に開くために、大聖人は御本尊を顕されました。
4  池田 ゆえに法本尊開顕の「観心本尊抄」を完成された直後に、大聖人は仏法西還を明確に宣言されます。それが「顕仏未来記」です。
 仏法西還の法義には、大聖人の仏法が末法万年の全人類の無明を晴らすとの大確信が込められている、と拝したい。
 斎藤 「仏の未来記を顕す」との題号が示すとおり、法華経における釈尊の未来記(未来を予見して書き記したもの)である「後五百歳広宣流布」「一閻浮提広宣流布」を大聖人が実現されることを論じられています。
 森中 「後五百歳広宣流布」は末法の時代に広宣流布すること、「一閻浮提広宣流布」は世界広宣流布ですね。
 池田 同抄では、仏の未来記である末法広宣流布は、末法の法華経の行者が大難と戦って実現していくと述べられている。
 そして、その末法広宣流布の主体者である法華経の行者とは日蓮大聖人御自身であられることを示され、末法の仏法は必ず東土の日本から広まることを宣言されています。
 斎藤 「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」、「仏の如き聖人生れたまわんか」と仰せです。
 池田 大聖人が末法の御本仏であられ、大聖人の仏法が日本のみならず全世界の無明の闇を照らす大法であるとの宣言であられる。
 森中 その中で、仏法西還を示す仰せがあります。その部分を拝読します。
 「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く
 〈通解〉――月は西から出て東を照らし、太陽は東から出て西を照らす。仏法も同じである。正法・像法時代には西から東に伝わり、末法には東から西へ伝わるのである。
 池田 日蓮大聖人の「太陽の仏法」が、末法の希望の大法として世界に必ず広まるとの大確信を拝することができます。
 謗法の闇が深まる末法の時代に、一人決然と立ち向かわれ、無明を法性へと転じる大法の確立を宣言されたのです。
 その原動力は、末法の一切衆生の苦悩に「同苦」し、抜苦し与楽されていく偉大なる大感情です。
 「顕仏未来記」は、仏法西還の大法を顕し、弘められる大聖人という「人」に焦点が当てられています。
 斎藤 本抄末尾には「三国四師」を明かされています。数多の仏教者のなかで、御自身こそが仏教の正統を受け継ぐ正師であるとの御宣言です。
 「安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く
 〈通解〉――安房(現、千葉県南部)の国の日蓮は、おそらくは、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師の三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通する。ゆえに、三師に私、日蓮を加えて、「三国四師」と名づけるのである。
5  池田 御自身の生命に一切衆生成仏の大法を覚知され、五濁悪世の末法で幾多の大難に耐えて受持しぬかれたればこその御言葉です。
 事実のうえで、万人が平等に無明を破って、法性を顕し、法性のままに力強く生きうる大道を確立されたればこそ、佐渡の孤島から全世界、全人類に向かって叫ばれたのです。
 大聖人御自身が末法の闇を晴らす太陽となって、万年を照らさんとの大慈大悲の御言葉と拝したい。
 このように「顕仏未来記」では、大聖人によって末法の全世界を救う「太陽の仏法」が確立されたことを強調されています。
 これに対して「諫暁八幡抄」では、どちらかと言うと「法」の面を強調されていると言えます。すなわち、「謗法」の闇を救う力を持った大法は大聖人の「太陽の仏法」しかないことを強調されています。
6  「謗法」の深い闇を破る太陽の仏法
 森中 「諫暁八幡抄」御執筆の直接のきっかけは、御執筆(弘安3年12月)の前月11月14日に鎌倉市中で火災が発生し、鶴岡八幡宮も延焼したことにありました。
 この火災のことは前章で触れましたが、10月に源頼朝を祀った法華堂が焼けたのに続くものでしたね。
