Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「民衆の幸福」「社会の平和」を開く「正…  

講義「御書の世界」(上)(池田大作全集第32巻)

前後
2  池田 『御書全集』の発刊も、戸田先生の深き発願がなければ、永遠に不可能な事業だったでしょう。日蓮大聖人が難を忍ばれ民衆の救済のために認められた御著作を、余すところなく正しく伝えていこうという誓願がなければ、とうてい刊行できるものではなかった。
 戸田先生は、『御書全集』の「発刊の辞」に「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである」と綴られている。
 この一念があればこそ、不滅の聖典ができあがったのです。
 広宣流布の誓願に立っておられたからこそ、大聖人の法門の一切を全民衆に公開しようとする『御書全集』が完成した。そして五十年の間、広く真剣に民衆に拝されてきたのです。
 諸言語への翻訳も当然、この御書全集が基本です。世界へ広がるべき「一書」です。民衆に限りない勇気を送りゆく原典として、全人類の宿命転換を指南した仏典として、戸田先生の御書刊行は、二十世紀で最高に価値のある出版事業だったと後世に評価されていくでしょう。「全東洋へ、全世界へ」と、民衆に仏法を公開した意義は、あまりにも大きい。
 斎藤 今は、英語、中国語、韓国語、スペイン語等、世界の主要言語に翻訳され、それぞれ全集ないし選集が刊行されています。太陽の光は万人に降り注がれています。だれかが、買い占めたり独占できるものではありません。
 森中 ところが、日顕宗はそんな道理も分からない(笑い)。万人が燦々と陽光を浴びているのに、いまだに、どこか薄暗い洞窟の中で"私だけが秘密の太陽を持っているから、私を仰げ"などと言っている(笑い)。
 池田 本来、寿量品の「如来秘密」とは、爾前経で説かれないゆえに「秘」で、厳然と仏だけが知っているから「密」です。決して隠したり、もったいぶったりすることではない。寿量品は、その「如来」の「秘密」を公開したのです。
 日蓮大聖人の「三大秘法」も、いわば、寿量文底に秘沈されていた「久遠元初の法」を、民衆が直接修行できるように大聖人が公開なさった大法だと拝されるでしょう。
 斎藤 民衆が直接、大聖哲の言葉を学び、自身の境涯を高めていく糧としていく――。「御書根本」の生き方は、そのまま、民衆の境涯革命を確立していく正道であり、人類の壮大なる教育革命の大道であるとも言えます。
 池田 御書には、全人類が求めてやまない、最高の普遍性を持つ「哲学」があります。また、未来を照らす「指標」がある。絶望の人を蘇生させる「希望」がある。人生を豊かにする「智慧」があり、人びとを奮い立たせる「励まし」があり、民衆を救う「慈悲」がある。さらに、悪と戦う「勇気」があり、魔性を破る「利剣」がある。そして、前進をうながす「情熱」、真心を大切にする「誠実」、無明を断ち切る「確信」、勝利の道を開く「将軍学」がある。
 最高の「人間学」「生命学」であり、「人生と生活」の鏡であり、「社会と自然」を見つめる叡智があり、「幸福」を探究し、「平和」を創造する実践が説かれている。
 創価学会は永久に「御書根本」です。御書発刊五十年の節目にあたり、その原点を確認し合い、ますます御書を拝し、語っていく出発の日としていきたい。
3  牧口先生の御書
 斎藤 創価学会教学部の最大の誇りは、三代の会長が「御書根本」の生き方を自ら示してくださったことです。三代の会長が御書の根幹のなんたるかを教えてくださったから、創価学会が大発展したと思います。
 池田 牧口先生が用いられていた御書(霊艮閣版御書)をひもといたことがあります。要文にたくさん線が引かれ、欄外に書き込みが多くあった。
 「開目抄」の「汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり」の個所に傍線。その上の欄外には「行者とは何ぞや」と書かれて、文字を枠で囲まれていた。
 同じように「忽に現罰あるか」の個所は一文字ひともじの横に〇をつけられ、欄外に「現罰の有無」と書かれている。「大願を立てん」の個所には二重線が引かれ、欄外に大きくくっきり「大願」と書かれている。「諸難」「折伏」そして「廣宣流布」「大難来の喜び」等の書き込みも印象に残った。
 森中 牧口先生が、本当にご自身の実践の指標として御書を拝読されていたことが分かります。
 池田 日蓮仏法は"広宣流布宗"です。妙法を弘通していく決意と実践がなければ、御書は虚妄になる。七百年間、御本仏の文字は確かに存在していた。しかし、その文字は広宣流布されることはなかった。日蓮大聖人の御精神をそのままに、御書の心を蘇生させたのは先師・牧口常三郎先生です。
