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日蓮大聖人・池田大作

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模倣と独創  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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1  十一月三日は「文化の日」である。
 新憲法の公布を記念し、文化をすすめる日として設けられたこの日は、今年で二十四回目を迎える。昔は、明治節といわれた日である。文化という言葉のもつ曖昧さのためか、その意味合いが、あまりはっきりしていないような祝日であるが、それはともかく、日本の文化というものをこのさい――考え直してみたいと思う。
2  日本の文化を語るとき、その模倣性ということがよくいわれる。北村透谷が「模倣、卑しき模倣、これ国民の、もっとも悲しむべき兆候なり」と嘆いたほどだから、それが言われだしてから年久しい。しかも、兆候どころか、今では日本文化を悪く言う場合の常用語にさえなっているようだ。
 たしかに、そうした指摘は誤ってはいまい。日露戦争当時のロシア皇帝は、日本人を“猿”と呼んだそうだが、顔つきが猿に似ているということよりも、猿のようになんでもかでも真似をするという意味を込めてそう言ったという。多分に敵意が作用してのことだろうが、古今の文化史を眺めてみると、そのことも否定できないようだ。
 事実、歴史の曙光期以来、日本は長い間中国を教師と仰いできた。律令制度を学べば日本も即座に律令国家となり、大陸に区画の整った新都が建設されれば、瓜二つの都が奈良や京都に出現している。
 明治期になると、手本はヨーロッパに変わったが、外来文化の旺盛な摂取は変わらないどころか、貪欲の極限にまで達した感さえあった。さきのロシア皇帝の言葉が、その当時の様子を象徴していよう。
 戦後はアメリカである。アメリカ製でなければ、夜も日も明けぬ時代となった。あるアメリカ人の話として、玉砕戦術をとる特攻隊のような日本国民が、戦後もどんなに抵抗するかと思ったが、非常に従順だったので驚いた、と加藤諦三氏が書いているが──先頭に立って“鬼畜米英”を叫んでいた政治家が、敗戦とともに、さっさと向米一辺倒に変身してしまうのだから、その過熱ぶりもわかろうというものだ。
 しかし、政治家の変わり身は別として、模倣が、よくいわれるように、はたして悪いことかというと、私にはかならずしもそうとばかりいえないように思える。
 もちろん、取捨の選択もなく、いたずらに外来文化を崇拝して真似るのであれば論外だが、模倣力が強いことは、それだけ異質の文化に対して柔軟性があり進取の気象に富んでいることでもある。今日の開発途上国の問題は、それらの国々に先進文化の滋養を吸収する力のないことが、最大の隘路になっているともいわれる。それを思えば、わが国にはそれだけの下地があったからこそ、現在の発展がもたらされたといえる。
 たとえば、もし模倣力が微弱であったとすれば、列強の熾烈な帝国主義競争の真っ只中にあった徳川の幕末から明治初期にかけて、あのような奇跡的ともいうべき近代化の速度は望むべくもなかっただろう。戦後の復興また然りである。
 あえて言うなら、模倣性という特質は、それ自体は決して恥ずべきものではなく、日本民族のすぐれた才能であると思うのだ。
 それどころか、歴史を子細に観察してみると、その時々の先進文明国の文物を生のままで移入するのではなく、それを巧みに日本化してきたところに、日本文化のむしろ大きな特徴があるといってよい。
 世界のなかの日本文化は、特異な地位を占めるものであろうが、その特異さは、そうした消化の妙に由来するのではなかろうか。
 奈良時代の、あの大陸製文化の華やかな時代に編纂された『万葉集』。輸入した漢字を自国語として使用しながら一方でそこからカナ文字という芸術作品を編みだした知恵。さらには鎌倉、室町、江戸と、中世から近世にかけて独特の風土のなかで発酵した建築、絵画、文学等の個性豊かな諸文化──。
 卑近な話が、パンを知ればアンパンを発明し、牛肉が食用に供されるや、すかさずスキヤキを始める民族なのである。外国人が慣れぬ手つきでこの“日本の味”を賞味している姿を見ると、模倣などという言葉とはおよそ正反対のものが、日本文化の真髄であるかのように思われるのである。
3  「独創力とは、思慮深い模倣以外の何ものでもない」とは、ヴォルテールの言葉であるが、日本文化の特性は、模倣どころか、ある意味では独創性にあるということになるかもしれない。文章の上達法について清水幾太郎氏が、まず優れたものを模倣することだ、と述べていたが、模倣と独創とは対極点に位置しているようにみえながら、じつは表裏一体のものなのだろう。
 むろん、こうした日本文化観には異論も少なくあるまい。私自身も、決して的を射たものだとは思っていない。模倣とみるか独創とみるか、の論議はどの地点に立って論ずるかの違いであろう。
 私が言いたいのは――外来文化の模倣の後にはかならず独自の文化の醸成があり、その消化作用が完了すると、あたかも次の養分を摂取するかのように、新たな文化を取り入れてきた、これまでの事実である。こうした日本特有の、文化生成力ともいうべき民族の知恵は、二十一世紀を志向する人類文化の発展に、大きく寄与する可能性を確実に秘めているということである。
 というのも、今日、物質面を強調する西洋の文化と、精神の開拓に力点をおく東洋の文化とは、ともにすぐれた面をもちつつも、なお人類に対するいっそうの貢献度は、今後に期待する以外にない現状であろう。結論的には東西文化の融合するところにこそ、真実の人間の幸福をもたらす文化が誕生するのではあるまいか。
 この世界文化の融合はいかにしてなされるか。私はここに、日本文化の特質が東西の重要な接点の役割を果たせるのではないかと思うのである。
 私は、なにも日本文化の特質がすべてよいというのではない。長所はつねにその裏に短所をはらんでいる。いかなる良薬であっても用い方一つで毒にもなる。問題は、せっかくの特質をどのようにして長所として生かしていくかである。そこにすぐれた英知の必然性があるわけだ。
 近ごろ、古き日本のよさが見直されはじめてきた。戦後のアメリカ一辺倒の行き方は転換期にさしかかっている。この先、日本の文化はどうあるべきか。「文化」というものに臨む私たちの姿勢は、きわめて大きな意味をもちはじめている。

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