 どちらも、鎌倉幕府と御家人にとって精神的支柱でした。また八幡は武家の守り神とされていましたから、精神的動揺は覆い隠すべくもなかったようです。
 斎藤 しかも当時は、文永11年の蒙古襲来(文永の役)から6年、再度の襲来を恐れて日本全体が怯えていました。
 前年の弘安2年(1279年)6月に、蒙古の使者が対馬に来ますが、幕府は使者を博多に移送しまたもや斬首しました。以後、幕府は対応に追われています。
 池田 諸国の寺社に異国調伏を祈祷させるなど、極度の緊張状態にあったようだね。そのようなときの八幡宮焼失ですから、その動揺たるやただならぬものがあったのでしょう。
 中国に目を転じれば、弘安2年には、蒙古の南進に耐えきれなくなった南宋が滅亡している。その模様は、日本への多くの亡命僧によって克明に伝えられたことでしょう。日本の人々の危機感はより深刻なものとなったことは間違いない。
 大聖人は日本の社会全体が苦悩に陥っていることを鋭く深く洞察されていた。
 それで本抄では、社会全体が苦悩に陥っていることの根本原因である「謗法」に焦点を当てられているのです。
 森中 謗法とは、正法を謗ることです。口に出して謗ることだけでなく、心に正法への不信を抱くことが謗法の根本になります。
 池田 謗法は、万人に仏性があり、成仏できるという法華経への不信です。また、大聖人が御自身の仏界の生命を顕された御本尊への不信です。
 自他の仏性が信じられない人が社会に多くなれば、社会全体が悪道から悪道へと堕ちていく。その末法の人々を救うために、大聖人は末法の正法を「太陽の仏法」として打ち立てられたのです。
 いかなる深い闇をも妙法の光明で照らす変革の宗教です。謗法・無明の害毒で知らず知らずのうちに悪から悪へと転落していく人と社会を、善から善へという力強い上昇のリズムに変え、変革していくのです。
 斎藤 苦悩といえば、「諫暁八幡抄」で大聖人は、「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」という涅槃経の経文と対比させて、「一切衆生の同一苦はことごとく是日蓮一人の苦と申すべし」と仰せです。
7  池田 非常に重要な仰せです。
 涅槃経に説かれる「異の苦」とは、四苦八苦などの種々の苦です。それぞれの人が受ける、それぞれの苦悩です。それを自分の苦悩として同苦し、それを超えていく法を悟ったのが釈尊です。
 それに対して、大聖人が仰せの「同一苦」とは、社会全体が受けている苦悩であると拝することができます。そして、その根本原因は社会の多くの人々が知らず知らずのうちに「謗法」に陥っているからであり、そのままでは究極するところ無間地獄の苦悩が現実社会を覆ってしまうのです。
 結論していえば、「同一苦」とは、謗法・無間地獄という極悪の因果を指すことになります。
 末法では、四苦八苦という人間の基本の苦悩に加えて、「時代がもたらす苦悩」が一段と強まっていくのです。
 末法の時代については、前に「争いの時代」であると言ったが、それは、言い換えると、「平和実現のために戦わざるをえない時代」といえる。
 大聖人の生きられた13世紀は、世界規模で交流とともに対立が激しくなった時代であるといえます。
 蒙古が東アジアからヨーロッパに接する地域にいたる広大な地域を席巻し、ヨーロッパではキリスト教徒による十字軍の遠征が7次にわたって行われ、ドイツでは神聖ローマ皇帝権の失墜が著しく、バルカン半島ではオスマン・トルコが勃興し、やがて東ローマ帝国を滅ぼし一大帝国を築いていきます。
 日本もこの世界史的な激動の中に、初めて本格的に巻き込まれました。
 これは、「一人だけの安心」や「一国だけの平和」は、もはやありえない時代に入ったことを示している。
 まさに大聖人が「立正安国論」において「すべからく一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」と仰せのとおりです。
 ゆえに本当の安心は平和を勝ち取り、実現していくことによってしかありえない。
 森中 当時の日本国中の人々が蒙古襲来におびえ、苦しんでいる姿が御書に書かれています。たとえば、「現身に修羅道をかんぜり」等とあります。