 その意味で、創価学会の出現が日蓮大聖人の仏法を証明したのです。現代において、学会を離れて、日蓮仏法を正しく行ずることもできなければ、大聖人の御精神の真髄に触れることも、絶対にできません。このことは厳粛なる事実として宣言しておきます。
 斎藤 この真実こそ未来永遠に伝えていかなければならないと思います。
 経文に説かれている内容を証明するのは、経文を身で実践した人がいて初めて可能になります。広宣流布に戦う人がいなければ、経文は嘘になる。このことこそ、大聖人が御書のいたるところで仰せられていることです。
 「日蓮無くんば仏語は虚妄と成らん
 「法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし
 「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり
 森中 ただ、どうも日本人は、こうした断言を嫌う面があります(笑い)。自分の信念をはっきり言う人は生意気だとか、好きになれない、とか。島国根性とでも言うのでしょうか。
 池田 日蓮大聖人が日本人から誤解されやすいのも、一つには、そうした面があるからでしょう。
 森中 大確信の言葉、凝縮した言葉を嫌い、なにか煩悶した言葉を並べているのが知識人だと思っているみたいですね。
4  池田 思想家の内村鑑三が、大聖人に対する感情的な批判に対して、次のように論破しています。
 「日蓮を非難する現代のキリスト教徒に、自分の聖書がほこりにまみれていないかどうか、調べてもらいましょう。たとえ聖書の言葉が毎日口にされ、それからじかに霊感を与えられているとしても、自分の派遣された人々の間に聖書が受容されるために、一五年間にもおよぶ剣難や流罪に堪えうるでしょうか。聖書のために、身命をも懸けることができるでしょうか。このことを自分に尋ねてみてほしいのであります」(鈴木範久訳、『代表的日本人』、岩波書店)
 不屈の真の宗教家を目指す彼らしい言葉です。聖典に説かれている通りの大難を莞爾として受け続ける。そうした闘争に対して、聖書を埃まみれにするような傍観者が批判できるだろうか、との指摘はまことに鋭い。
 斎藤 非難する人は自身を問え、ということですね。ほとんどの日本人は、そこまで自身に問いかけての批判には至っていません。
 池田 日蓮大聖人の時代にも、同じような批判は多かったようだ。日蓮大聖人がいなければ釈尊は大嘘つきになってしまうとの大確信に対して、大聖人を「大慢の法師」と批判する人々がいた。これに対する大聖人の破折が痛快だね。
 森中 御書に同趣旨の仰せが幾つかありますが、その一つを拝読します。
 「難じて云く汝は大慢の法師にして大天に過ぎ四禅比丘にも超えたり如何、答えて云く汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり、我が言は大慢に似たれども仏記をたすけ如来の実語を顕さんが為なり、然りと雖も日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にすあに大悪人に非ずや
 〈通解〉――非難して言うには、あなた(大聖人)は大慢心の僧侶であって、その慢心ぶりは大天よりひどく、四禅比丘をも超えていると思うが、いかがだろうか。答えて言うには、あなたが日蓮を蔑む重罪こそ、提婆達多が犯した罪よりも重く、無垢論師の罪をも超えている。私(大聖人)の言葉は大慢心のように聞こえるかもしれないが、仏の未来記を助け、釈尊の言葉が真実であることを証明するためである。しかしながら、日本国中で日蓮を除いて、だれをもって法華経の行者と言うことができようか。あなたこそ、法華経の行者である日蓮を謗って、仏の未来記を虚妄にする者である。あなたこそまさに大悪人ではないか。
 池田 この大確信が日蓮仏法の真髄です。
 「法華経ありて我(大聖人)あり」「我ありて法華経あり」です。
 この大聖人に直結するのが創価学会です。ゆえに、「御書が創価学会を証明」し、「創価学会が御書を証明する」とも言えるでしょう。
5  「安国論」に始まり「安国論」に終わる
 斎藤 まさに、本章でお伺いしたかったことの論点は、そのことです。
 日蓮大聖人の御書のなかで、広く一般の人たちにも知られているのは、やはり「立正安国論」だと思います。高校の教科書にも取り上げられ、読売新聞が行った「二十一世紀に伝えるあの一冊」の調査(二〇〇〇年)でも、日本の名著第二位に選ばれています。
 ただし、有名なわりには、日蓮大聖人の「立正安国」の法理ほど、多くの日本人に誤解されてきたものもないと思います。
