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日蓮大聖人・池田大作

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人間の条件  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  フランスを代表する知識人の一人、アンドレ・マルローが、書斎を飛び出し、ふたたび戦場の人になるという。――こんどは、東パキスタンである。
 マルローといえば、つい三年前、彼の生涯の畏友としたドゴールとともに、五月革命の余波をうけ、政界から身を引いたばかりである。それにしても齢七十。平凡に考えるなら功成り名を遂げて、あとは余生を静かに暮らしていい老境である。にもかかわらず、いつまでも自己の強き信念に生き抜こうとする、この現代の大作家に、私は、まずすべてを超越して、心から敬意を表したい。
 第一次、第二次大戦と、二十世紀が体験した、揺れ動く歴史の悲惨な渦中にあって、マルローは、つねに行動的知識人として生きた。彼には、行動せずにはおられない、やむにやまれぬ熱情が、全生命を貫いていたのであろう。
 とくに有名な話は、スペイン内戦のさいの活躍だ。この戦争は、その後に巻き起こるファシズムの嵐との、本格的な前哨戦として、大きな歴史上の意味をもっていた。このとき、マルローは、共和主義側につき、国際航空義勇兵に志願し、その旅団長となって、フランコ反動勢力と対決した。
 また第二次大戦にあっては、ナチス・ドイツの猛威に、ひとたびは敵の捕虜となりながら、劇的な脱出に成功、ふたたびレジスタンスに馳せ参じたことも周知の事実である。
 戦後においても、その行動は疲れをしらない。ドゴールとともに第五共和制の先頭に立ち、文化相等を務め、文化改革にその敏腕をふるった。
 しかし、その間、作家としての彼の筆が、止まっていたわけではない。スペイン内戦のみずからの体験をもとにして著した『希望』をはじめ『人間の条件』『王道』等、マルローの名を不朽にした作品には、旺盛な行動力に裏打ちされた、人間の背水の響声が聞こえてくるものが多い。
 行動しながら筆を執り、筆を執りつつ次の行動を起こす――そんな執念が、この知識人の周辺には、いつも深々と漂っている。
 こんどの、東パキスタンの独立のために戦うベンガル解放軍に、一義勇兵として志願した理由についても、彼はこう述べている。
 「東パキスタンの独立運動を口で擁護できるインテリは、東パキスタンのために身を挺して戦う用意のあるものに限られる」
 現在、東パキスタンは、西パキスタンの中央政府の武力弾圧により、すでに民衆百万人が虐殺され、九百万人にのぼる難民が、インドに逃れるという悲惨の真っ只中にあるという。こんな残酷非道な実態を見ていて、もし黙って見逃そうとするのなら、それこそ、人間の恥辱というべきであると、マルローは訴えたものと思われる。
2  「作家として私は、十年来、人間にでなければ、いったいなにに憑かれてきたのだろう」――マルローの鋭い眼が凝視してきたのは、どこまでも人間であった。しかも、人間とは、また彼の言う「人間の条件」とは、静かな書斎や暖かい煖炉の前に坐っている人間ではなく、奔流のように変転してやまない歴史的社会のなかで追い詰められた、なまの赤裸々な人間群である。
 マルローは、その動く、生きた人間の条件を探ねるために、みずからも地平の彼方へ、絶えることのない行動の旅に出ていく。――もとより、その旅路の果てに、幸と希望の曙光が輝いているわけでは決してない。否、そこには成算のない、絶望の暗闇が待っていることが多いのだ。
 しかし、そうした狭い人智の計略を超えて、人間の証のために、決然と信念の道に赴くところに、この行動的作家の本領がある。
 私は、その姿に感動せざるをえないのだ。信条の相違はあれ、思想の何たるか、実践の何たるかの範を、彼は、われわれに全身で示してくれているようである。
 それとともに、ともすれば、批判のための批判、実践なき空虚な理論、観念の空転に遊戯しがちな、どこかの国の知識人、文化人に、痛烈な覚醒を迫っていると感ずるのは、私一人であろうか。
3  一般に、西洋の風土のなかには、マルローのような思想を行動と化する、果敢な行動的知識人が育つ伝統があるようである。
 ギリシャ戦線の地の果てに、三十六歳の若き燃ゆる青春を、霜露の命と消えさせた革命詩人バイロン。核兵器反対に、八十過ぎの白髪を振り乱し、ロンドン市街をデモの先頭に立って行進したラッセル卿。さらには、今でもフランスの若者の象徴として、反体制運動の核となって戦うサルトル。……この他にも、欧米では、政治に直接参加するインテリが、増えつつあるといわれる。
 私は、すべての文化人、知識人が、ラッセルに、マルローになれというつもりはさらさらない。人気のない研究室で、一人黙々と研究に打ち込む姿も尊い。静かな書斎で世の真相を深く思索することも、また大事である。
 しかし、知識を身につけ、英知を磨くのは何のためであるのか。――これを忘れないでもらいたいのだ。大衆の苦悩の喘ぎ、哀しみの涙……本来、学問、知識はこれらと無関係ではなかったはずだ。
 であるとすれば、立場、信条の違いはあれ、まず人間として、立たねばならぬ時に立つことこそ、知識人に課せられた重大な使命といわねばならぬ。
 もっとも、この欧米の傾向は、政治的風土に大いに関係しているようだ。今は亡きドゴールの広い見識と視野を伝える有名なエピソードに、サルトルが反政府活動で警察に捕らえられようとしたとき、ドゴールは断固、それを阻止したという。その理由がふるっている。「私には、ヴォルテールを逮捕することはできない」。
 サルトルは、あの五月革命の理論的主柱として、ドゴールの政界引退の契機をつくった、言わば政敵である。それを、ドゴールは、サルトルを十八世紀の代表的思想家ヴォルテールになぞらえ、たとえその活動が違法であっても、そうした偉大な思想家を捕らえることはできないというわけである。
 この話を聞いて、私は、さすがと思わずにはおられなかった。立場の相違を乗り越えて、思想の尊さを肌身で実感する政治家がいればこそ、マルローが生まれ、サルトルが出るのだとも思った。
 ともあれ、時代は二十一世紀に間近い。政治家も、知識人も、激しく流動するこの七〇年代にあって、まず人間として、己の人間の条件は何かを、小さな対立、不信を踏み越えて、謙虚に考え、行動する時節を迎えたようだ。そして、ともどもに、日本という太平洋に浮かぶ船の舵を、いかにとるかに衆知を集める必要があるのではなかろうか。その時代を見通す巨視眼をもち、勇気と決断の人が、わが国の政治家、知識人にいるかどうか。――それを、私は知らない。

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