 池田 蒙古の動きが、日本の武士や民衆の苦悩に直結していた。そういう時代だったのです
 斎藤 「一人だけの安心」や「一国だけの平和」がありえないというのが末法の特色であれば、グローバル化と言われる現代は、まさに末法の時代の極みと言えますね。
 池田 私たちの時代も含めて、末法万年にわたるまでの人類を謗法の闇から救うために、大聖人は宗教革命を遂行されたのです。
 正法・像法時代は、基本的に「一人の安心」を求める仏法であった。それ自体は悪いことではない。むしろ真の意味での「一人の安心」をもたらす生命の奥底の法を求めたところに仏法の卓越性があると言ってよい。
 しかし、正法・像法時代に広まった仏法は、末法に入ると、いつしか「一人だけの安心」を求める仏法になってしまった。そのことに対する多少の反省はあっても、克服はできなかったのです。そのような仏法では、悪へ悪へと押し動かす末法の時代を押し返すことはできないのです。
 これに対して大聖人は、あくまで一人一人の生命変革を根本としつつ、「万人の安心」と「世界の平和」をもたらす力ある宗教を確立されようと戦われたのです。
 「諫暁八幡抄」の最後に、西から東に伝わった正法・像法時代の仏法を「月」に譬え、末法において東から西に広まるべき大聖人の仏法を「日」に譬えられています。
 これは、大聖人によって、「月の仏法」から「太陽の仏法」へと転換がなされることを示されていると拝したい。
 森中 東漸してきた「月の仏法」と西還すべき「太陽の仏法」――この二つの最も根本的な違いはどこにあるのでしょうか。
8  池田 そのことを明示されているのが「諫暁八幡抄」の仏法西還の御文だね。
 森中 はい。その御文を確認します。
 「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国ふそうこくをば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月にまされり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ
 〈通解〉――天竺国を月氏国というのは、仏の出現し給うべき国名である。扶桑国を日本国という。どうして聖人が出現されないはずがあろうか。月は西から東へ向かうものであるが、それは月氏の仏法が東の方へ流布する相である。日は東から出る。日本の仏法が月氏国に還るという瑞相である。月はその光が明らかでない。それと同じように、仏の在世はただ8年を照らしただけである。日の光明は月に勝っている。これは第五の五百歳という末法の長い闇を照らす瑞相である。仏は法華経謗法の者を治すことがない。在世にはそういう者はいなっかったからである。末法には一乗法華経の強敵が充満している。これに対するには、不軽菩薩の折伏の利益がふさわしい。わが弟子たちはおのおの励みぬいていきなさい。
 斎藤 「太陽の仏法」と「月の仏法」の違う点をあえて分けて挙げれば、まず「明るさ」です。
 そして「照らす期間の長さ」。
 さらに「破るべき闇」すなわち「人々の迷いの深さ」「生命の濁りの深さ」です。
 この三つは、密接にかかわっています。
 生命根源の深い闇をも破る明るさをもつ「太陽の仏法」であるからこそ、五五百歳すなわち末法の最初の500年をも超えて未来永遠を照らすことができる、といえます。
 池田 太陽が晴らすべき闇とは何か――その点について、前年の弘安2年(1279年)に認められた「寂日房御書」には、「無明煩悩の闇」と示されている。
 森中 また、「諫暁八幡抄」では、「法華経謗法」と仰せです。
 池田 衆生を覆う闇とは、生命の本源的な迷いである「無明」である。また「無明」ゆえに、「人間の平等な尊厳」という究極の真実・真理を明かした妙法に対して反発・敵対する「謗法」である。
 無明・謗法とは、万人が仏性を持っていることへの不信であり、自他の尊厳性を否定する衝動です。
 自分の仏性をも信じられない。それゆえ、根源的な自信を失い、底知れぬ不安にとらわれ、常に怯えて臆病になり、追い詰められて「窮鼠、猫を噛む」が如き攻撃性を帯びるのです。また、猜疑心に苛まれ、他の人を羨み嫉む。