 森中 先ほどの内村鑑三ですが、日蓮大聖人を高く評価する半面、大聖人の「立正安国論」による諫暁の実践については、次のように述べています。
 「戦いのあかつきは結果は一つ、自宗か他宗か、いずれかの絶滅しかありません。その激しい熱情は、狂気と区別しがたいものでありました」(鈴木範久訳、前掲書)
 そもそも、彼の日蓮像の結論は「闘争好きを除いた日蓮、これが私どもの理想とする宗教者であります」(同)という内容でした……。
 池田 前にも述べたが、大聖人は末法という争いの時代を転換して、万人が仏性を現し、そして民衆の幸福と平和の時代を築いていくために、法戦を展開されたのです。
 正法を惜しみ、民衆を慈しむ心が強かったがゆえに、戦わざるをえなかったのです。
 いうまでもなく、日蓮大聖人の御境涯は広大であられた。人間を深く慈しまれていたがゆえに、魔性に対しては厳しく戦われた。時代全体を根本的に救おうとされたがゆえに、時代それ自体を超えていた。その平和思想の精髄を的確に捉えて十分に語りうる知性は、なかなか、いなかったのではないかと思う。
 斎藤 「立正安国論」をどう拝していくかは、この連載の一つの重要なテーマである「日蓮仏法の人間主義」を語るうえでも重要なポイントになります。
 森中 広宣流布の大願と実践を貫いてきた創価学会の「立正安国」観を提示してこそ、これまでの多くの人たちによって誤解されてきた国家主義的日蓮像を変え、日蓮仏法をますます世界宗教へ飛翔させていくターニングポイントになるのではないでしょうか。
 池田 「立正」とは何か。「安国」とは何を意味するのか。「正」とは具体的にどのようなことか。「立」てるとはどうすることか。「国」とは何か。
 これらのことについて、七百年間、あまたの人が「立正安国論」を読み、わかったようでいて、実は大きく誤解してきたのではないだろうか。
 「立正安国」の真の意味が理解されれば、創価学会・SGI(創価学会インタナショナル)の運動の意義も正しく理解されるようになる。
 また、日蓮仏法が今後の人類社会をリードしうる人間主義の宗教であることも、「立正安国」の原理を正確に示すことで浮き彫りにされる。
 「御書根本」の意義を確認する意味で、本章はこのテーマを考えてみたい。
6  斎藤 よく、「日蓮大聖人御一代の御化導は立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる意味を明確に知りたいという質問が寄せられます。
 池田 一つには、日蓮大聖人の御生涯が「立正安国論」を中心に展開していたということです。それは、取りも直さず、立正安国の実現こそ大聖人の弘教の根本目的であったということです。
 森中 その観点から、大聖人の御生涯を簡潔にたどってみたいと思います。
 立宗宣言は建長五年(一二五三年)四月二十八日です。この日から、時代と社会を変革し、全民衆を救済する日蓮大聖人の法戦が始まりました。「立正安国論」の提出は文応元年(一二六〇年)七月十六日で、立宗から七年後のことです。
 池田 この「国主諫暁」を境に、いよいよ時代・社会の変革へ本格的な挑戦が始まったと言えます。
 斎藤 それが「安国論に始まる」ということですね。
 森中 大聖人が受けた大難も、「立正安国論」提出を機に、熾烈さを増していきます。「立正安国論」提出の翌月、文応元年(一二六〇年)八月二十七日に鎌倉・松葉ケ谷の草庵が襲撃され、念仏者たちが大聖人の御命を狙おうとしました(松葉ケ谷の法難)。これは、明らかに当時の政治権力者が背後にいたからこそ、そうした襲撃事件が可能になったと考えられています。
 そして、翌年の弘長元年(一二六一年)五月十二日の伊豆流罪。これは、当時の執権・北条長時の父親である重時が念仏の強信者で、「立正安国論」の内容に激怒したからであると言われています。
 池田 「立正安国論」で予言されている二難、すなわち「自界叛逆難」「他国侵逼難」の的中をめぐって、その後の御生涯の闘争が大きく推移していきます。
 森中 はい。大聖人と幕府権力との緊張関係が次に高まっていくのが文永五年(一二六八年)です。この年に日本に服従を要請する蒙古の国書が到来しました。これで、他国侵逼難の予言の的中が現実味を帯びてきました。
 池田 「種種御振舞御書」を拝すると、この直後に、大聖人及び一門の弾圧について幕府内で議論されたことがわかるね。
 森中 そして、文永八年(一二七一年)九月十二日の竜の口の法難で、捕らえに来た平左衛門尉の面前で、再び、大聖人は、日本の柱を倒せば二難が必ず起こると予言し、諫暁します。
 その言葉の通り、佐渡流罪中に、二月騒動(北条時輔の乱)が起こり、「自界叛逆難」が的中します。そして赦免直後に、蒙古の襲来が現実のものとなり、「他国侵逼難」が的中します(文永の役)。大聖人が亡くなる前年の弘安四年(一二八一年)には、蒙古の第二次襲来(弘安の役)があります。
