Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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善性を促す仏法者の「振る舞い」  

講義「御書の世界」(下)(池田大作全集第33巻)

前後
2  池田 末法の悪世においては、折伏のような、魔性と戦う決然たる信心がなければ、無明を破り、法性をもととして生きていくことはできないのです。
 しかし、その決然たる信心と実践があれば、生活の万般がすべて、法性をもととして生きていく修行の場になるのです。
 森中 それが信心即生活であり、仏法即社会ですね。
 池田 そう。生活が即ち仏道修行なのです。
 森中 考えてみれば、折伏は、自他ともの仏性を信じ抜く行動です。折伏以外にも、部員を妙法の人材にと思って日々繰り広げている学会活動も、友好対話の活動も、すべて自他の仏性を開発していく実践といえますね。
 池田 「自他の仏性を信ずる」という信念に立って、「人を敬う」行動を貫き、広めてきたのが創価学会です。
 社会がひずみ、人間が疎外される今の時代は、ますます「人間性」が問われる時代です。ますます、私たちの「人を敬う」実践の必要性が増してくる。そして、仏法の「人間性」とは、「自他の仏性を信ずる人の振る舞い」は、必ずや大きく光を放っていくことでしょう。
 森中 「人間性が問われる」といっても、何か聖人君子になることが求められているわけではありませんね。
 池田 そう。私たちの活動は、すべて、相手の生命にある仏性を信じるところから始まっている。
 といっても特別なことではありません。ともに仏性を開いて必ず成長しよう、必ず幸福になろうとの信念と努力があれば、ありのままの人間でいいのです。
 斎藤 人は、不愉快な思いをさせられたら、相手に対して怒りの気持ちを持つ。それは当然です。
 いやな先輩をみたら、ああはなりたくないと思うのも自然な感情です。
 言うべきことは言う。でも最後は切り捨ててない。題目を唱えていくなかで、どんな人をも包み込んでいける。それが仏法の智慧ですね。
 池田 いかなる時も、人間の仏性を信じて祈っていく。その境涯に立って振る舞っていくことが、仏法者の「人間性」の証です。
 その偉大な足跡を国境を越え、民族を超えて残してきたのが学会員です。今や、世界中で、「人の振る舞い」に徹しているメンバーが周囲や社会から高く称賛される時代になりました。
 斎藤 190もの国や地域に広まったのも、人間を尊敬する学会員の前向きの生き方の力によるところが大きいと思います。
 池田 人の善性をどこまでも信じ、開発しあっていく生き方にこそ、仏法が説く「人間性」の開花がある。それを大聖人は「人の振る舞い」と言われたのです。
3  釈尊の出世の本懐は「人の振る舞い」
 森中 はい。大聖人は四条金吾に「人の振る舞い」こそが仏法で目指すべき肝要であると教えられています。
 「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ
 〈通解〉――釈尊一代の教えの肝心は法華経であり、法華経の修行の肝心は不軽品である。不軽菩薩が人を敬ったのは、いかなることを示しているであろうか。それは、教主釈尊の出世の本懐は人間としての振舞いにあるということである。あなかしこ、あなかしこ。賢明であることを人といい、愚かなことを畜生というのである。
 池田 それでは、この一節を精読することから始めてみよう。
 「一代の肝心は法華経」――まず、釈尊一代の教えの真髄は法華経であることを示すところから説き起こされている。
 改めて確認するまでもないが、法華経こそが全民衆を成仏させる教えです。「開仏知見」、すなわち万人に仏性を開かせて、万人を仏と同じ境涯にする。これが、釈尊がこの世に出現した根本目的です。
 森中 「如我等無異」ですね。
 池田 法華経とは、一言で言うと、「皆が仏なり」という思想であり、「皆を仏に」という実践を促す経典であると言えます。
 その考え方を敷衍して言えば、「人間を尊敬する」生き方を説いていると言える。
 森中 一方、万人を尊敬する生き方が十分に説ききれていない経典が、爾前権教です。爾前権教は、二乗や悪人・女人の不成仏を説いており、何らかの意味で「差別」を残しているからです。
 池田 皆成仏道の経典である法華経に説かれる修行の本質は何かを述べられているのが、次の展開です。すなわち「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」と仰せられている。
 いうまでもなく、法華経の教義の肝心は方便品と寿量品ですが、法華経二十八品の「修行の肝心」が不軽品であると断言されていることに、深い意義を拝することができます。
 森中 法華経には、「法華経を持つ」ことが全編通じて強調されています。また、五種の妙行、四安楽行など、法華経をどう修行するかは様々に説かれています。
 池田 そのなかで、大聖人は不軽菩薩の実践こそが法華経の修行の本質であると明言しておられる。
 斎藤 不軽菩薩の実践と日蓮大聖人の実践の関係についてはすでに確認しました。釈尊の久遠実成が説かれた本門寿量品以降に唯一、釈尊の過去世の修行の姿が明かされているのは不軽品だけであり、不軽の実践が久遠の本因の修行を示唆しているのではないか、ということも確認しました。
4  池田 この四条金吾への一節では、不軽の実践を末法の修行法として示されていることに注目しなくてはならない。
