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日蓮大聖人・池田大作

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正月と人生  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  正月――年の初めを祝う、この儀式が、いつごろから起こったかは、浅学にして私は知らない。
 宇宙の一角で地球が刻む、一年三百六十五日を初めて見いだした大昔から、同時に正月はあったはずだ。
 考えてみると、日本の正月は、大部分の民衆にとっては心の故郷ともいえる、田園社会の伝統に彩られているようだ。秋に取り入れたばかりの新米で打ち出した、真っ白い大きな鏡餅。そして、干し柿、蜜柑、戸口に飾る門松や注連縄等は、いかにも、田舎の懐かしい香気に包まれたものばかりである。
 ところで、一年が三百六十五日で一巡するというのは、天文の観察や気象の変化によって必然的にとらえられるが、その初めをどこにするかは、多々議論があったにちがいない。事実、聞くところによると、古代ギリシャでは夏至の日を正月としたり、ユダヤの暦では、春分の日を正月としたという例もあるそうである。
 日本では、現在の太陽暦が採用されるまでは、一月の十五日が元日であった。いわゆる「小正月」がそれである。農村へ行くと、今でも正規の正月より、この小正月を祝う風習がみられるようである。どうやら、秋の取り入れが終わって一段落し、心からゆったりした気分で新しい年の豊作を祈るには、この「小正月」のほうがピッタリしているのだろう。
 私は東京生まれで、先祖代々の江戸っ子だが、幼少時代を過ごした大森のあたりは、一面に田圃や畑が広がっている田園地帯だった。いや、戦前の日本列島は、都会も田舎もなく、行く先々に田園的雰囲気が色濃く残っていたようにも思う。
 わが家が農家でなくとも、一年を無事に過ごせたことを感謝し、新しい一年の息災と豊饒を祈る気持ちは、なんとなくわかるような気がした。そこには、年が明ければ、何もかも新しくなるのだという感情が、たしかにあったといってよいだろう。
 当時は、人の年齢も数えでいったから、正月とともに一斉に一つずつ増えていった。――このことも、新年の実感を自身の新生とする一つの要因となったかもしれない。
 ともあれ、宇宙の奏でるリズムというものに人間も一体になって協和し、自然も、世の中も、自分も歩調をそろえて新しい年に変わるという感情――そこに計り知れない安堵感と、一種の快い緊張感があったといえる。
2  残念ながら戦後の社会は、高度の産業発展とともに、こうした宇宙的な何ものかとの一体になったリズム感を失ったようにみえる。農業は、さまざまの近代産業の陰にわびしく置き去りにされ、しかもその農業自体、自然の恩恵によるよりは、農薬と化学肥料と、そしてビニールハウスによっている。おかげで好きなものが、季節にならないでもいつでも手に入る。同時に、それぞれの作物が伝えてくれた瑞々しい季節感や田園の自然の鼓動といったものは、もはや聞くことができない。
 正月を飾りつける鏡餅や注連縄、門松も妙によそよそしく、機械的になった。豊かな自然の恵みよりは、お金の威力を誇示するかのようになってしまった。年が改まるといっても、なにか自分とは関係のないところで、役所や会社が勝手な区切りをつけているだけのことだといった気さえする。
 といって、なにも私は昔の農業社会に戻るべきだというつもりはないし、年齢の数え方を変えるという気持ちも、さらさらない。ただ、自然の脈搏ともいうべきものを、人間は決して忘れ去ってはならないし、それと共鳴していく生き方を、より多く受け入れる必要があるのではないか、ということである。
3  当然のことだが、年をとるということも、一つの自然である。それ自体が、リズムを奏でる自然の存在である。ちょうど、季節や気象条件、土質に合わせて、お百姓さんが作物をつくるように、この人生というものを、どう耕し、手入れし、豊かな稔りをもたらすか――そこに、人生の生き方が求められたのではないだろうか。
 生命の脈動ともいうべき、このリズムは、日により、月により、季節によって、人それぞれに多彩であろうが、やはり正月を節とする、一年、また一年という流れが、最も深く鮮やかに、人生の年輪を刻んでいくようである。
 昔の人は、年齢に応じた、人生の生き方の規範を明らかにし、おのおのの人生の指標としてきた。十有五で学に志し、三十にして立ち、四十で惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず――これは孔子がみずからの人生について言った言葉だが、東洋の多くの知識人はこれを手本としてきたといってよいだろう。
 私は、孔子の生き方が理想であるというつもりはない。ただ、そこに流れている、自分の人生を一歩、距離をおいて客観視し、どのように仕上げていこうかという、涼やかに澄んだ境地が尊いと思うのだ。
 ただ、ひたむきに突進し、征服し、取り込み――生を貪っていく生き方。それもエネルギッシュで頼もしい、一つの生き方にはちがいない。しかし、いつも何かに駆りたてられている馬車ウマのようで、それが人間らしい人生といえるだろうかと疑問に思われてならない。
4  現代人の最大の不幸は、こうして、自分自身というものを冷静にみつめ、人生をみずからのつくる作品として、これに主体的にかかわりあうゆとりを失ってしまうことにあると私は考える。
 そして、自分をつくる手も頭脳も、自分自身ではなく、社会であり企業であり、学校の教師であるかのように錯覚してしまった。いや、たんなる錯覚ではない。実際問題、この最も貴重な、かけがえのない権利を、多くの現代人はさまざまな権力や機構に売り渡してさえいるようにみえる。
 たしかに統計上は、少しは寿命は延びた。だからといって、たいして長くもない人生である。まして、いつ突如として終幕がやってくるかもしれない人生であってみれば、いっそ、だれかにゆだねてしまったほうが気楽なのかもしれない。しかし、自己というものをそれなりに築き、磨きあげ、完成しようという気持ちをもつことは、人間として欠いてはならない、基本的なものではないだろうか。
 ともあれ、新しい年の初めにあたって、自分らしい、人間としての生き方といったことに想いを凝らすのも、その意義は決して小さくはあるまい。

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