 池田 「立正安国論」で予言した二難は、言い換えれば、「内乱」と「侵略」です。戦争ほど悲惨なものはありません。戦争は民衆の生活を破壊する。民衆の安穏のために戦争だけは絶対に起こしてはならない――それが大聖人の至誠の諫暁であったのです。
 戦争回避の道へ「手遅れにならないうちに」――「立正安国論」でも、国主に真剣な呼びかけをされます。しかし、残念ながら、大聖人の叫びは見過ごされてしまう。
 そして、その理想の実現は弟子たちに託されました。大聖人は御入滅の直前に「立正安国論」を力強く講義されています。
 斎藤 大聖人が、御入滅の二週間ほど前の弘安五年(一二八二年)九月二十五日、池上邸で「立正安国論」を講義されたという記録があります。まさに「安国論に終わる」のお姿です。
 池田 このように、大聖人の御生涯は「立正安国」の実現を目指して展開しています。それが日蓮仏法の本質であることは明確です。
 実は、後で述べるが、「法」ということを深く考え抜けば、立正安国の理念と実践は仏法と不可分の関係にあるのです。本来は、大聖人のみの特殊な理念ではありません。
 あえて言えば、「立正安国」の理念は釈尊の仏教にも内蔵されているのであり、さらには、あらゆる宗教が目指すべき理想だとも言えるのです。
 ゆえに、日蓮仏法の継承者は、「立正安国」の本道を行かねばなりません。
7  「個人の次元の立正」と「社会の次元の立正」
 斎藤 それにしても、「立正安国」の理念について、これまで誤解が多かったのは何故でしょうか。
 池田 二つの原因が考えられます。
 一つは、偏狭な宗派性で「立正」が見られてしまったことです。例えば、国が一つの宗派で統一されるのが「立正」であると見るような誤りです。
 もう一つは、民衆を忘れて、権力者中心の観点で「安国」が見られてしまったことだと言えます。「安国」とは、要するに「民衆の安穏」であり、「民衆の幸福」です。そして、「民衆が生活する国土の平和」です。この単純な目的が忘れられてしまったのです。
 森中 日蓮主義といわれる、近代日本で起こった国家主義的な日蓮解釈は、その誤りの典型ですね。
 斎藤 一面から言えば、政治と宗教のゆがんだ関係が、「立正安国」の誤った解釈をもたらしてきたとも言えます。宗教が自分の宗派の拡大のために政治と癒着を図る。あるいは、政治が自分たちの統制を強めるために宗教を利用する。そういう関係を前提とすると正しい解釈はできないと思われます。
 池田 そうだね。「国家(政治)と宗教」の本来あるべき理念を探究せず、既存の在り方に短絡的に結び付けようとしたから、「立正」も「安国」も誤って理解されていったのではないだろうか。むしろ、国家と宗教の正しい関係を示すのが「立正安国」の理念です。
 森中 宗教が幕府の支配体制のなかに完全に組み込まれた江戸時代の末期には、ある有名な日蓮宗学者は、ついに「立正安国論」を実なき論として否定してしまったそうです。仮にも日蓮門下なのに残念なことです。
 斎藤 では、まず「立正」を中心に、この理念の意義を拝察してみたいと思います。
 「立正」とは「正法を立てる」ことですね。それは何を意味するのか。安国論では、何が災難の原因となる誤った信仰なのかについては多く述べられていますが、「立正」とは何かについては、ほとんど述べられていません。
 池田 ただ、安国論十段中、第九段に至って、「立正安国」の実現の鍵は「信仰の寸心」の変革にあると示されます。この心の変革こそが立正の根本であると拝察できます。その御文を拝してみたい。
 森中 拝読します。
 「悲いかな皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る、愚なるかな各悪教の綱に懸つて鎮に謗教の網に纒る、此の朦霧の迷彼の盛焔の底に沈むあに愁えざらんやあに苦まざらんや、汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方はことごとく宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し
 〈通解〉――悲しいことに、人びとは皆、正法の門を出て、深く邪法の牢獄に入っている。愚かにも、各人が悪教の綱にかかって、永久に身動きできないまでに謗法の教えの網に纏りつかれている。現世には邪教の深い霧に迷い、死後は阿鼻地獄の火炎の底に沈むのである。どうして愁えずにいられようか。どうして苦しまずにいられようか。