 もちろん、佐渡御書にみられるように、不軽菩薩の実践を貫くことは、難も必然であり、容易ではないことも、門下に示されている。そのうえで、不軽菩薩が「二十四文字の法華経」を唱えつつ、万人を礼拝していった姿を、末法の仏道修行のあるべき姿として示されたのです。
 そして、大聖人は、不軽菩薩の姿を「人を敬う」実践として意義付けられています。
 森中 不軽菩薩が唱えた二十四文字の法華経をあらためて確認しますと「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経557㌻)とあります。
 池田 「人を敬う」――これこそが法華経の中心思想であり、仏道修行の中心軸になければならないということです。
 私たちが折伏弘教をする根拠の文であるとも言える。
 不軽菩薩が万人を礼拝したということは、一人として成仏することのない人はいない、ということです。
 そして、それが分からないのが「無明」です。万人に仏性が具わることがわからないし、信じられないのです。
 森中 抽象的な「人間」は尊敬するが、具体的な「あの人」は知らないうちに軽蔑するということがよくあります。
 池田 それが人間の持つ「無明」の恐ろしさです。
 だからこそ、深い信念と不屈の勇気が必要です。
 何があっても、かけがえのない一人を悪から解放し善へと導く戦いに挑んでいく――その不屈の勇気が大切です。学会員は、折伏をはじめ、日々、さまざまな場面で、その勇気を鍛えておられる。だから強いのです。
 以前にふれたように、釈尊の成道の時の「梵天勧請」も、日蓮大聖人の立宗時の誓願も、"いかなる悪にも断じて退転しない"との宣言であられた。まさに不退の覚悟こそが悟りの核心であると拝したい。
 無明の闇に覆われた世界にあって、悪に染まらず、しかも悪と徹して関わり破折し善へと導いていく――。言うならば、それは、急勾配の尾根を、人間不信に傾斜するあらゆる誘惑に打ち勝ち、前進していく険しき道です。「如蓮華在水」の断固たる信念が不可欠です。
 一切の不信への誘惑を断ち切る厳然たる信念が法華経の万人成仏の旗です。
 何度でも強調するが、無明の誘惑ほど根深いものはない。法華経での例を挙げると、智慧第一の舎利弗が、爾前権教で成仏できないとされていた自身が法華経で未来成仏の記別を受けた後であるにもかかわらず、同じく成仏から遠ざけられていた女性の代表である竜女の即身成仏を簡単に信じられなかったほどです。
 森中 「人間を尊敬する」という生き方は、それだけ大変なことなんですね。
 池田 またカントの例を出すが、カントは若いときから優秀な研究者であった。知識を増やすたびに満足を覚えていたが、心の底では知識がない民衆を軽蔑していた。そのようにカント自身が告白している。
 あるとき、ルソーの本から「人間を尊敬する」ことを学び、目覚めたという。そして、それ以前の自分を大いに恥じた。
 その結果、「すべての人々に価値を認めて、人間性の権利を樹立できる」ということを信じられないようなことがあれば、自分を「無用の者」とみなそう、と決意しています。人間を尊敬できなければ、どんなに知識を得ても意味がないということです。
 この時の回心によって、カントは単なる知識の研究者から、人間を尊敬する真の哲学者に飛翔したのです。
 人間の生命には人生を破壊する無明もあれば、人生を素晴らしいものにする法性もある。そして、無明に狂わされていく弱い心もあれば、法性のままに力強く生きる、強く澄んだ心もある。その法性を現すことのできる心が仏性です。
 日蓮大聖人は、悪世に生きる一人の凡夫が仏性を働かせ、法性というべき人間性の大輪の花を咲かせるために、御本尊を顕してくださった。
 大聖人が御本尊を残されて、万人が平等に尊極な存在であることが示され、それを現実の生活の中で実現してきた偉大な創価学会員がいるから、こうして「人間尊敬」の道が広がってきたのです。
 御本尊の大功力が、どれだけ尊極か。創価学会の実践が、どれだけ偉大か。それを忘れてはならない。
 この人間尊敬の道を歩めるからこそ、人生は意味があるのです。そのための修行です。不軽菩薩のごとく「人を敬う」修行を積み重ねてこそ、各人が人生の意義と幸福を体得していくことができる。
 斎藤 それが、私たちの折伏行であるということですね。また、学会活動もそうですし、広げていけば私たちの友好活動もすべて「人を敬う」実践です。
5  池田 そう。それこそ、究極の修行です。
 日蓮仏法の信行学の修行に当てはめれば、万人の仏性を信じ抜くことは、法華経・御本尊への「信」の実践にほかならない。
 「行」もそうです。まず、自分自身の仏性を顕現するための勤行・唱題であり、そして、何よりも、万人の仏性を顕現するための弘教です。
 そして、人間尊敬の哲学を学ぶことが「学」である。
 森中 日顕宗が日蓮仏法と対極にあることがよく分かります。日顕宗は徹底した差別主義を説きます。極端にいえば、一日早く出家したかどうかで上下関係が永久に固定的になるという宗教です。そして在家を見下す。日顕には「人を敬う」気持ちは皆無であると断ぜざるを得ません。
 斎藤 学会は、まさに、「教」と「行」が一致しているからこそ、偉大なる一生成仏と広宣流布の「証」が伴ってきたと思います。
 池田 そう。大聖人は「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰せです。
