Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ひとときの感懐  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
3  核、公害、情報管理社会の現代にあって、一種の無常観ともいえるものが、一部知識層の間に根を下ろしつつあるようだ。たしかに、人間の温かみが年々歳々、干からびていくこの時代は、世紀末の様相ととれないこともない。しかし、いたずらに厭世思想に溺れたり、また目をそむけて刹那の行動に走るのも、ともに無常を、正しい意味で把握した姿勢であるとはいえない。
 数千年をさかのぼる東洋の先覚者は、無常をいいながら、結局は、さらにその奥に流れる常なる生命の力を指し示していた。厭離穢土欣求浄土では、現実社会の変革にならないことを、彼は力説して終わったのである。
 巨大な機械化社会をつくりあげ、みずからの力を過信した人類の傲慢は、得意の頂点から奈落に落ち込まざるをえなかった平家一門のように、みずからの手足に縛られた弱々しい人間群と変わりはてようとしている。その斜陽を彩るのが、世紀末思想なのであろうか。
 しかしこの、動き、呼吸している社会を哲学の眼で見据え直し、そこからいかに人間が賢明に主導するかを探る試みこそが、最も今、待ち望まれていることではないだろうか。
 平家物語ゆかりの地を訪ねる行楽の人々が、刹那でも、この思索の小径を歩むならば──と、ささやかな呼びかけをせずにはいられない。

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