 あなたは一刻も早く、誤った信仰の寸心を改めて、速やかに実乗(法華経)の一善に帰依しなさい。そうすればすなわち、この三界は皆、仏国である。仏国であるならば、どうして衰微することがあろうか。十方の国土はことごとく宝土である。宝土であるならば、どうして破壊されることがあろうか。こうして国土が衰微することがなく、破壊されることもなければ、あなたの身は安全になり、心は安らかになるのである。この言葉は、心から信ずるべきであり、崇めるべきである。
8  池田 ここでは、「立正安国の原理」の根本的な次元を教えられています。それは「信仰の寸心」、すなわち一人の人間の「心」の次元です。「心の次元の変革」がなければ、「立正安国」もない。
 謗法という根本悪を打ち破って、信仰の寸心を改めれば、今、生きている、この三界、すなわち現実世界がそのまま清らかな仏国土であり、崩れざる宝土である、とされています。また、信ずべき法は「実乗の一善」であると仰せです。「実乗」とは真実の教えの意で、すなわち法華経のことです。「一善」とは、根本の善ということです。
 法華経は、万人が仏性を開発できることを説き、万人の成仏の実現のために行動していくべきことを説きます。それが「仏の知見」であり、また「仏の生き方」です。この仏の哲学と実践こそ、根本善なのです。
 大聖人の「三大秘法」も、末法における根本善の実践にほかならない。
 いずれにせよ、この哲学を信じ、この実践に生きる人は、その心、その生き方において仏と等しいのであり、その人の住む所は、いずこであれ仏国土である。
 このように仏法の「法」とは、まず個人の生き方を支えるものです。
 法華経という根本善を信じて、個人が「心の平和」を確立することが「立正」の根本です。そして、根本善にかなった社会の在り方を定着させ、実際に「社会の平和」を実現していくのです。
 しかし、この場合、社会全体が同じ法華経の信仰で統一されることとは限りません。
 社会の全体としての在り方のなかに、「万人が仏」という法華経の平和の大哲学が生かされていくことが重要です。
 社会の次元の「立正」とは、「人間尊敬」の哲学、「生命尊厳」の理念が社会を支え、動かす原理として確立されることにほかならないのです。
 斎藤 仏法が社会を支える原理として働くという点は、大聖人が御書のなかでしばしば言及されています。
 例えば、大聖人はこう仰せです。
 「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり
 池田 仏法は「体」であり、根本です。根本の仏法が混乱し、見失われれば、世間もまた大混乱する。
 社会を根底から支える思想が確立しなければ、世の中は規範を失う。その結果、弱肉強食の畜生道となり、争いの絶えない修羅道となり、不満が渦巻く餓鬼道となる。ついには苦悩が尽きない無間地獄の社会となってしまう。
 だからこそ、「立正」がまず必要なのです。そうすれば、必ず「安国」となっていく道理です。
9  森中 ところが、当時の諸宗は、権力に媚びて、権力の安定を祈ることをもっぱらにし、民衆の幸福を忘れ、自分たちだけが保護を得て、利権を貪っていました。
 そのもたれあいの癒着を「王法」と「仏法」の助け合う姿だと誤解し、強弁していたのです。
 池田 当時の日本には「王法と仏法」のゆがめられた関係があった。
 元来、「王法」とは、政治をはじめ、社会のさまざまなしくみ、制度のことです。「仏法」とは、万人の幸福を実現しようとする仏の説いた教えであり、その教えを実践するための体系です。
 斎藤 この正しい意味での王法と仏法の関係は、釈尊の時代から見られると言ってよいと思います。
 池田 そうです。釈尊は出家前は王子であり、その地位を捨てて修行し、仏に成った。
 その点からすると、「王法」と「仏法」は別である。「仏法」は「王法」を超越するものであるという面もあります。
 しかし、以前に少しふれたが、釈尊には悟りの直後に梵天勧請の体験があります。
 斎藤 はい、簡潔に確認しておきます。
 釈尊が悟りを得た後、悟った法を説いてもわかる者がなく、かえって混乱させるばかりで疲れるだけだから、説かないでおこうとした。するとこの世界の主である梵天が、「仏が法を説かなければ、この世界は滅びてしまう」と嘆いて、釈尊に説法を勧め請うた。
 こういう内容です。
 森中 この点について、故・中村元博士は、こう分析しています。
 「おそらくゴータマ・ブッダ自身の心のうちに『説こうか、説くまいか』というためらいがおこっていたのであるが、『説かなければさとりは完成しない』ということをさとったのであろう」(『中村元選集[決定版]』第十一巻、春秋社)
 「人々とのつながりを離れて、抽象的な宙に浮いたようなさとりというものは、なにも存在しない」(『中村元選集[決定版]』第十一巻、春秋社)