 不軽菩薩が人を敬う実践を貫いたのは、なぜか。それは、教主釈尊の出世の本懐が「人の振舞」にあるからだ、との仰せです。
 言い換えれば、「人の振舞」を離れて仏法は存在しないということです。
 「実相は……必ず十界十界は必ず身土」です。妙法は現実の十界の衆生と国土に顕現していかなければ、ただの観念であり、人々に何の価値も生まない。
 現実の生きとし生けるものの振る舞い、姿、行動の中に仏界を躍動させていくことが、仏法の根本目的です。
 斎藤 その「人の振る舞い」も、これまで確認した通り、仏界の涌現であり、万人の仏性の開発ですね。
 池田 そうです。自他の仏性を信じ、顕していく振る舞いこそが、仏法の人の振る舞いです。同時にそれが、私たちが進めている「人間主義」の基盤となる。
 森中 私たち学会員が、弘教や友好活動、組織活動を通して、「一人」の友のために汗を流し、その人の仏性の涌現のために努力を惜しまない行動こそが、真の「人の振る舞い」になるということですね。
 池田 自らの仏性を開発し、他の人の善性を促す行動は、すべて、ここで仰せの「人の振る舞い」になります。仏法者が、そういう行動をしていくことが「教主釈尊の出世の本懐」です。つまり、私たちの行動そのものが、仏法の目的であり結論だということです。
 それを大聖人は、四条金吾に分かりやすく説明するために、最後に「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」と仰せなのです。
6  賢人としての生き方
 斎藤 この「賢人」という言葉は、大聖人の仏法を理解するうえで重要なキーワードであると言えますね。
 池田 仏法といっても、法だけを説明すると、ともすると抽象論になりかねない。その法の顕現は、具体的な「人の振る舞い」のなかにある。その「人の振る舞い」を当時、分かりやすく表現したものが「賢人」の生き方ということです。
 仏性を信ずる「信」は「以信代慧」で、「智慧」になります。その智慧で、善の道を歩み続ける人が「賢人」です。
 そしてその対極にある働き、すなわち、妙法を信じられない根本的迷い、そして悪へ悪へと向かわざるをえない衝動が「無明」です。その無明に支配され、悪に向かう愚かな生き方を「畜」と仰せです。
 森中 「畜」とは、十界論でいう畜生界、癡(愚か)の生命の代表ということですね。実際の自然界を見ると、賢い動物はいくらでもいます。現代的には一番愚かな動物が人間という見方もできます。(笑い)
 池田 「愚者になるな」「賢人になれ」――平易な表現ですが、仏法の精髄を当時の人々に一番分かりやすい形で表現されたものと拝される。
 さて、大聖人は四条金吾に、具体的にいかなる「賢人の道」を示されたか。結論を言えば、大聖人は、四条金吾に対して、”決して、短気になるな””周囲の人を、どこまでも大切に”といった角度から「人の振る舞い」について、種々、御指導されています。
 そのことを理解するためには、当時、四条金吾が置かれた状況をふまえる必要があるね。
 森中 はい。四条金吾の人生で一番苦境の時に与えられた御指導です。四条金吾といえば、竜の口の法難で大聖人のお供をして、師匠と共に命を賭けた行動が有名です。
 斉藤 そうした剛毅な性格とともに、短気な性分ももっていたようです。
 池田 一本気な性格のため、どちらかというと、周囲の人と協調するのがうまくいかなかった面もあったようだね。
 森中 苦境の発端は、文永十一年(一二七四年)九月ごろ、四条金吾が主君の江間氏に対して本格的に折伏したところから始まります。
 斉藤 日蓮大聖人の身延入山後の話ですから、あるいは、鎌倉の広宣流布を自分たちで頑張ろうと決意してのことかもしれません。
 森中 しかし、そのことがきっかけで主君の江間氏から不興をかいます。
 池田 決して四条金吾は江間氏に信用されていなかったわけではない。むしろ、大変に重用されていたとも言える。金吾自身、親の代から江間氏に仕えていて、大事の時には命を賭して主君を守っている。そうした信頼があるからこそ、大聖人の竜の口の法難の際にも金吾には特段のとがめがなかったし、むしろ、佐渡へ訪問することさえも許されている。金吾自身が絶大な信頼を勝ち得ていたことは間違いない。その金吾が苦境に陥らざるをえなかった背後には、極楽寺良観の画策もあったようだ。
 斉藤 はい。この後、やはり池上兄弟の勘当事件が勃発します。
 大聖人が身延に入山されてから、良観が主要な門下を陥れようと動いていたことは間違いありません。池上兄弟の父・康光も、江間氏も、良観の信奉者とも言われます。
7  池田 いずれにしても、四条金吾としては満を持して主君を折伏していった。ところが、そのことを聞かれた大聖人は、”これであなたの与同罪は免れたのだから、これより後は、口を慎んでいきなさい”と御指導されている。(御書1133㌻、趣意)
 何か四条金吾の報告に心配な面があったのかもしれない。短兵急な折伏ではなく、ますます信頼される存在になりなさいとの御指導とも拝せます。
 さらに大聖人は、具体的に、”ますます用心していき・なさい””いよいよ人から憎まれるかもしれませんよ””とくに、あなたは酒の席で十分用心していきなさい”と、指導されています。
 そして、その大聖人の心配が的中して、四条金吾は主君から遠ざけられて、同僚たちからも讒言や悪口をされるようになる。
 斉藤 半年後には「大難雨の如く来り候」と金吾自身がぼやくほどの状況になったようです。この時は、大聖人から「此経難持」を教えられ、「成仏は持つにあり」と御指導されます。
