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日蓮大聖人・池田大作

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模倣と独創  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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3  「独創力とは、思慮深い模倣以外の何ものでもない」とは、ヴォルテールの言葉であるが、日本文化の特性は、模倣どころか、ある意味では独創性にあるということになるかもしれない。文章の上達法について清水幾太郎氏が、まず優れたものを模倣することだ、と述べていたが、模倣と独創とは対極点に位置しているようにみえながら、じつは表裏一体のものなのだろう。
 むろん、こうした日本文化観には異論も少なくあるまい。私自身も、決して的を射たものだとは思っていない。模倣とみるか独創とみるか、の論議はどの地点に立って論ずるかの違いであろう。
 私が言いたいのは――外来文化の模倣の後にはかならず独自の文化の醸成があり、その消化作用が完了すると、あたかも次の養分を摂取するかのように、新たな文化を取り入れてきた、これまでの事実である。こうした日本特有の、文化生成力ともいうべき民族の知恵は、二十一世紀を志向する人類文化の発展に、大きく寄与する可能性を確実に秘めているということである。
 というのも、今日、物質面を強調する西洋の文化と、精神の開拓に力点をおく東洋の文化とは、ともにすぐれた面をもちつつも、なお人類に対するいっそうの貢献度は、今後に期待する以外にない現状であろう。結論的には東西文化の融合するところにこそ、真実の人間の幸福をもたらす文化が誕生するのではあるまいか。
 この世界文化の融合はいかにしてなされるか。私はここに、日本文化の特質が東西の重要な接点の役割を果たせるのではないかと思うのである。
 私は、なにも日本文化の特質がすべてよいというのではない。長所はつねにその裏に短所をはらんでいる。いかなる良薬であっても用い方一つで毒にもなる。問題は、せっかくの特質をどのようにして長所として生かしていくかである。そこにすぐれた英知の必然性があるわけだ。
 近ごろ、古き日本のよさが見直されはじめてきた。戦後のアメリカ一辺倒の行き方は転換期にさしかかっている。この先、日本の文化はどうあるべきか。「文化」というものに臨む私たちの姿勢は、きわめて大きな意味をもちはじめている。

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