 人びとに説き示し、現実に人を救ってこそ、真の悟りとして完成する。そう指摘されています。仏の悟りは万人のためのものです。もし自分だけの悟りなら「独覚」です。すなわち「縁覚」の境地にとどまってしまう。
10  池田 そう、そこが大事です。仏教は、その出発以来、「宗教のための宗教」ではない。「人間のための宗教」であった。社会を滅亡から救う「支柱」であったのです。
 だからこそ、釈尊は弟子たちに、「人びとの幸福のために、利益のために、安楽のために、諸国を遍歴せよ!」と呼びかけました。
 この釈尊の心を、「王法」の側で引き継いだといえる存在が、インドのアショーカ大王だね。
 斎藤 はい。アショーカ大王は、カリンガ地方を征服した時の悲惨な戦いを目の当たりにして改心し、それまでの「武力による勝利」を捨て、「法による勝利」を目指します。
 カリンガの地に刻まれた法勅の第一章には、こうあります。
 「すべての人は私の子である。私は王子のためと同様に、〔かれらが〕現世と来世の、すべての利益と安楽を得ることを願う」(塚本啓祥著、『アショーカ王碑文』、第三文明社)
 池田 釈尊の呼びかけを真正面から受け止め、あらゆる人びとが、幸福であるよう願ったのです。
 戦争ほど残酷なものはない。勝っても負けても不幸である。大王はそこに気づいたのでしょう。そして、三世永遠の幸福への闘争を開始したのです。
 現代のインドを代表する哲学者のロケッシュ・チャンドラ博士は、私との対談でこう語っておられた。
 「私の古い友人であり、偉大なインド学者であった故・中村元博士は、アショーカ王のいう『法』とは、『人間の理法』としての法であり、それは仏教によって正しく説かれていると王は信じていた、と述べていました。
 アショーカ王は、一般的な仏教を語ったというより、むしろ『法』そのものを語ったのではないでしょうか。
 彼の思想は仏教に由来しますが、それを一般的な言葉で普遍的な価値として人々に示したのです」(『東洋の哲学を語る』、第三文明社)
 大王は、仏法の教義の押し付けはしていない。宗教の自由があり、他の宗教も認めている。大王は「人間の幸福」「平和な社会」という大目的のために、諸宗教を自由に競争させたのではないだろうか。大王が目指したのは、牧口先生が提唱されていた「人道的競争」に通じるといえるかもしれない。
 森中 なるほど、そう考えると、大聖人の「王仏冥合」の意義がよくわかります。
 池田 民衆は賢明です。大勢の人を長期間にわたって強制しつづけたり、騙しつづけることなどできません。それゆえ、ニセモノはついには滅びざるを得ない。厳粛な歴史の審判です。
 仏法の「法」の力は、あくまでも現実の社会に顕現して、社会の正しい在り方を支えるものである。その例として、さらに、竜樹の言葉を確認しておこう。
11  諫暁の心
 森中 はい。大乗の大論師・竜樹は、友人のシャータヴァーハナ王朝の王にあてた「宝行王正論」という著作を残しています。そこで、こう語っています。
 「王よ、いかなる行ないであっても、法を先とし、法を中間とし、法を後として、それらを全うするならば、この世にあってもかの世にあっても衰滅することはありません」(瓜生津隆真訳、『大乗仏典』第十四巻竜樹論集、中央公論社)
 「法こそが最高の政道であります。なんとなれば、法に世の人びとは感動し、彼らが感動するときには、王は、この世においてもかの世においても、欺かれないからです」(同)
 「たとえいま苦であっても、未来に有益であるならば、それを行なってください。まして楽であり、自らにも他の人びとにも利益をもたらすものであるなら、それをなすべきことはいうまでもありません。これは永遠の法であります」(同)
 真実の仏法に基づくところに、永遠の繁栄があると教えています。そして目先の小さな利益にとらわれることなく、大目的に生きよと諭しています。
 池田 まさに「立正安国」の思想です。竜樹は「自他共の幸福を実現することをなせ、それが永遠の法である」とも言っている。
 人間が生まれてきたのは幸福になるためです。何らかの力がある立場は、何であれ皆を幸福にするためにあるのです。「その真実に目覚めよ」「その使命に目覚めよ」と教えているのです。
 斎藤 これだけのことを国王に進言するのは、友人とはいえ、大変なことです。
 竜樹はその思いをこう述べています。
 「王がたとえ真理に背くこと(非法)や非道をなすとも、王に仕える人びとは概して称讃します。それゆえに、王にとっては正当か正当でないか、を知ることがむずかしいのです。
 たとえほかの人であっても、その人の気に入らないばあい、正当なことを語るのはむずかしいのに、まして、あなたは大王であり、その王に修行僧である私が語るときはいうまでもありません。