 池田 翌建治二年(一二七六年)六月には、有名な「衆生所遊楽御書」で、「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず」とも指導されています。
 陰に陽に同僚たちからの非難が激化していることが分かります。
 おそらく正邪を峻別していく金吾の性格ゆえに、同僚たちとの人間関係がうまくいかなかったのでしよう。主君から不興をかっている今、さまざまな妨害が加えられたと推察されます。
 斉藤 具体的には、命を狙われかねないととろにまで事態は深刻化していたようです。翌七月の御書には、”同僚たちと夜中の酒盛りはしてはならない””夜中の用事に対しては三回までは仮病を使って、うかつに外出してはならない”など細かく注意されています。(御書1147㌻、趣意)
 そして、このころから所領替えの話が出てきます。
 池田 それに対しても大聖人はとまやかに指導されています。”もし所領が変更になって遠い場所になれば、いざという時に鎌倉の主君のもとへ駆けつけることがむずかしいから、たとえ所領がなくなっても主君のもとを離れることはありません”と言い切りなさい、と助言されている。(御書1150㌻、趣意)
 斉藤 その後、今度は、四条金吾は、主君に対して訴訟を起こすことも考えていたようです。相当、精神的に追い詰められていたというか、金吾にとって納得のいかないことがあったのだと思います。
 当時、鎌倉武士にとって、領地を巡る訴訟は日常茶飯事だったとはいえ、よくよくの出来事があったのかもしれません。同僚たちの讒言に主君が乗ってしまった面もあるようです。
 池田 それに対して、大聖人は慎重に処することを教えられている。主君には、これまでさまざまな「恩」があったではないか、と諭されている。そのうえで「八風」に侵されない生き方を教えられています。
 「利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽」。この一つ一つに、惑わされてはならないと仰せです。
 斉藤 なかなか、凡夫にはむずかしい面も感じられます。衰えや譏り、苦しみには当然、弱いが、利いや楽しみにはさらに弱いというか。(笑い)
 池田 法性を根本にしていけば、とのような毀誉褒貶はすべて善を促す契機になります。逆に、無明に支配されていれば、悪に陥る契機になってしまう。心こそ大切です。
 大聖人が四条金吾に対して、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへさせ給へ」と仰せられているなかに、重要な意義が込められています。苦しい時も、うれしい時も、妙法を唱えて前進していく。その姿こそが人生の達意の生き方です。そのなかで、一切の苦悩を払っていくことができる。
 斉藤 大聖人は、四条金吾に対し一貫して、「賢人」の生き方を示されながら、どう振る舞っていくべきかを御指導されていますね。
 池田 今で言えば「賢明に生きなさい」という慈父の指導です。言うなれば、妙法を持った私たちにとって真の賢人とは、「自身の仏性」をどこまでも信じぬいていく人のことです。
 大聖人は、池上兄弟には”団結と忍耐”、松野殿には”怨嫉の戒め”、青年の南条時光には”人間としての成長”を指導されている。
 その人の性格や課題によって指導の内容は異なるが、全部、「人の振る舞い」を教えられているのです。
 森中 四条金吾は、筋の通らない話は嫌いで、つむじを曲げることもあったようです。
 池田 しかし、その反面、本当にこまやかに同志のことを心配している。ただ、どうもそれがうまく表現できない。
 どこの組織にも、”うちの支部の四条金吾さん”みたいな人がいるんじゃないかな。(笑い)
 斉藤 はい。やはり四条金吾は壮年部の先達と言えますね。(笑い)
8  池田 大聖人は、そうした金吾の性格を知悉されていた。大聖人のためなら命も惜しまず、殉教を覚悟してお供するまっすぐな性格の反面、おそらく、ごちゃごちゃした人間関係が嫌いだったと思う。
 根回しべたというか、配慮がないというか。「ひとこと」多かったり、少なかったりで失敗を重ねてしまったのではないかな。
 森中 大聖人は門下のことをよく御存じですね。御書を拝していると、だれとだれが仲が良いとか、だれが怨嫉しているとか、大聖人は細かく把握されていると思います。
 池田 組織といっても「人」です。まして、広宣流布の組織は、利害でも名誉でもなく、「信心」による人間の麗しい団結によって前進していく。ゆえに、「人」を深く知っていくことが、広布の組織の指導者の要件です。無知は無責任の結果です。
 斉藤 おそらく大聖人のもとには、こと細かく弟子たちから情報が入っていったと思います。というよりも、大聖人がこと細かく弟子に尋ねていかれたのでしょう。あの膨大な御手紙も、一通一通、相手の状況や心の思いをよく御存じだから、こと細かく認められていくことができたのだと思います。
 池田 日蓮大聖人の御手紙には「人間学」の真髄があります。それ自体が大聖人御自身の「人の振る舞い」と拝したい。
 ともあれ「人の張る舞い」の根底は、慈悲です。相手のことを真剣に思うから、他者の善性を育む智慧が生まれる。
 成長のために、相手の善性が開かれていくのを見守る必要もあるし、時には、その善性の開発を妨げるものを取り除くために強く言わなければならないこともある。いずれも、慈悲の振る舞いです。
