Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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人間の条件  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
2  「作家として私は、十年来、人間にでなければ、いったいなにに憑かれてきたのだろう」――マルローの鋭い眼が凝視してきたのは、どこまでも人間であった。しかも、人間とは、また彼の言う「人間の条件」とは、静かな書斎や暖かい煖炉の前に坐っている人間ではなく、奔流のように変転してやまない歴史的社会のなかで追い詰められた、なまの赤裸々な人間群である。
 マルローは、その動く、生きた人間の条件を探ねるために、みずからも地平の彼方へ、絶えることのない行動の旅に出ていく。――もとより、その旅路の果てに、幸と希望の曙光が輝いているわけでは決してない。否、そこには成算のない、絶望の暗闇が待っていることが多いのだ。
 しかし、そうした狭い人智の計略を超えて、人間の証のために、決然と信念の道に赴くところに、この行動的作家の本領がある。
 私は、その姿に感動せざるをえないのだ。信条の相違はあれ、思想の何たるか、実践の何たるかの範を、彼は、われわれに全身で示してくれているようである。
 それとともに、ともすれば、批判のための批判、実践なき空虚な理論、観念の空転に遊戯しがちな、どこかの国の知識人、文化人に、痛烈な覚醒を迫っていると感ずるのは、私一人であろうか。
3  一般に、西洋の風土のなかには、マルローのような思想を行動と化する、果敢な行動的知識人が育つ伝統があるようである。
 ギリシャ戦線の地の果てに、三十六歳の若き燃ゆる青春を、霜露の命と消えさせた革命詩人バイロン。核兵器反対に、八十過ぎの白髪を振り乱し、ロンドン市街をデモの先頭に立って行進したラッセル卿。さらには、今でもフランスの若者の象徴として、反体制運動の核となって戦うサルトル。……この他にも、欧米では、政治に直接参加するインテリが、増えつつあるといわれる。
 私は、すべての文化人、知識人が、ラッセルに、マルローになれというつもりはさらさらない。人気のない研究室で、一人黙々と研究に打ち込む姿も尊い。静かな書斎で世の真相を深く思索することも、また大事である。
 しかし、知識を身につけ、英知を磨くのは何のためであるのか。――これを忘れないでもらいたいのだ。大衆の苦悩の喘ぎ、哀しみの涙……本来、学問、知識はこれらと無関係ではなかったはずだ。
 であるとすれば、立場、信条の違いはあれ、まず人間として、立たねばならぬ時に立つことこそ、知識人に課せられた重大な使命といわねばならぬ。
 もっとも、この欧米の傾向は、政治的風土に大いに関係しているようだ。今は亡きドゴールの広い見識と視野を伝える有名なエピソードに、サルトルが反政府活動で警察に捕らえられようとしたとき、ドゴールは断固、それを阻止したという。その理由がふるっている。「私には、ヴォルテールを逮捕することはできない」。
 サルトルは、あの五月革命の理論的主柱として、ドゴールの政界引退の契機をつくった、言わば政敵である。それを、ドゴールは、サルトルを十八世紀の代表的思想家ヴォルテールになぞらえ、たとえその活動が違法であっても、そうした偉大な思想家を捕らえることはできないというわけである。
 この話を聞いて、私は、さすがと思わずにはおられなかった。立場の相違を乗り越えて、思想の尊さを肌身で実感する政治家がいればこそ、マルローが生まれ、サルトルが出るのだとも思った。
 ともあれ、時代は二十一世紀に間近い。政治家も、知識人も、激しく流動するこの七〇年代にあって、まず人間として、己の人間の条件は何かを、小さな対立、不信を踏み越えて、謙虚に考え、行動する時節を迎えたようだ。そして、ともどもに、日本という太平洋に浮かぶ船の舵を、いかにとるかに衆知を集める必要があるのではなかろうか。その時代を見通す巨視眼をもち、勇気と決断の人が、わが国の政治家、知識人にいるかどうか。――それを、私は知らない。

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