 しかし、あなたによって下される慈愛によって、また世の人びとへの憐れみから、私はひとりあなたに、たとえまったくお気に召さないことであっても、道にかなったことを語るでありましょう」(瓜生津隆真訳、前掲書)
 池田 まさに諫暁の心だね。「世の人びとへの憐れみ」のために語る。民衆のために身命をなげうって正義を語る。これこそ、仏法者の正道です。
 森中 ところが、大聖人の御在世当時の日本では、諸宗は政治権力に媚び、権力による諸宗への不当な肩入れが横行していました。
 院政期ごろから「王法とは、実際には国王(天皇)や世俗諸権門の権力と秩序、その統治」であり、「仏法とは、現実の社会的・政治的勢力としての大寺社ないしその活動のこと」(黒田俊雄著、『王法と仏法――中世史の構図増補新版』、法蔵館)という意味合いが強くなりました。当時の寺院は多くの荘園をもち、大きな権力をもっていました。
 初めて院政を敷いて権力を一手に握った白河上皇が、その自分でも思い通りにならないのが、京都を流れ、しばしば洪水を起こす鴨川の水と、双六のサイコロの目と、比叡山の僧侶集団だ、といっていたくらいです。
 斎藤 比叡山延暦寺や興福寺などの大寺は、宗教的権威を盾に強引な要求を繰り返し、種々の特権を貪っていました。当時の通念では、権力をもつ政治家らが王法、権威をふりかざし権力を動かす悪侶らが仏法となっていたのです。
 治承四年(一一八〇年)に平重衡らが東大寺・興福寺などの奈良の諸寺を焼き討ちした時、九条兼実は、「仏法王法滅尽しおわるか」と日記『玉葉』に記しています。
12  池田 しかし、大聖人が「王法」「仏法」と仰せの時は、まったく意味が違う。
 本来の意味で言われているのです。見せかけの権威や勢力ではない。民衆のための仏法です。
 「王法」とは、社会を支える根本原理であり、その原理を現実に展開する体制です。政治をはじめ、経済、教育、学術等を含んだ、ありとあらゆる社会の営みのことです。
 「仏法」とは、仏の教えの真髄であり、万人の幸福を実現する根本の妙法である。
 狭い一宗一派ではなく、宇宙大に広がる仏の慈悲の心です。人びとを守り導き育む「主師親の三徳」を具えた、仏の魂なのです。人間と社会を向上させる根本が仏法です。
 斎藤 はい。したがって大聖人が仰せの「王仏冥合」とは、「仏法の精神を、社会のあらゆる次元に脈動させていく」「社会に仏法の精神を開花させていく」ことといえます。民衆の幸福を根本とする社会を築いていくことです。
 池田 大聖人は、「立正安国論」の提出の御心を、「本尊問答抄」で述べられています。
 森中 はい。こう仰せです。
 「是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ結句は此の国・他国にやぶられて亡国となるべきなり、此の事日蓮独り勘え知れる故に仏法のため王法のため諸経の要文を集めて一巻の書を造るつて故最明寺入道殿に奉る立正安国論と名けき
 〈通解〉――このように仏法の邪正が乱れたために王法も次第に滅びてしまい、ついには、この国は他国に破られて滅びてしまうであろうことを、日蓮はただ一人考えて知っているが故に、仏法のため王法のため諸経の要文を集めて一巻の書を著して故最明寺入道に奉ったのである。「立正安国論」と名づけたのがそれである。
 池田 亡国への道をひた走っている「仏法」と「王法」の在り方に警鐘を鳴らすために、大聖人は「安国論」を提出されたのです。そのままでは民衆が不幸になるだけであり、社会全体が無間地獄へと堕ちてしまうからです。あくまでも「民のため」であり、「法のため」「社会のため」なのです。
 「仏法」と「王法」が、正しい意味で互いに支えあって平和で豊かな国を創ろう。そう考えられたと拝したい。もとより、「王法」によって自身の「仏法」を特別扱いし守ってもらおうなどという、旧来のゆがんだ関係に入ろうとされたのではなかった。
 森中 ところが、大聖人の御在世当時、諸宗の高僧はその仏法を捻じ曲げ、悪用していました。
 しかも、その弟子たちに至っては、やみくもに師匠を崇めるばかりで、自分たちの誤りにまったく気づいていなかったのです。
 池田 そういう輩には、大聖人の崇高な心はわかりません。自らの卑しい心から推し量って、大聖人も自分たちと同様に権力にすり寄ろうとしていると見ていた。そういう心のやましさがあるから、地位も権力もない大聖人を恐れ、陰に陽に迫害を加えてくる。悪人は自分の影におびえるからです。それは今も同じです。正義の人にいわれなき中傷をする悪人は、自身の悪事を投影して讒言を捏造する。
 しかし、絶え間ない迫害に対して、大聖人は一歩も退かれなかった。民衆を不幸に陥れる悪とは、徹して闘われたのです。