 大聖人は四条金吾に対して、信心の決意についてはあまり心配されていない。けれども、人間として大成していくために、失敗しないために、賢人として生きていきなさいと真心の指導を重ねられている。
 ありがたい師匠だと、四条金吾もつねづね感じていたと思います。
 森中 そうしたなか、事件はいよいよ、最大の山場にさしかかります。建治三年(一二七七年)六月、ついに所領没収の危機が訪れます。
 事件の発端は、桑ヶ谷問答でした。これは、極楽寺良観ともつながっている竜象房という坊主が鎌倉で一世を風靡していました。その正体を暴こうとして、大聖人の弟子の三位房が皆の面前で法論を挑み、完膚なきまでに破折を加え、負けた竜象房が失綜せざるを得なくなるという出来事がありました。
 ところが、良観一派の謀略でしょう。”四条金吾が徒党を組んで竜象房の法座に武器を持って乱入した”という風聞が鎌倉中に広まっていきます。
 斉藤 真相は、四条金吾は三位房に誘われて、その法論の座に同席しただけです。負けたはらいせというか、面子を潰された恨みというか、恐るべき担造です。ところが、ついに、江間氏自身も動かされて、四条金吾に所領没収を迫ります。”法華経への信仰をやめれば許そう、その誓状を出すように”というものでした。
 しかし、金吾は断固として信心を貫く。その決意を大聖人にただちに報告する。大聖人は、その御返事を認められるとともに、主君への陳述書(「頼基陳状」)を代筆されて、いざという時はこの書を出すように指示されている。
 その中には、良観一派がどれだけの悪人であるかを記すとともに、日蓮大聖人の正義と真実が堂々と記されています。
 心ある人が見れば、正邪が明確になる書状です。実際には出す機会がなかったようだが、大聖人はみずから反転攻勢の大言論戦を展開されようとしたのです。
 いずれにしても、大聖人は、四条金吾が絶対に法華経を捨てないと決意したことを最大に称賛されている。
 そして「一生はゆめの上・明日をせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず」と仰せられています。
 仏法者にとって、「法華経にきずをつけ給うべからず」という以上の「自律」はありません。
 自分の信ずる「万人成仏」の経典に傷をつけることは、自分自身の「仏性」をないがしろにすることに通じる。法性をもととして生きるか、無明に支配されて生きるかの境界を成すのが、法華経への信なのです。
 斉藤 「法華経に傷をつけてはいけない」「人間尊敬の法を最大に尊重する」というのは、どこまでも内面的規範ですね。
9  池田 当然、そうなります。法華経に傷をつけるということは、法華経への信から不信へ、そして謗法へと転落することです。それを「きず」と言われているのは、所領が惜しくて、善から悪へ、法性から無明へと一念を変えてしまうことほど愚かで恥ずかしいことはないからです。
 この根本の戒めを四条金吾はまっすぐに実践したことでしょう。大聖人から御覧になれば、後は、状況に即して具体的な諸注意をしていけばいい。そうした注意を本当に細かく、次々と記されていきます。
 心さえ善の方向に定まれば、あとはそれを貫いて、勝ちきっていけばいいからです。
 森中 寄り合いに行つては危ない、夜はとくに用心しなさい、夜回りの警護の人と仲良くなっていきなさい、という注意を重ねてされています。
 池田 そうした諸注意を繰り返されながら、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし」と、明確に基準を示されています。
 仏法は勝負、世間は評判です。みずからが悪に勝ってこそ仏法が証明できる。そして、世間においては信用を築き、実証を示していくことが大切です。
 師弟不二で、師匠の仰せのままに戦った金吾が大逆転の勝利劇を示すのも、この直後だったね。
 森中 はい。当時、鎌倉で疫病が流行し、主君の江間氏も罹病します。結果として、四条金吾がその主君を看病し、それがもとで信頼を回復していきます。
 不思議なことですが、讒言していた人たちもこの病気にかかってしまいます。いずれにしても、主君の信用が戻ることで、金吾を取り巻く状況は変化していったようです。そうしたことが「崇峻天皇御書」(御書1170㌻、趣意)から読み取れます。
10  「心の財」第一
 池田 事態の好転を確かな勝利に結びつけていくために、大聖人はさらに具体的な諸注意を重ねられる。"ますます敵に狙われるから、絶対一人きりになるな"とか、"あなたは、短気な顔が表に出ているから注意しなさい"とか、師匠というものは本当にありがたいものです。
 "日暮れ時の家の出入りには十分注意しなさい"とか、"愚痴を人に言ってはいけない"などとさらに教えられたうえで、大聖人は、勝ちきっていくためには「心」が大切であることを強調されています。
 森中 はい。同抄にこう仰せです。
 「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心かりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし
 〈通解〉――人間の身として生まれてくることは難しく、爪の上の土のように機会が少ない。また、人間の身を保つのは難しく草の上の露のようにわずかな命である。120歳まで長生きして名を貶めて死ぬよりも、生きて一日でも名を上げることこそ大切である。「中務三郎左衛門尉は、主君のためにも、仏法のためにも、世間における心根も立派である、立派である」と、鎌倉の人々の口に賛嘆されるようになりなさい。穴賢・穴賢。蔵の財よりも身の財がすぐれ、身の財より心の財が第一である。この御手紙を御覧になってからは心の財を積んでいくようにしなさい。