 「諫暁八幡抄」には、先ほど述べたように、釈尊が救う一切衆生の「異の苦」と、大聖人が救う一切衆生の「同一苦」とが対比されている。
 釈尊は、あらゆる人々がかかえる多種多様な苦悩を自身の問題として同苦し、その解決を図った。そのあくなき闘争が、不屈の慈悲の人である如来の証しといえる。
 これに対して、大聖人はその様々な苦悩の本源が、無明・謗法であると明示された。苦悩を乗り越え打ち勝つ無限の力が自身の生命にあることを信じきれない心こそが、人類共通の根源の苦悩であると明言されたのです。
 大聖人は、この根源の同一苦の問題を自身に引き受けられ、その解決に取り組まれた。それゆえ、人類救済の御本仏と拝するのです。
 斎藤 すでに詳しく論じていただいたように、勧持品に説かれる三類の強敵は、まさに謗法の根源苦にとらわれた姿ですね。増上慢という慢心は、いわば根源的な自信のなさ、自己否定の裏返しといえます。
 末法の人々は、五濁にまみれ自己の尊厳など信じられない。だからこそ、自他の尊厳に目覚めた法華経の行者を受け入れられず、三類の強敵となって強烈に反発するのですね。
9  池田 しかし、法華経の行者は、不屈の行動で自他の尊厳を示し、希望の太陽となって、人々の心の深い闇を破っていくのです。
 森中 法華経の神力品には、地涌の菩薩が滅後悪世の「衆生の闇」を打ち破る妙法を説き弘めることが予言されています。
 しかし、そこでは、太陽と月の光明がともに闇を取り除くものとされています。
 斎藤 大聖人は、さらに涌出品で世間の悪に染まらない地涌の菩薩の気高き姿を譬えた「如蓮華在水」の文をふまえて、「法華経は日月と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり」と仰せです。
 大聖人が末法の全民衆を救済する地涌の菩薩である、との高らかな宣言です。
 そのうえで、さらに日と月を区別され、御自身が太陽であることを、日蓮という御名乗りで示されていると拝せます。
 池田 確かに月は闇夜を照らす。しかし、闇そのものを打ち破って、夜明けとすることはない。それに対して、太陽は闇そのものを打ち破り、夜明けをもたらす。その「明るさの違い」は、決定的であるといえます。
 生命の本源の闇である無明・謗法さえも破る日蓮仏法は、まさに太陽の明るさである。
 法華経は、無明の闇を照らすと宣言しているが、実際には末法の無明を照らせていない。大聖人は、不惜身命の忍難弘通によって法華経を身読され、無明の闇を照らす上行菩薩との御自覚に立たれたのです。
 また、大聖人は「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる、世間のあだなるものすら尚加様に不思議あり、何にいわんや仏法の妙なる御法の御力をや」とも仰せである。
 どれほど長く深い闇に覆われていても、一つの燈があれば、明るくなる。ましてや太陽が昇れば、どのような闇も払拭される。
 この御文に続けて大聖人は、悪業・煩悩・生死の苦悩に縛られる身であっても、内なる仏性があるがゆえに、それを開き顕し、即身成仏できる――こう教えられている。
 宿業の重さに押し潰されそうになっていても、妙法への強盛な信によって、必ず宿命転換し、成仏していけるのです。
10  「絶対者を仰ぐ月の宗教」対「自身が輝く太陽の仏法」
 森中 末法を覆う深い不信の闇を破るには、「太陽の仏法」が必要であることはよく分かりました。
 その一方で、正法・像法は、なぜ「月の仏法」で充分だったのでしょうか。
 池田 充分だったと断定できるかどうかは難しい問題です。とはいえ、「月の仏法」すなわち釈尊の仏法にそれなりの有効性があったことは確かでしょう。
 釈尊滅後における現実の仏法流布を見ると、実大乗の法華経が広く尊崇される以前に、爾前・権教が重用された。
 斎藤 教法流布の先後があったわけですね。爾前・権教は、いわゆる小乗と権大乗に大別できます。
 あえて単純化をおそれずにいえば、このうち主として正法時代にインドで隆盛した小乗の諸派は、厳格な戒律を遵守し自己を陶冶する修行を重んじました。いわば「自力」重視です。