 斎藤 当時は、念仏、天台、真言、律、禅という有力諸宗をはじめ、神道、陰陽道、儒教もありました。しかし「神術しんじゅつかなわず仏威もしるしなし」という結果でした。それにもかかわらず、幕府の中枢をなす北条氏一族は、諸宗への帰依をいよいよ深め、次々と大寺院を建てていったのです。
 森中 「安国論」に「仏閣甍を連ね経蔵軒を並べ僧は竹葦の如く侶は稲麻に似たり崇重年旧り尊貴日に新たなり」と仰せの通りでした。
 〈通解〉――仏教寺院は甍を連ね、経典を納める経蔵も軒を並べている。また僧侶も竹や葦、稲や麻のようにたくさんいる。人々が仏教を崇重するようになってすでに年久しいし、これを尊ぶ心は日々新たに起こされている。
13  池田 確かに建物は立派だ。僧侶も続々といる。
 しかし、すべて形式ばかりであった。その見せかけの格好に、人々は目を晦まされ、心を奪われていた。その様子を大聖人は、続く御文で、厳しく指弾されている。
 森中 「但し法師は諂曲てんごくにして人倫を迷惑し王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し」と仰せです。
 〈通解〉――しかし、現在の僧侶の心は、へつらい曲がった心が強く、人々を迷わせている。また国王や臣下たちは仏法に無智のため、僧や法の邪正をわきまえていないのである。
 池田 人々を盲従から解放しようとされ、為政者の自覚と責任を促されているのです。まさに「立正安国論」は、警世の書であり、諫暁の書です。
 斎藤 「種種御振舞御書」には、「立正安国論」は「白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず」と位置付けられています。
 池田 諫暁書である白楽天の「新楽府」、そして「仏の未来記」に比しているということは、大聖人御自身、安国論を「諫暁書」、「予言書」として位置付けられていたと拝することができます。
 森中 白楽天は、白居易ともいいます。中国・唐代の著名な詩人です。
 彼は、詩は真実の道を託するためのものと位置付け、民の嘆きを謳い為政者を諭す諷諭詩こそ、詩の根本としていました。そして、時の皇帝である憲宗にしばしば諫言したのです。憲宗は、「白居易小子は朕に礼なし」(内田泉之助著、『白氏文集』、明徳出版社)(訳・白居易のやつは、皇帝の私に対して礼儀をしらない)と慨嘆することもありましたが、多くは受け入れて善政を行ったといいます。
 池田 「詩は志なり」――高い志をまっすぐに貫く「詩心」こそ、精神の混迷を打ち破るカギです。これは、アイトマートフ氏をはじめ、多くの世界の一級の文学者と語りあった実感です。
 白楽天は、平凡な家庭に生まれ、学問を究め、民衆のために尽くし、為政者を正している。大聖人がこの中国の大詩人に光を当てられた意義も、わかる気がします。
 森中 白楽天は、「唐生に寄する詩」に、「宮律の高きを求めず、文字の奇なるを務めず、ただ生民の病を歌うて、天子に知られんことを願ふ」(内田泉之助著、前掲書)(訳・言葉の調子が高尚であることを求めない。文章・文字遣いに奇をてらうこともない。ただ民衆の苦悩を詩にうたって皇帝に知られることを願うばかりである)と述べています。
 平明な言葉で、どこまでも民衆の苦しみを皇帝に訴えたのです。
 池田 そうです。「わかりやすい言葉」が大事です。いくら善いことを言っていても、人々に通じなければ役に立たない。また、「力強い言葉」が大事です。勇気から湧き上がる確信の一言こそが心を打つ。
 そして、深く広い心が生み出す誠実が胸に響くのです。
 斎藤 「新楽府」の「序」には「総てこれを言えば、君の為、臣の為、民の為、物の為、事の為にして作る。文の為にして作らざるなり」(内田泉之助著、前掲書)とあります。
 池田 どこまでも、皆のためを願っての正義の言論を――それが白楽天の心であった。その心が、大聖人の御境涯と響きあったのでしょう。
 「安国論御勘由来」には、こう仰せである。
 「ひとえに国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず
 自分の地位や名誉のためではない。どこまでも、社会のため、法のため、民衆のために、大聖人は命を賭して訴えられた。
 斎藤 まさしく「立正安国」とは、民衆仏法の在り方そのものですね。
 池田 学会は、個人次元の立正のために、正しい信仰の確立を目指している。社会次元での立正のために、人間尊厳・民衆根本の精神を広げている。その思想を基調として、現実社会で、すなわち王法の次元で、文化・平和・教育の運動を、大いに展開している。世界百八十カ国・地域を舞台とした、この仏法を基調とした大運動は、必ずや「人類の崩れざる平和」へ、大河の流れになっていくと思います。いよいよこれからです。

1
2