Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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折々の断想  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

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3  しかし、私は死によって生を自覚させようという考え方に、生のとらえかたの浅さがあるように思えてならない。
 はたして人間は、死という絶壁を意識しなければ生を自覚できないのであろうか。私はそこに、生と死をまだ相対的に眺めている人生観があるように思う。
 ヨーロッパ統合の提唱者、R・E・クーデンホーフ・カレルギー伯と対談したとき、氏が洩らした興味深い言葉があった。――東洋と西洋とでは、生死の問題に対する考え方に大きな相違がある。東洋では、生と死はいわば本のなかの一ページのようなもので一ページが終わると次のページがあるが、西洋では、人生とは一冊の本のように、初めと終わりのあるものと考えられている――というのであった。これは東西の死生観を表現した巧みな比喩であると思う。
 生命とは、生と死とを繰り返しつつ永遠に持続していくもの――というのが東洋の生命観なのである。この生死を超えたところに自己の目的と使命を求め、己が生を賭けていく。そこに尽きない生命の充実感が生まれていくのではないだろうか。つまり、生きるために努力していた状態から、この生を何のために燃やしていくかという姿勢に一歩脱皮することである。
 人は、それぞれに独自な生の主題ともいうべきものを発見していこうと努力しているはずだ。いつ死が訪れても悔いないという、現在刹那の生への真摯な姿勢が、その人生を決定するのである。
 昨日は国際反戦デーであった。今朝の新聞には、若いエネルギーが、また空しくコンクリートにぶつかって拡散し、挫折したことが報じられている。私の網膜に、パリの五月革命のイメージと重なりながら、傷つき倒れる青年たちの顔が、痛ましく浮かんで去らない。

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