Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

知る権利  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  戦後も二十七年、わが国にも、民主主義の根本にかかわる論争がようやく巻き起こってきたようである。
 沖縄返還に関する日米政府間の密約は、はからずも、一国家公務員の、新聞記者に対する「機密漏洩」というかたちで明るみに出た。アメリカが支払うことになっていた、沖縄の復元補償費四百万ドルは、極秘電報の存在によって、じつは、日本政府が肩代わりしたものであることが、明らかになってきた。ここ数カ月、野党の相次ぐ追及にあえいできた政府にとっては、まことに頭の痛い問題であるにちがいない。
 そのためでもあるまいが、政府はその国家公務員の逮捕に踏み切り、さらに、新聞記者の逮捕にまで及んだ。ここにいたって、俄然、外交上の秘密を守ることが大事か、報道の自由を守ることが大切かという論議に発展したわけである。
2  今回の事件を、報道の自由という民主主義の根本にかかわる問題としてとらえることには、むろん異論もある。国家の機密を漏らした二人の逮捕は、法律違反という次元の問題であって、報道の自由などという大義名分を振りかざす問題ではないというのがそれである。
 しかし私は、むしろこうした機会にこそ、民主主義の基本について徹底的に討論し、一人一人がしっかりと認識しておく必要が、将来のためにあると思うのである。
 いったい、国家機密とは何か。外交上のテクニックの問題として、相手側に手の内を知られてはまずい場合もあるだろう。その意味での国家機密の必要性というのなら、まだ話はわかる。ただし、それは、国民の利益を守るためという条件付きでである。
 ところが、今回の場合、政府はアメリカと共同で、国民をつんぼさじきにおいたのである。相手国とは緊密な連携を保っていながら、国民に知られてはまずいというような「国家機密」がはたしてあるだろうか。まったく、これは機密以前の問題である。
 アメリカでも、つい一年ほど前、ベトナム戦争に関する機密漏洩について、国民の「知る権利」が問題になったことは、記憶に新しい。外交上の機密といっても、明らかに政府の保身のための秘密であるわが国の場合とは、若干ニュアンスが異なるが、それでも国民の「知る権利」は当然のものとして認められた。それが民主主義というものではあるまいか。
 この「知る権利」を突きつめて考えると、民主主義の原理がたんなる建て前だけのものでないならば、真実を知るということは、国民の権利であるとともに、一人一人に課せられた責任であるとまで考えるべきだと私は思う。政治が国民のものならば「知らしむべからずよらしむべし」ということは、ありえない。国民が真実を知ることに、民主主義の第一歩があるはずである。
 さらに「人間は真理を知りたいと願い、真理に従いたいと欲するものだ」と、ある大学教授は述べているが、知るということは、人間として人間らしく身を処し生きるための基礎条件ともいえまいか。
 それはともかく、政治不信の極みに達した今日の状況は、まさしく政治が政治家の私有物になっているところに由来している。国民に真実を知られることは、どうやら政治家にとっては都合の悪いことらしいが、そうであれば、ますます真実を知ることの意味は大きいわけだ。となると、新聞などマスコミの報道の自由は、最大限に確保されてしかるべきであろう。
 およそ新聞──マスコミといってもよいが──は、民主主義の社会にあっては、政治家に嫌われるものらしい。アメリカの一流ジャーナリストが書いていた。最近の米大統領を例にとって、トルーマンは、ある評論欄担当の記者に「君が少しばかり反省して、たまには大統領も正しいことがあるとわかってくれればよいのだが」と語り、ケネディは「アメリカでは大統領が四年間支配するが、新聞は永遠に支配する」という警句を実感していたという。
 といって、みる人によって、現在のマスコミのあり方がすべて正しい軌道にのっているかどうかは、議論の余地があるかもしれない。
 しかし、だからといって、新聞、マスコミの果たすべき役割の重要性は、変わるものではない。庶民は、新聞、マスコミを通じてしか、政治の実態を知ることができないからである。 その新聞を遠ざけて、国民の知らないところで事が運ばれる──そんな民主主義があるものだろうか。報道の自由にも限界があるという。なるほどそうかもしれないが、では権力の恣意には限界がないというのだろうか。民主主義を否定する政府こそ、罪を問われるべきだと言いたいのである。
 「我々の第一の目的は、真理への全ての通路を、人間に開放することでなければならない。その最も有効な方法は、これまでのところでは新聞の自由ということである。したがって、まず、自分達のやっていることを調べられるのをこわがる連中を締め出さねばならない」 ──このアメリカ第三代大統領ジェファーソンの言葉は、権力を行使するものにとって、一つの規範ともいうべき名句といってよい。
3  日本は今、国民大多数の知らないところで、徐々に危険な道へ歩を運んでいるように思えてならない。軍備予算の問題といい、今回の問題といい、知らされていないことが多すぎる。
 すでにわが国の現状は、国民が内側から知っている以上に、軍事大国化しているといわれる。中国もそうみているし、ヨーロッパもそうみている。諸外国が日本をそのようにみているということは、国民が好むと好まざるとにかかわらず、いつ戦争に巻き込まれるかわからないということでもある。
 中国の日本軍国化非難を、たんなる感情論と片づけてしまうのでなく、日本人自身が、内側から冷静に日本の実態を見直さねばならない時に今はきていよう。そのためにも、報道の自由を奪うような動きに対しては、国民の目をふさぎ耳をおおうものとして、ひとりジャーナリストの問題のみではなく、国民全体が自分の問題と考えるべきではなかろうか。

1
1