 池田 「無明に支配される心」ではなく、「法性を根本とする心」すなわち信心を貫いて、世間の次元でも、仏法の次元でも勝利者になっていきなさいとの仰せです。
 「主の御ため」「仏法の御ため」「世間の心ね」とは、今日で言えば、"仕事のため""広宣流布のため""社会生活のため"という意味で、信仰と生活の全般を指すといえます。
 法性を根本とするがゆえに、何があっても善に向かう心は、このすべての場合に通じて、価値創造の原動力となるのです。
 しかも、それは独善的な思い込みでなく、必ず人々からの称賛として信頼を勝ち取っていきなさいということです。
 周囲の評価が定着してこそ本物です。
 「善に向かう心」は、必ず振る舞いや生き方に現れ、そして必ず世間の人々にも理解されていくのです。
 斎藤 座談会などで語られる学会員の無数の体験談をうかがいますと、まさにこの御書の仰せのとおりの姿だと思います。無数の勝利のドラマが日本、いな世界中のメンバーの振る舞いのなかから生まれています。
 池田 創価学会は「信心即生活」「社会即仏法」の正道を歩んでいるから、世間から信頼されている。生活と社会から遊離すれば、宗教は必ず独善となっていく。
 大聖人が、四条金吾に一貫して「賢人たれ」「社会や地域の勝利者たれ」と示されているのも、全く同じ意義と思います。
 また、信心している人たちが、そうした信頼の実証を示し、大勢がその信用の積み重ねをしていくことで、社会の土壌を変革していくことができる。
 森中 最近は、特に農村や離島で、そうした現象が顕著のようです。一つの信頼が生まれるまで、ものすごい時間がかかる地域です。十年二十年という単位で信仰が評価されている。しかし、一度、信頼が定着すると今度は空気そのものが一変する。信頼の大輪が広がることで広宣流布は加速しています。
 池田 無明に転落していく社会を、「人間尊敬」の仏性の世界へと転じていくためには、一人一人の「振る舞い」を通して、仏性を現した勝利の姿を示していくしかほかに方法はない。
 そこで、「自他ともの仏性を信じ抜く」という私たちの「心の戦い」が重要視されていくのです。
 斎藤 それが「心の財」ですね。
 池田 そうです。「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」との仰せは、重要な哲学であり、第一級の価値論として21世紀に再評価されていくことは間違いないでしょう。
 「心の財」とは、私たちで言えば、広宣流布のための誓願を持つことです。これ以上の「心の財」はありません。また、広宣流布の「心の財」を積んだ人は、最高の無上道の人生を歩むことができる。
 この道を幾百万の人、一千万人もの人が実際に歩み、踏み固めてきたからこそ、創価学会の一大実証が世界中から称えられる時代が到来したのです。
 この功徳は広大無辺です。その無量の功徳は、全部、戦ってきた学会員に帰着する。また、子々孫々まで伝わっていくことは間違いない。内薫外護です。「かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり」です。
11  斎藤 仏法がどこまでも自他の仏性を信じ抜く「人の振る舞い」にあることは、大聖人の他の門下に対する激励にも明確です。そこで他の門下の活躍も少し見てみたいと思います。私たちも頑張ったんだから、という声が聞こえてきそうなので(笑い)。
 まず池上兄弟ですが、大聖人が、池上兄弟に対して、具体的に、振る舞いについて教えられた御書があります。「八幡宮造営事」です。
 森中 兄弟の父が亡くなった翌年、弘安3年(1280年)10月28日に、鎌倉に火災が起こり源頼朝の法華堂、北条義時、時宗の法華堂が焼失しました。さらに翌11月の14日にも、鶴ヶ岡八幡宮が焼亡しました。
 当時の人々にとっては、精神的支柱となっていた幕府建設の功労者の廟や鎮護の神社であった八幡宮の焼失は、大事件であったようです。
 池田 池上家は代々、幕府の建築事業に携わってきた家柄のようだが、この時には、周囲の讒言によって、仕事から外されたようだね。
 斎藤 はい。兄弟には不満が残ったようです。
 池田 大聖人は、父から二代にわたって主君に仕えた身であるから、たとえ一度ぐらい任を外れても怨んではならない、と教えられます。更に、たとえ要請されても一度は辞退するのが賢人の道である、と諭されています。
 心が後ろ向きになることを戒められているのです。また前向きなとらえ方も述べられている。
 斎藤 はい。仏法上からは、八幡宮の炎上は一国謗法のゆえに諸天善神に捨てられた姿であり、根本の謗法を改めずに造営しても意味がない、と明かされます。
 そして、再び蒙古が攻めてきた時に、世間の人たちが大聖人の弟子である池上兄弟が建てたから諸天善神が用いず、難を受けるのだと非難するに違いない、天がそれを知っていて造営から外されたのだから、むしろ喜ぶべきであると教えられています。
 池田 懇切丁寧に世間と仏法の道理を示されている。そして最後に、大聖人は、具体的な振る舞いのあり方について事細かに指導されているね。
 森中 拝読します。
