Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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皆既月食に想う  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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2  ところが、現代科学の眼は、正確な軌道の計算から、いつ、どのように日食や月食が起こるかを予告してくれる。その成果のうえに立って、われわれ現代人は、それらを宇宙のショーとして楽しむことができるが、宇宙自然を、ただ畏敬の眼でしか見なかった上古の人々は、それを不吉な現象として恐れていた。この大地が球体で、動いているなどということは信じようともせず、ニュートンの万有引力の法則も知る由もなかった人々にとっては、それも当然であったろう。
3  ところが、自然科学の知識がこれほど行きわたっているはずの現代にも、そうした無知が存在し、それがもとで悲惨な流血騒ぎが起こったことを、カンボジアからのニュースは伝えてくれた。
 カンボジアでは、月食などは悪魔が月を隠すのだという考えが、今でも根強くもたれている。そのため、月食のときなど、鐘やドラをたたいて悪魔を追い払おうとする風習がつづいていたという。ところが、一月三十日の月食のさいには、その悪魔を追い払おうとして、軍隊が約一時間にわたり、月に向かって自動小銃を発砲したというのである。その流れ弾に当たって、無関係な市民が三人死亡し、数十人が負傷してしまった。まったく信じられないような話である。
 この事件は、迷信のもつ恐ろしさを伝えている。迷信が迷信として、一般庶民の生活環境と無縁なところに存在している間は、まだ被害は小さいであろう。しかし、カンボジアの例のように、それがどのような形で人々の上に降りかかるか想像だにできない。
 迷信といっても、月食などの天体現象にかかわるものばかりではない。政治のうえにも、経済活動の分野にも、幅広く横行している。ユダヤ人は忌むべきものであり、ゲルマン民族の純粋な血を守らなければならないという人種についての迷信は、人間を人間とも思わぬ狂乱の大虐殺へ駆りたてることとなった。
 経済成長が、繁栄のシンボルだという迷信は、人間をアニマル化し、公害をやむをえないこととして、罪もない人々の間に不治の病を蔓延させていくのである。
 この「迷信」なるものが、どうして跡を絶たないのか──それは、人間たるもの、なにか信仰をもたねばいられない存在であることを示しているのかもしれない。太陽や火を太古の人たちは等しく畏敬したし、現代では、唯物哲学や虚無思想を一種の信仰としている人も少なくないようだ。
 浅はかな人知を超えて、未知の世界、未知の真理があるにちがいないという、人間の謙虚さのあらわれが、信仰の淵源であるともいえよう。また、いかなる自然現象も、人間生活に無関係なものはないという、直観のもたらしたものであるかもしれない。
 しかし、かつての信仰の多くは、科学の発達した現代からみれば、迷信にすぎなかったようである。科学の発達する未来社会にあっては、迷信はなくなり、宗教は残ると予言した学者がいる。迷信とは、現代科学の知識、あるいは人間の良識に反するものをいい、宗教とは、それらと相対立するのではなく、包容し、超越するものをいうゆえであろう。
 そういう意味では、日食や月食を意味もなく恐れたり、人間の生命や生命力を奪うことを正当づけるような信仰は、それがいかに壮大な教義、深遠な思想性に飾られていたとしても、迷信であると言わざるをえない。
 ──ところで、迷信を否定しなければならないということは当然だが、古代の人が考えたことが、どこまで迷信かということは、あらためて検討しなければならぬ問題だ。昔の貧弱な科学知識にもとづいた、迷信の数々にふれて、現代人は、信仰のほとんどを迷信として片づけてしまうことが多いようである。カンボジアのニュースは、その最たるものであろう。しかし、昔の人の知恵が、じつは、鋭い洞察をしている場合もかなり多い。
 たとえば、古代インド人は、日食や月食をはじめとして、太陽の異変現象を凶兆とし、太陽の光が弱くなったりすることを恐れていたことが古典にみえている。たとえば、太陽が二つ以上に見えたり、黒い太陽になったりすることは、宇宙空間に浮遊する宇宙塵や地球の大気中の塵埃が、太陽の光を弱めることを暗示するものであり、疑いもなく大凶兆であることは科学も指摘している。
 現実に、それらの現象が起こる可能性がある今、数千年前のはるか彼方から送りつづけてくれる警告を、等閑視することは危険でもあろう。
4  宇宙自然の運行は、複雑微妙である。しかし、ごまかしのない確たるものであることも事実である。その本源をどれだけ的確に洞察し、人間生活をより実り多きものにするか。そして、人間の歴史が営々として築き上げてきた知識の遺産のいずれが正しく、いずれが間違っているか──その判別の作業は、困難だが重要なことではないだろうか。

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