Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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事実と真実  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
3  私は、事実は大事にしたいと思う。正確な事実の把握がなければ、判断に狂いを生ずる。とともに、部分の事実に導かれる真実をもって全体の真実を見誤る愚かさも、避けねばならないと思うのである。
 たしかに、一事が万事ということもある。本源を把握するならば、たとえそれが一部分であっても、全体を洞察できよう。だが、それには、目にふれた事実が、全体に通じるものであるかどうかを判断する必要があるのである。
 一つの事実をもって早計に結論するのではなく、事実と事実を丹念につなぎあわせ、綜合の眼で真実を見極めていく努力が、とくに今日、必要ではなかろうか。
 というのも、現代社会のさまざまな対立、抗争、憎悪も結局、そうした個の事実をもって即座に全体の真実とみるところに起因しているのではないかと思うからである。家族間の反目、職場での対立、そして国家間の紛争にいたるまで、すべてそこに原因があるといってよいほどだ。
 また、一つの事実を全体の真実と見せかけるのは、それがきわめてもっともらしいものであるがゆえに、権力者がわれわれを欺くためにとる常套手段だといってもよい。賢明な民衆は、それを見抜く力をもたねばなるまい。
 そのためには、ある一つの事実に対して反対の事実があるかないかを考えるゆとりが必要なのであろう。とくに、人間に関しては、絶対的な善人とか悪人とかがいるわけではない。そこに人間の本性に対する理解と寛容の心が要求されるのではあるまいか。
 事実の奥に潜む真実――そこにどこまで迫れるか。それが人間の英知というものだろう。

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