 「返す返す穏便にして・あだみうらむる気色なくて身をやつし下人をも・ぐせず・よき馬にものらず、のこぎりかなづち手にもちこしにつけて・つねにめるすがたてにておわすべし、此の事一事もたがへさせ給うならば今生には身をほろぼし後生には悪道に堕ち給うべし、返す返す法華経うらみさせ給う事なかれ
 〈通解〉――くれぐれも、今は穏便に過ごして、敵対したり恨んだりする様子をみせず、質素で目立たない身なりで、下人も連れず、良い馬にも乗らず、鋸と金鎚を手にもち腰に付けて、常に微笑んでいる姿でいなさい。このことは一つ残らず守りなさい。もし違えるなら、今世では身を滅ぼし、後生には悪道に墜ちてしまわれるでしょう。繰り返し申し上げますが、(もしそうなっても)法華経(この信仰)を恨んではなりません。
 池田 池上兄弟が大反対していた父をも入信させたことは、同業の人たちにも知れ渡っていたでしょう。
 また父を唆していた良観らは、悔しく思ったでしょう。良観は、幕府の土木・建築にもかかわっていたので、その策謀もあったのかもしれない。
 斎藤 大聖人門下に敵対する勢力が、迫害の機会を狙っていたところ、鎌倉の大火災からの復興という大事業が訪れ、池上兄弟が攻撃の的にされた――そういうふうにも考えられますね。
 池田 いずれにせよ、池上兄弟は、注目を集めていた。何かにかこつけて、迫害の糸口とされる危険があったのでしょう。
 それゆえ、大聖人は、兄弟に、隠忍自重を促されたのではないだろうか。
 森中 次に南条時光に対しては、大聖人は時光の信心を大いに賛嘆されるとともに、若き地頭として社会的に成長していくことを期待されていたようです。
 池田 ある時、儒教の「四徳」を教えられたが、これは社会人として立派になってほしいという期待が込められている。
 森中 四徳とは、「父母に孝あるべし」「主に忠あるべし」「友に合うて礼あるべし」「劣れるに逢うて慈悲あれ」の四つです。
 池田 儒教道徳を教えているのではなくて、「人間を尊敬する」姿勢を懇切丁寧に教え諭されていると拝することができる。
 要するに、父母に対しても、主君に対しても、友に対しても、弱い立場の人に対しても、よき心根でよき振る舞いを現していくことが大切である、と教えられているのです。その意味で、四条金吾に対する「心の財」の教えと共通しているといえるでしょう。
 森中 このほか、松野殿に対しては、何か同志への怨嫉があったようで、やはり不軽菩薩の実践を挙げて戒められています。
 池田 やはり、人間尊敬の視点からの戒めだね。
 斎藤 はい。不軽菩薩は、"一切衆生に仏性あり"として法華経を持っていない人を含めて万人を礼拝したのに、法華経を持つ同志をそしったりするのは、あってはならないことだ、と仰せです。
12  金吾・常忍の出家の願い
 池田 最後に、四条金吾や富木常忍が出家を願ったのに対して、大聖人は出家を思いとどまらせている。この点にも注目しておきたい。人間尊敬の問題は、心の問題であって、出家・在家の形態の問題ではないからです。
 斎藤 先ほどもあったように、四条金吾が、苦境へと陥っていた時です。建治2年7月頃には、よほど思い詰めたのか、引退して仏道に励む「入道」を考えていたようです。
 森中 大聖人は、四条金吾に対して、次のように仰せです。
 「おもひのままに入道にもなりておはせば・さきさきならばくるしからず、又身にも心にもあはぬ事あまた出来せば・なかなか悪縁・度度・来るべし、このごろは女は尼になりて人をはかり男は入道になりて大悪をつくるなり、ゆめゆめ・あるべからぬ事なり」と仰せです。
 <通解>――思いのままに入道にもなってしまうことは、先々のことであれば、よいでしょう。とはいえ、身にも心にも沿わぬことが、多く出てくれば、(出家・入道しても)かえって(仏道を妨げる)悪縁が度々、起こり来るにちがいない。このごろは、女は尼となって人を騙し、男は入道になって大悪を作っている。決して、そうあってはならない。
 池田 大聖人は、弱気になっている金吾に対して、入道することを賛成されなかった。形から入っても、心が変わらなければ、何も解決しないからです。肝心の心が鍛えられていなけば、形だけ髪を下ろし法衣を着ても、ついつい悪行を積み重ねてしまう。自身が変わらなければ、同じ失敗を繰り返す。
 大切なのは、弱い自分をしっかり見つめ、決して逃げることなく、真正面から戦い、なにものにも紛動されない確固たる自身を確立することです。悪と戦い、悪を打ち破り、宿命転換して、強い信心を確立することです。
 その一方で、大聖人は「殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり・悪人にやぶらるる事かたし」と大激励されている。
 金吾は、竜の口の頸の座に同行し殉教しようとした強信者である。また、師の正義を訴え戦う人であった。その功徳は誰人も決して破ることはできない――そう御断言です。
 人生には、浮き沈みがある。しかし、妙法に生き抜いて生命の奥底に積み重ねた功徳は、どんな時にも不滅です。大変な時こそ、この真実を深く確信して、粘り強く戦い抜くのです。
 苦難が生命を鍛え磨き、必ず福徳が光り輝いてくる。どんな立派な宝石も、原石のままで磨かなければ、光り輝かない。それと同じです。
 森中 金吾は短気な人でしたが、大聖人に度々、激励を受け、粘り強く戦いました。
 そして、ついには、主君の信頼を回復し、所領も増加し、鎌倉中の人々から賞賛を受けるようになりました。
 斎藤 富木常忍が出家を願った時にも、大聖人は同様に戒められています。
