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日蓮大聖人・池田大作

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通貨問題に思う  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
2  私は経済についてはまったくの門外漢である。通貨問題についての詳しい知識もないし、まして論評などできる資格のないことも承知している。
 ただ私なりに感じたままを述べれば、経済というものがいかに国家利益という錦の御旗のもとに、いとも簡単に左右されるものであるかを、まざまざと思いしらされた感がする。言わば現代にあって世界経済とは、国家間の絶えざる凄まじい戦争であるといってよいようだ。実質的な円の切り上げは、アメリカの国家利益が日本のそれに優先したことを意味するにほかならない。
 それにしても、私が問題としたいのは、どちらの利益が優先したにせよ、二十世紀の世界経済が国家の利益という動機で動かされている、この事実である。
 もはや現代の経済は、一国内の自給自足の時代ではない。いかなる国の経済といえども国際社会の一員として、その連環のなかでしか成り立ちえない。物資が、したがって通貨がこの国際社会を自在に往来しなければ、破綻をきたしてしまうことは必定だ。
 その国際的な次元での――経済活動のためにIMFなどのように通貨体制も確立されている。ECのように、国益を超えて広大な地域を単位に共存共栄を図ろうとする動きもある。
 ところが、国際的に門戸が開かれているのは――体制や仕組みだけであって、経済活動そのものは、すべて国家の手にその統制がゆだねられているのである。
3  なるほど、経済というものが、近世以後、人間社会において大きな比重を占めるようになった所以は、国家との結びつきによってであった。中世の暗黒の殻を突き破って近世への船出をした先進国家群は、競って産業を興し、富を蓄積し、それを力に七つの海を制覇しようとした。それらの時代にあって、経済とは、まさに国家の富を蓄える活動であったといってよい。
 以来、経済とは国家の利益を高める活動という観念が固定してしまったのか、今日もなお、その原則は一貫して変わらないようだ。その間、社会主義が誕生し、古典的な資本主義が終焉を告げ、この固定観念は幾度か再検討を余儀なくされている。なかでも富の分配の平等を唱える社会主義の出現は、それを打ち破るかに思われた。
 しかし、資本主義、社会主義の如何を問わず、現在までのところ、やはり国家の繁栄の美名のもとに経済活動が操作されていることは変わりない。否、個人の自由な活動を認める資本主義国よりも、社会主義社会にあっては――経済はより国家の意思に基づく面が強いようだ。
 もちろん近世にあっては、国家利益が国民の利益にそのまま結びつくと考えられた歴史的意味も充分にあった。さらに現在でも、それは一面の真理ではあろう。しかし今、それが、より重要な反面において、どんな結果を生むにいたったかを冷静に考えるべき時期にきているといってよい。一方では、世界人口の三分の一が慢性的な飢餓状態にあるかと思えば、他方、アメリカなどでは、栄養過多からコレステロールが蓄積されすぎ、そのために血管や心臓の病で苦しむ人が少なくないという。この対照的な、二つの地上の現実――それはあまりにも大きな矛盾と言わねばなるまい。
 だからこそ富める国は、開発途上の国に援助の手を差し伸べる必要があるのではないか、という意見もあろう。
 だが、それはそのとおりだとしても、今のままの行き方で世界的な開発が進められた場合、人口過剰、資源枯渇という現代の人類が直面する危機はどうするのか。今の文明が抱える問題は、人類の生存という最も根本的な課題なのである。そうした現状を鋭くみないで、いまだに国家利益の追求という原理と体制をそのままにして繁栄をめざすことが、英知ある人間の発想といえるであろうか。
 私は、二十一世紀へ向けての経済の基本的な視点は、国家利益ではなく人類の利益であり、国家の繁栄ではなく地球の繁栄におかれたものでなくてはならぬと思うのだ。
 もっともこれは、経済というよりも、経済活動を人間のために主導すべき役割をもつ、政治の分野の問題かもしれない。経済自体は、すでに一国の繁栄を求めるさいにも、もはや国際的規模で考えなければならない段階に入っているし、システムも世界に開かれているからである。
 とすれば、そうした世界に開かれた経済の体制を、わざわざ国家の利益という枠にせばめているのは、政治の世界の感覚が、いかに時代錯誤の旧態依然としたものであるかを示す以外のなにものでもない。
 無辺なる大宇宙から比べれば、地球はほんの一点の燐火にすぎない。その芥子粒ほどの地球上に三十六億の人類が生を営んでいる。この冷厳な事実に想いを馳せれば、人間は、もうこのあたりで、国家や体制という、かたくなな人工の氷壁を越えて、地球全体の永劫の繁栄と、人類の幸福を第一義として歩めないものだろうか。ともあれ、ドル・ショックが呼び起こしている問題は、たんなる技術論ではすまされない何かがあるように、私には思えてならない。

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