Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ひとときの感懐  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  旅は、今の日本人の間では一種のブームの観を呈している。都会の喧騒の、乾いた葛藤図から離れて、清涼の大気と香気ただよう木々の緑にふれるとき、歴史と詩情の世界が、そこに開けるようだ。現代人にとって旅は、ひととき窒息の日々から逃れさせてくれる、束の間の理想郷のようなものかもしれない。
 日常の煩務に忙殺され、旅の楽しさなど、ついぞ最近は味わうことのできない私でも、ふと、自然と戯れながら詩境に耽りたくなることがある。失われつつある日本の旧き風物をとどめる、数少ない地域の一つ、木曾路。日本文化発祥の古都、奈良。それらを逍遙しつつ、歴史に名を遺したつわものたちの「夢のあと」を散策している自分を、想像してみたりするのである。
 今年の旅の人気コースの一つは、平家物語ゆかりの地だそうである。そういえば、昨年は北海道の知床や奈良の柳生の里が、人気の的だったらしい。昨今は、グアム島に若い人たちが押し寄せている。情報過多の騒音から脱出しようとして、その目的地をテレビドラマや流行歌、ニュース等にちなんで求めようとするのも、皮肉といえば皮肉な話である。しょせんは、巨大な管理社会のしがらみから逃れえぬ、現代の人間の業なのであろうか。それとも、人間本然の志向するところを、情報産業が追いかけているのであろうか。
 平家物語といえば、やはり京都である。王朝文化のきらびやかな舞台に繰り広げられた複雑な人間模様、あくなき権力抗争の推移が、一種あわれを誘う琵琶の音とともに、幾百年、語り継がれてきた。
 殿上人となるために、言辞に尽くせぬ忍従を重ねた、平家の苦労の跡を偲ばせる京都御所。天皇の門守りの身から、末は天皇の身内として、傲然と廊下を闊歩したにちがいない。美しい竹やぶの並んだ嵯峨野でも、清盛をめぐる、女人のあわれが演じられた。その豊富に自然の息吹をたたえる京都も、春ともなれば、人波の、傍若無人な嵐に揉まれてしまうかもしれない。
2  平家物語には、全編を流れる無常観が、平家の華やかな栄耀と、見るかげもなき無残な落魄との鮮やかな対照のなかに、哀しげな音調を奏でている。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」(『日本古典文学大系』32、岩波書店)
 有名な冒頭の一節である。そしてこれは、平家物語の主旋律であり、結論でもあるようだ。登場人物の起居動作は、正確に、盛者必滅会者定離じようしやひつめつえしやじようりの軌跡のうえを歩んでいく。それはあたかも平家物語が、史実にもとづいて構成された物語であるというよりも、諸行無常というテーマを軸として創作された、虚構の世界であるかのような感をいだかせさえするのである。
 傲岸無礼に振る舞った清盛ら「盛者」がたどる「必衰」の道を、物語は克明に描き出していく。清盛嫡男の重盛の夭折、嫡孫維盛の熊野における入水、そして維盛の嫡男である六代が若くして斬られる場面まで、清盛嫡流の悲惨を、ことさら詳細に筆写してみせるのも、冒頭の主題を追跡したものであろう。建礼門院の後半生をわざわざ追加したのも、清盛をめぐる女性がいかなる行路を歩んだかを示すのが意図であったと知れば、納得もいく。この平家一門のはかなさに比べれば、義仲や義経の源氏勢の華麗さも、たんなる引き立て役にすらみえてくるから不思議だ。
 諸行無常の嫋々とした哀切のムードが、天空を紅に染めぬいて沈む夕日の平家の滅亡を、ドラマチックに盛り上げていることは、疑いないようだ。
 ところで、この諸行無常という言葉が、仏教用語であることは、周知の事柄である。しかし、その言葉の本来の意味は、今、一般に受け取られているような、悲愴、厭世的な雰囲気のものとは、少し趣が違う。むしろ、森羅三千の自然現象の奥深くを見極めようとする、哲学的な意味を含めたものであったことは、存外知られていないようである。 一切万物の現象には、常なるものはありえない──というのが諸行無常の意味である。人間の常として、愛するもの、好ましいものに対しては、それが常住であることを望み、執着する。しかし、いかなるものといえども変転を免れることはできない。その如実相を明晰に洞察せず、ただ執着しているところから、さまざまな、人生のうえの蹉跌、煩悶が起こるのであると、仏法は説く。
 したがって、変化・発展し移ろいゆく無常の諸行を、よく認識することが、価値ある人生を歩むための先決課題であるというのが、仏教の先覚者の言わんとしたところであった。諸行無常の本来めざしていたところは、世をはかなみ厭うたり、逃避し無気力になることではなく、変遷してやまない現実世界を、いかにリードするかにあったようである。その点、平家物語の伝灯者は、諸行無常を一面からしかとらえず、あの悲詠のムードとなったような気がする。
3  核、公害、情報管理社会の現代にあって、一種の無常観ともいえるものが、一部知識層の間に根を下ろしつつあるようだ。たしかに、人間の温かみが年々歳々、干からびていくこの時代は、世紀末の様相ととれないこともない。しかし、いたずらに厭世思想に溺れたり、また目をそむけて刹那の行動に走るのも、ともに無常を、正しい意味で把握した姿勢であるとはいえない。
 数千年をさかのぼる東洋の先覚者は、無常をいいながら、結局は、さらにその奥に流れる常なる生命の力を指し示していた。厭離穢土欣求浄土では、現実社会の変革にならないことを、彼は力説して終わったのである。
 巨大な機械化社会をつくりあげ、みずからの力を過信した人類の傲慢は、得意の頂点から奈落に落ち込まざるをえなかった平家一門のように、みずからの手足に縛られた弱々しい人間群と変わりはてようとしている。その斜陽を彩るのが、世紀末思想なのであろうか。
 しかしこの、動き、呼吸している社会を哲学の眼で見据え直し、そこからいかに人間が賢明に主導するかを探る試みこそが、最も今、待ち望まれていることではないだろうか。
 平家物語ゆかりの地を訪ねる行楽の人々が、刹那でも、この思索の小径を歩むならば──と、ささやかな呼びかけをせずにはいられない。

1
1