 常忍はすでに半僧半俗の入道でしたが、文永末から建治にかけて、金吾が苦労していたのと同時期に、富木常忍にも、身近にさまざまな悲しみが起こり、世の無常を感じていったようです。
 森中 主君の死、母の死、妻の病気などが重なりました。それで本格的な出家を願うようになったようです。
 斎藤 富木常忍は、建治3年(1277年)3月、大聖人に御手紙を送り、出家の願望を述べます。「不審状」と呼ばれるものです。
 その中で、自身の宿業を深く感じ、大聖人から遠く離れて暮らす自身を嘆き、大聖人のお側に仕えて仏道修行に専念したい、との願いを記しました。とともに、肉食の後に行水して読経することの可否など、修行の形の上で不審な点を確認しています。
13  池田 それに対する御返事が、「四信五品抄」とされているね。十大部の一つで、末法における法華経の修行のあり方を示された重書です。
 森中 同抄では、釈尊の滅後、悪世末法において、妙法を初めて信受する名字即の位の人には、無量の功徳があると示されています。
 斎藤 同抄では、形の上で「戒を持つ」ことは必要ではないことを諄々と説き示されています。
 当時、戒律復興運動が隆盛していました。常忍が肉食などを気にしていたのは、さまざまな出来事の中で、心が弱くなり、ついつい世間の風潮に流されていたからかも知れません。
 池田 それに対して、大聖人は、「解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位」は天子が襁褓(産着)をまとっているようなものであり、"爾前諸経のあらゆる修行者にも超え、諸宗の元祖にも勝る者である"と宣言され、「国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ」と訴えられている。さらには「我が門人等は福過十号疑い無き者なり」と、仏にも勝る大福徳の人である、と励まされている。
 大事なのは、"形"ではなく、"心"である――そう教えられているのです。
 法性を根本として、善に生きる方向を確立した人は、たとえ一介の庶民であったとしても最高に尊い。逆に、それができていない人は、たとえ諸宗の元祖であっても、位ははるかに低い。
 非常に大切な人間尊厳観です。「創価の人間主義」はこの人間尊厳観に基づいているのです。
 森中 大聖人は「人の心かたければ神のまほり必ずつよし」とも仰せです。信心強盛な人をこそ、諸天善神もしっかり守る。
 逆に、弱気は、不信につながり、福運を消してしまう。諸御抄に「臆病にては叶うべからず」(840,1917,1282㌻)と仰せのとおりです。
14  池田 仏道修行は、徹して悪との戦いです。無限の挑戦です。一歩も退くことなく、前進また前進です。弱々しい心では、魔に食い破られてしまう。
 世のはかなさを哀れんで、現実から逃避するために出家するのは、偽物の仏法者である。自分一人の悲哀を乗り越えられない者が、どうして万人の苦悩を解決する仏道を全うすることなどできようか。民衆の真っ只中にあって、自身もその一人として苦悩しながら、幸福への道を切り拓いていきなさい――大聖人はそう正しい生き方を示された、と拝したい。
 ここで再び、「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」の一節に戻りたい。
 自他ともの仏性の顕現のために生きる以上の「賢さ」はない。反対に、自他ともに無明を強めていけば「畜生」と同じになる。
 ガンジーはこう述べています。
 「暴力が獣の法則であるように、非暴力は人類の法則である。非暴力の精神は、獣の中では眠っている。そして、獣は肉体的力以外の法則を知らない。人間の尊厳は、より高い法則、つまり精神的力への服従を要求する」(『私にとっての宗教』訳者代表・竹内啓二、新評論)
 森中 人間を、けものと区別するのは、精神的高さにおいて、けものに勝ろうとする絶え間ない努力が必要だということですね。
 斎藤 まさにそうです。十界論で見ても、「人界」を維持することは、本人の絶えざる努力が不可欠です。
 自分に勝ち続ける努力なしには人界を維持することはできません。人間が人間であることを放棄すれば、たやすく三悪道・四悪趣に堕ちてしまう。だから、常に人間であり続けようと仏道修行に励む。これこそが最高の「戒」になるのではないでしょうか。
 池田 大聖人は、こう仰せられています。
 「すべからく心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき
 自他の仏性を信じ、ともに開き顕現して、馥郁たる妙法蓮華の花を咲かせていく。それ以上の人界の思い出はありません。
 仏性を自らの意志で開発することこそ、人界の最高の性分です。人間として生まれて、その最大の栄誉も果たせないまま、無明に覆われ三悪道・四悪趣に堕ちてしまえば、これ以上の損失はありません。
 「いまや人類は『分かれ道』に立っています。
 ガンジーが言うとおり、暴力という『ジャングルの掟』か、それとも非暴力という『人類の法』か、どちらかを選ばなければなりません」
 自他の仏性を信じ、非暴力の文明を築きあげていくか。それとも、自他ともに無明に覆われた暴力の野蛮を選ぶか。
 まさに、今、人類全体が岐路に立たされている。その地球規模の平和への選択に貢献する道こそ、仏法の「人の振る舞い」の大道であることを私は確信しています。

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