 仏教誕生当時、それ以前からインド社会で精神的支柱とされていたバラモン教が形骸化し、世襲的聖職者による儀礼を偏重し、内面の陶冶をなおざりにしていました。自力重視は、それへの強烈な"異議申し立て"の面があったといえるでしょう。
 池田 「生まれ」ではなく「行い」によって人間の尊厳は決まる――『スッタニパータ』など最古に編まれた経典を見れば、釈尊自身がこう主張している。
 自力重視は元来、一人の人間としての振る舞いに注目することであり、極めて人間主義的なものであったといえるでしょう。
 斎藤 しかしながら、やがて、その自力重視が変調を来たします。厳格な修行の重視が、出家者偏重さらには在家者蔑視までも生み出してしまったのです。
 在家の人は、今世では出家者に供養をして善根を積み、その功徳によって来世にようやく出家して仏道修行を行うことができる――このような差別的な考え方も生れてきたのです。
11  池田 そのような弊害に対抗して、釈尊の掲げた人間主義の復興を求めて、大乗仏教が興起したのだね。
 大部の大乗経典の一つ『大般若経』には、常啼(サダープラルディタ、常悲とも)菩薩のエピソードが説かれている。
 常啼菩薩は、その名の通り、常に啼いていた菩薩です。
 なぜ啼いていたのか?――それは、仏の存在しない世で、経典や真の聖者も存在せず、社会全体が正義に背き悪に染まっていることを悲しんだからです。そして、人々を教え導き救う法を求めていたからです。
 その求道心に応じて空中から声がして、東方にいる法来(ダルモードガタ)菩薩に教えを請え、と教えます。常啼菩薩は、法来菩薩を探し求めるとともに、自分の身を売って供養の品を調達しようとさえします。
 そして、この文字通り身を賭しての求道によって、仏法を聞くことができたのです。
 森中 大聖人は、常啼菩薩が身を売ってまで法を求めたことは、雪山童子などのエピソードなどとともに諸御抄で言及されています。
 池田 このように大乗では「求道の心(=菩提心)」が強調されている。しかし、それを強調するあまり万人が実践するにはあまりにハードルが高いものとなりかねない。
 したがって、理論上では万人に仏道が開かれたとはいえ、事実上は、強固な志をもち苛烈な修行を実践できる特別な存在が、菩薩として、あるいは仏として、他の多くの人々を救うということになる。
 そのため、大乗の諸経典では、さまざまな超人的な能力をもつ菩薩が説かれ、また超越的な仏の荘厳な姿が描かれます。
 世親など、正法時代の末にインドに登場した菩薩たちは、人々を救う菩薩として生きようと崇高な誓願を立てていますが、現実の多くの人々は、その仏・菩薩の力を頼り、すがるしかないのです。
 像法時代に仏教の中心となった中国では、庶民の間には、西方浄土の阿弥陀仏や兜率天にいる未来仏の弥勒菩薩や、さまざまな姿を現じて人々に現世での利益を与える観音菩薩をはじめ、種々の仏・菩薩に祈願する信仰が広がった。
 また、諸王朝の王・皇帝たちは仏教に護国の祈祷を望み、唐の時代に加持祈祷を売り物とする密教が到来してからは、一段と盛んに行われたようだ。
 森中 正法時代のインドの「自力」偏重に対して、像法時代の中国は「他力」偏重といえるでしょうか。
 斎藤 中国でも一部には、戒律を遵守し禅定に励むという厳格な修行を求める人々が出ます。律宗や禅宗はそういう要請の中で隆盛してくるのですが、やはり出家主義にならざるをえず、多くの民衆は聖職者にすがるしかありません。
 池田 正像を通じて、またインド・中国にわたって、民衆にとっては、釈尊の仏法は、闇の外から光を与え救済してくれる教えであった。
 確かに、闇の中にいる人間にとっては、偉大な者による救済の教えは、「安心」と「希望」の光である。しかし、それでは無明の闇は破れない。外なる偉大な者にすがっている限り、自身の尊厳の自覚は生まれない。また、そのために起こる底知れぬ無力感からは決して脱け出せない。
 爾前・権教では、末法の無明という深い闇を破ることはできないからです。
 むしろ、それらの教えは、自身の心と時代を覆う闇の深さを気づかせる。根源的な悪への自覚・反省を促す。しかし、その罪業の消滅は、偉大な神仏の力に待たざるを得ない。
