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日蓮大聖人・池田大作

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古代の遺産  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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2  ところで、この古墳のなかで、もう一つ興味をひいたものがある。それは古墳の天井にちりばめられた星座である。太陽は金箔、星を銀箔であらわし、星と星が朱線で結ばれた、この星の図は、古代の人たちが暦として用いた星宿だという。
 星宿というのは、宏大な天球の赤道を二十八に区分し、その星宿と太陽や月の位置を調べて、季節や月日を知ろうとするものだそうだ。二十八の区分を二十八宿といい、東西南北の四方に、それぞれ七宿を割り当てている。星とともに語り、星とともに人生を歩んだ古代人の知恵であろうか。この星宿はインドの発祥で、中国でも古くから用いられた形跡が強い。古墳の星宿は、おそらく死者のために新しい世界を描いたものであろうが、平らな天井を、円い天球に見立てて仰ぐと、そのままが、夜空に瞬く星辰の見事な幾何模様となるようにつくられている。ある学者によると、このような星宿図としては、世界最大の規模らしい。
 この星宿は、太陰暦の一種だが、太陰暦にせよ、太陽暦にせよ、人々が暦を太陽や月、星の天体の運行を軸として定めたのは、みずからの生活の軌跡を、天体の運行の軌跡と合致させようとした思想のあらわれのように、私には思える。
 日々の煩瑣混沌の生活軌道も、深固幽遠の規則正しいリズムに合わせていけば、おのずから正常な小宇宙の運行になっていく──という生命観が、暦を、そのようにつくらせていったのであろうか。それとも、天体の運行さえも、みずからの生命の軌跡のなかに、刻み付けておこうという意識のもたらしたものであろうか。古代人が、天体の運行の乱れを、社会の乱れの前兆として恐れたのも、こうした発想のなせるわざかもしれない。「二十八宿度を失う」ことが、災厄の一つとして、昔は考えられていたようである。
 こうした考えは、現代では荒唐無稽なことのように受け止められている。しかし、人間の身体は、どんな精巧な機械よりも複雑微妙にできていることを、現代科学は証明しようとしている。
 だれしも、前日に自分の身の周りに起こったことはだいたい記憶している。といっても、すべてを記憶しているわけではない。それが一年間、十年間となると、年を経るにしたがって記憶は薄れる。しかし医学では、どんな些細なことも記憶していないことはないというのである。たしかに、まったく忘れていたことを、なにかの機縁で思い出したり、死ぬような大事件に遭うと、一生の出来事が走馬灯のように思い出されるということは、よく耳にする話である。
 その記憶は、大袈裟にいえば、自分の周りで起こったあらゆること、天体の運行のリズムさえも生命に刻み込まれているという。それだけではない。親の体験した出来事、さらに遡って生命発祥以来の転変までも、遺伝子として組み込まれていることが考えられるという。
3  一人の人間の脳細胞同士の組み合わせの数は、全宇宙の原子の数よりも多いと、なにかの本で読んだことがある。事実とすれば、宇宙のすべての分子の運動を知っているという「ラプラスの鬼」とは、ほかならぬ人間自身のことであったということになるかもしれない。
 考えようによっては、人間一人の生命には、無限の宇宙の宏大さも、悠久長遠の時間の流れも、見事に凝縮されているのかもしれない。もし古代人が、天体の運行を、人間の生命のリズムに欠かせないものとしてとらえ、そのゆえに、死者に与えられる世界として、やはり二十八宿の大宇宙を描いたのだとすれば、その鋭い直観智に、あらためて敬服したい。ともに、狭いエゴや目先のことばかりに拘泥して、宇宙と直結した、偉大な生命の宝庫を開発しようとしない現代人の浅慮を慚愧せずにはいられない。
 飛鳥の古墳は、研究が進むにつれて、古代人の生活や精神の内面にまでかかわる資料を豊富に示してくれるにちがいない。考古学とは、古代を調べることによって、現代人が置き忘れているもの、人間のさまざまな知恵を再発見することにも、一つの重要なポイントがあると思う。
 人生の辛苦、そして喜びは千載に変わらぬものである。であれば、そこに生きる人間の知恵も、共通の地盤があるはずだ。われわれの遠き先輩たちが、遺してくれた文化の輝きからうけた久しぶりの充実感を、どのように自己省察の鏡とし、現代に息づかせていくべきか。 ──少なくとも、この万葉の地を、観光客の傍若無人な振る舞いで台無しにするような浅ましさだけは、慎みたいものである。

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