 森中 悪を自覚した人は、その分、無自覚のまま悪を積み重ねる人よりはましといえるかもしれない。しかし、悪を解決する方法を自らはもたないと知る分だけ、苦悩は一段と深まるのではないでしょうか。
12  池田 釈尊は、確かに偉大であった。法華経は、その偉大な仏の生命があらゆる生命に具わり、妙法を根本にすれば誰にでもいつでも開かれることを明かしているのです。
 ところが、釈尊滅後には、"あれは釈尊ならではのことだ""私たちは違う"と弟子たちは思い、また人々にもそう語った――。
 斎藤 法華経に説かれる久遠の仏をはじめ観音などの菩薩や諸天善神もすべて偉大な利益をもたらす救済者としてしか、とらえられていなかった面が強い、といえるでしょう。
 まさに根源の悪、無明・謗法の毒に負けてしまったのですね。
 池田 生命の内なる永遠の大法、本因本果を見失ったのです。
 斎藤 その結果、一つには、自身の心に本来ある法を見失い、外に求めるという誤りに陥る。それが、念仏に代表される他力の信仰ですね。他者依存、現実逃避の誤りに陥ってしまう。
 また、自身の心の真実の法を見失い、そうでないものを本物だと思って執着してしまう誤りもあります。それが、真実の自己でないものをそうだと思い込んでいた釈尊当時の諸宗教家や、「未だ得ざるを得たり」と慢心を起こしている禅に代表される自力信仰ですね。幼児的全能感、自我肥大の誤りに陥ってしまう。
 森中 大聖人が立宗後、早い時期に、念仏と禅を破折されたのは、この両極端の誤りに気づかせ、法華経が説き示す生命の真実、内なる妙法に目覚めさせるためであったかもしれない――そのように拝察します。
 池田 太陽の仏法は、宗教としての質が、人類史の中で今までとはまったく異なる。大聖人は、そのことを世界に宣言された。
 念仏型の他力偏重の陥穽にも、禅型の自力偏重の陥穽にも陥らない。まさに絶妙に中道を示されたのです。
 太陽は、すべてを平等に照らし出す。
 同様に太陽の仏法は、生命の善も悪も明るみに出す。そして、善の種子を芽生えさせ大きく育て、悪の種子を根絶させていくのです。一人ひとりの生命を妙法の福田に変えていくのです。そして、社会に、世界に、妙法の人華を爛漫と咲き薫らせていくのです。
 人間革命、立正安国、世界広宣流布こそ、太陽の仏法が目指すものです。
 法華経の心を説く太陽の仏法は、一人ひとりが自発・能動で開く宗教です。一人ひとりが太陽になる仏法です。
 法華経は、末法に上行菩薩をはじめ地涌の菩薩が現れ無明の闇を照らすと宣言している。大聖人は、その仏の予言を実現し証明するのは御自身であるとの崇高な使命を述べておられる。
 森中 弘安2年(1279年)の「右衛門太夫殿御返事」では、先に挙げた神力品の文を引いて「此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり」と仰せになり、右衛門太夫すなわち池上宗仲に対しても「貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし」と激励されています。
 池田 大聖人は、死身弘法の闘争で、私たちと同じ凡夫の身のまま成仏の大境涯を示された。
 それは、大聖人を手本とすることによる万人成仏の道が開かれたということです。
 しかし、自身の尊厳を根本的には信じていない人間は、大聖人を疑い、"増上慢だ、身のほど知らずだ"と非難し迫害を加えた。
 森中 大聖人を迫害した当時の僧俗は、勧持品に説かれる三類の強敵、不軽菩薩を迫害した上慢の四と同じですね。
 いずれも、自他の無限の尊厳を説く正義の人を迫害し、自身の尊厳をますます損ねるという決定的な誤りを犯しています。
13  池田 大聖人は、人々の根源の闇である無明・謗法を打ち破る妙法を御自身の御生命に覚知された。大聖人の胸中には妙法の太陽が昇り、赫々と輝いておられる。
 「寂日房御書」には、先の神力品の文をふまえつつ「日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし」と仰せです。
 竜の口の法難を機として、末法の一切衆生を救う根源の妙法を覚知された御本仏の境地を開き顕されたからこそ、その妙法で必ず一閻浮提すなわち全世界を救わんとの「仏法西還」を宣言された――そう拝察したい。
 「仏法西還」の御宣言は、御自身の大確信の表明でもあった。仏界顕現の証明でもあった。
 斎藤 そして、大聖人は、竜の口の法難における発迹顕本を経て、万人が御自身と同じく仏界を開くための修行の対境として、漫荼羅本尊を建立されます。
 池田 "根源の太陽は、我が生命の内に輝く"――。御本尊は、その生命の真実をありありと感得するための鏡です。
 末法の闇を破る太陽とは、別しては地涌の菩薩の棟梁である上行菩薩であり、その再誕として生き抜かれた大聖人であられる。
 しかし、その大聖人と「同意」――同じ心で、末法で広宣流布に励む人は、総じて地涌の菩薩であり、「太陽」であり「蓮華」なのです。
 今、日本も、世界も、先が見えない深い闇が覆っている。だからこそ、私たちの使命は大きい。
 闇が深ければ深いほど、「太陽の仏法」が光り輝くのです。
 戸田先生は詠われた。
 「雲の井に
   月こそ見んと願いてし
  アジアの民に
   ひかりをぞ送らん」
 人々の胸中に太陽を送る戦いです。大勢の人々を救っていくチャンスです。
 そのために私どもは、願って、この世に生まれてきた。その根本の誓願に、生きて生きて生き抜く以外にない。
14  太陽の仏法は「現実変革の宗教」
 池田 太陽の仏法は、万人を無作三身、本来ありのままの仏として開いていく。ゆえに「やすやすと仏になるべし」と仰せです。
 大聖人は、釈尊ほどの仏になること自体は簡単なことだと仰せです。
 「如我等無異とて釈迦同等の仏にやすやすとならん事疑無きなり
 「如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり
 それが御本尊の功力です。末法の一切衆生を救う大良薬であるが故に、だれびとも成仏することができる。
 森中 それにしても、そこまで簡単だと言われると、かえって拍子抜けするというか……(笑い)。
 池田 いやむしろ、本当の仏道修行の真価は、それからだということです。
 宗教の質が違うというか、ある意味で、それまでの「月の仏法」は、自身が仏になることが最終目標でした。
 斎藤 実際には、それすらもおぼつかないわけですが。
 池田 ところが日蓮仏法では、成仏はたやすいことだと言われている。南無妙法蓮華経の大良薬があり、受持即観心の御本尊があれば、確かに、だれびとも仏界を涌現する。そこまでは「信」があれば、やすやすと実現することは確かです。
 しかし、問題は、どう「持っていくか」「持ち続けるか」という、「持つ」ことの内容です。
 森中 それで「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」ということですね。
 斎藤 日蓮仏法で、妙法を「持つ」ことは、法華経の行者としての実践を貫くことにほかなりません。
 池田 私たちで言えば、信心して、御本尊を受持して、仏勅の和合僧団である創価学会の中で広宣流布の実践を貫き通すことです。
 この広宣流布の実践とは、言い換えれば、胸中の仏界の太陽の輝きを、より多くの人に伝えていくことにほかならない。
 自身の胸中に仏界の太陽を昇らせた人は、その太陽の光を万人に注いでいく。それが「持つ」ことです。
 そのために「語りに語る」ことです。そこには「持ち続ける」という持続の困難さもあれば、光明を嫌う障魔の妨害もある。人々の無明の反発は想像を絶する労苦を生むこともあるでしょう。
 それでも、自らが太陽として輝き続けることが、「持つ」ことの本質です。
 森中 決して安直なものではない、ということですね。
15  池田 無明というのは、ある意味で光を吸い取っていくような力をもっている。人間の善性をあざけり笑い、善の人を人間不信の奈落の底に突き落とすことは日常茶飯事とも言える。
 斎藤 分かります。一例をいえば、国際政治を見ても、対話を積み重ね、忍耐と粘り強さで平和へ一ミリ二ミリと進んできても、時には、たった一発の銃弾が瞬時にして全面戦争に発展することも不思議ではありません。
 池田 だからといって、「平和への意思」を放棄したら、それこそ無明の勢力の思う壺です。
 もちろん、安易な善意などでは難局は乗り越えられません。
 1000人のうち999人が人間不信の穴に転落しても、「それでも私は、人間を信じる」と言い切る強靭な魂のバネを働かせていく。
 仏界の太陽とは、そうした根源の精神性の力です。追い詰められれば追い詰められるほど、はねかえしていくバネがなければ、生命が濁りゆく末法で人間としての輝きを発揮することなどできません。
 森中 その強き心を支えるのが「誓願」の力ですね。
 池田 いかなる事態になっても、「にもかかわらず」「それでも」「だからこそ」とはじき返す強き心。それが即ち仏界の力です。末法という濁世の中で、仏界の輝きを持続するための「信力」は、誓願の力によって強化されていくといえます。
 瞬時に仏界を涌現することは、日蓮大聖人の仏法では簡単なことです。というよりも、そうした仏界涌現の確かな軌道を大聖人は築いてくださったのです。その軌道に乗れば、仏界を胸中から涌現することまでは「やすやすと」できるのです。
 大事なことは、それを現実の中で貫いていくことです。仏界を覆わんとする無明の闇に包囲されても、仏界の太陽の輝きを失わずに絶えず進んでいく。それが、日蓮仏法の仏道修行であり、広宣流布の実践です。
 森中 言わば、「仏になる」という「月の仏法」の目標は完遂して卒業して、その仏の境地の偉大さを現実の世界で発揮していく。それが「太陽の仏法」の課題ですね。
 池田 仏になることはたやすく、仏の生命を輝かせ続けることが難しいのです。仏の生命の輝きを持ち続けてこそ、真の仏であるとも言えます。
 斎藤 明快に宗教の目的が違うということですね。十界論でいえば、「九界から仏界へ」という従因至果の方向性をとるのが月の仏法で、「仏界から九界へ」という従果向因の方向性をとるのが太陽の仏法ですね。
16  池田 「月の仏法」は、目覚めた仏が衆生をその光で照らそうとした。また、仏道修行者は、月の光に照らされて、六道から二乗、二乗から菩薩へ、そして仏へと遥かな山道を登っていった。
 しかし、末法の無明の時代を照らすためには、根本的には信仰を自覚した一人ひとりが胸中に法性の太陽を昇らせるしかない。万人が太陽と輝く以外に、末法の深き闇を晴らすことはできない。
 そして、目覚めた民衆が、胸中に太陽を赫々と昇らせ、慈悲の光明を万人に照らしていこうと立ち上がる。その目覚めた民衆のスクラムが広がって、点から線、線から面へと慈悲の光明が拡大していく。
 太陽の光明で百花が繚乱と咲き誇るように、仏法の光明は、人々の慈悲と智慧をはぐくみ、人間性の開花をもたらします。その「人間の善性のスクラム」が地球上に広がれば、人類の境涯が変革されていく。
 日蓮仏法には、現実変革の無限の可能性がある。民衆の中に仏や菩薩の境涯を確立し、真の平和を実現していくことが宗教の目的です。
 森中 全人類を幸福にしていこうという希望と責任感――それが、大聖人の仏法西還の教えに脈打っている心ですね。
 池田 一言で言えば「万人の平和」を目指す「善性の触発」であり、「善性の連帯」です。無明を破り、法性を開いていく一人ひとりの生命変革を基盤にしつつ、対話と理解の輪を忍耐強く拡大していくことです。
 大聖人は「地涌」について、「一人立てば、二人、三人、そして百人と次第に広がっていく。これが地涌の義である」と言われています。
 また、「地とは我ら衆生の心である。涌出とは、広宣流布のときに全世界の一切衆生が法華経の行者となることを言うのである」とも仰せです。
 誰もが心の大地に妙法蓮華の花を咲かせることができる。そして、誰もが法華経の行者となりうるのです。
 そう信じて、語りかけていく「開かれた心」「開かれた行動」が大切です。
 太陽の仏法が持つ「開かれた心」こそ、人間主義の宗教として世界が待望している。
 無明の闇に太陽の仏法を――これが私たちの使命です。あらゆる人が生命の奥底では太陽の仏法を待ち焦がれているのです。

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