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日蓮大聖人・池田大作

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きのうきょう  

「わたしの随想集」「私の人生随想」「きのう きょう」(池田大作全集第19…

前後
1  この春、機会あって、久しぶりにヨーロッパを訪れた。パリに前後約十日、ロンドンに一週間の滞在で、しかも、そのあとアメリカに渡らなければならなかったので、慌しい日程ではあったが、得るところ少なからぬ訪欧の旅であった。
 いつも感ずることだが、パリにせよ、ロンドンにせよ、総じてヨーロッパの都市は、古いものをじつに大切にしている。歴史がそのまま現代に生きているのである。パリの街を行くと、建物の一部に、その建築年代を刻んだ文字が目につく。百年、百五十年経っているのは、少しも珍しくない。由緒ある、少し立派な建物になると、二百年、三百年という例もある。
 感心するのは、それが、今でも、パリ市民の生活の場として“生きている”ということである。道路に面した一階には、瀟洒な店が落ち着いた様子で商売を営んでおり、二階以上は、アパルトマンになっている。どんな都心部の繁華街でも、ビジネス専門というビルはめったにない。生活の場とビジネスの場とが隔絶されていないところに、パリの街の生きいきした特質があるようだ。
 わが国でも、奈良や京都など、古い歴史を刻んだ建造物がないわけではない。しかし、その多くは、寺院などの特殊な建物で、そこで人間が日常生活を営んでいるわけではない。いや、本来の寺院としての機能さえ失って、今では文化財的記念物として、観光客の観賞の対象となっているのみである。それは、建物としては、すでに“死んでいる”というほかはない。
 ロンドンの市内にも古い建物は少なくないが、とくに感銘を受けたのは、オックスフォードとケンブリッジヘ出かけたときのことである。オックスフォードへ行く途中で休憩をとった所は、十四世紀の建築という、農家ふうの建物であった。真っ黒な柱と梁が、素朴な曲線を描いて、しかし、がっしりとかみあっており、なんともいえない心の安らぎを与えてくれた。
 オックスフォードやケンブリッジには、十四世紀ごろからの歴史を誇るカレッジがある。それらは、今も伝統ある学舎として、二十一世紀をめざす青年たちをはぐくんでいる。学生の部屋を見学させてもらったが、家具なども古い時代のものそのままである。学生たちも、過去の栄光の歴史を築いた先輩が学んだ、同じ部屋、同じ机で学ぶことに、誇りを感ずると言っていた。
2  古いものを大事にする――否、たんに大切にするというだけでなく、現実に使い生かしていくということは、経済的な吝嗇などといった説明ですませられるべき問題ではない。家具や建物にしても、街そのものにせよ、さらには自然そのものにしても、それ自体は物質であり、経済的価値に置き換えることもできよう。だが、そこに人間の生活の営みがかかわり、歴史が刻み込まれると、もはやたんなる物質ではなく、経済的価値のみでは割り切れない存在となる。
 古い時代のものを、今も大切に使うという、こうしたフランス人やイギリス人の姿勢を支えているのは、この過去の歴史をどう受け止めるかという、筋金入りの背骨なのではあるまいか。さらに言えば、その物体にまつわる、過去の人間の営みに対する敬虔な気構えといったものが、そこにあるようである。これは、当然、現代の人々の生き方という面に、強い規制力をもってあらわれる。
 現今のイギリスは、ある意味で、この歴史が、必要以上の重みを加え、そのため、身動きがとりにくくなっている状態なのかもしれない。とすれば、もちろん、これは、重ければ重いほどいいというものではなく、調和がとれていなければならないのであろう。
 しかし、少なくとも、現代の日本人にとっては、この点、いくら強調しても、しすぎるということはないようである。幾多の文化的、歴史的価値をもつ貴重な遺産が、そうした面はまったく考慮の外において、次々と破壊され、台なしにされている。人間の遺した文化遺産ばかりではない。自然が、おそらく何千年、何万年の歳月をかけて作り上げ、営んできた森林や湖水・海水中の生態系も、無残にぶち壊されてしまっている。
 日本人も、かつては、そうした古きものに畏敬の念を寄せ、大切に保存しようとする習慣をもっていたらしい。文化的遺産には、昔それに関係した人々の霊が宿っていると伝えたり、原始林には山の神が、湖には水神が住んでおり、これに手を加えると祟りがあるなどといわれてきた。それは、今になってみると、先人の巧みな智恵であったように思われる。
 近代に入って、怨霊や神の祟りといったものは、臆病な先祖たちのデッチあげた“迷信”であるということになり、目先の利益の追求のため、遠慮会釈のない破壊が加えられるにいたった。原生林は切り払われて、効率のよい杉や桧が植えられ、湖水は産業の発達で汚水の溜りと化したのである。
 そして、その結果――古人の伝えた、祟りの伝説は、どうやら、もっと生々しく、恐ろしい証拠をもって、現実化しようとしている。湖や川や海の水を汚したことは、イタイイタイ病や水俣病などの病気となって住民のうえにふりかかっている。山林の伐採は、山津波や洪水をひきおこす原因となった。
 また、古くからの文化財の破壊は、人間社会のなかに、世代の断絶などにみられる、相互不信、人間疎外の砂漠を広げている。いっさいを物質的、経済的観点からのみ割り切り、精神的、人間的要素を捨象した報いが、次の世代をそうした思考法に追いやり、深刻なシッペ返しを受けているといったら言いすぎだろうか。
 昔の人々が伝えた、霊や神々に対する畏敬の心とは、今日の言葉でいえば、物質の背後にある精神的、人間的なものへの敬意であり、自然界のもつ力とリズムへの調和ということになろう。これは、厳しい「祟り」を受けてみて初めて気づいたわけであるが、これもまた“霊”や“神々”という古い言い伝えを大切にし、謙虚にその意味を考えてみる姿勢があれば、現代人は、これを生かすことができたかもしれない。
3  明治以後、日本人は、ヨーロッパから文明を摂取し、たしかに近代文明社会を築き上げた。だが、日本人が学んだものは、文化の結果としての技術や物質だけで、文化の原動因である、人間としての姿勢やモラルは忘れていたようである。欧米に追い着き、追い越すことを願うあまり、優秀なエンジンは仕入れたが、ブレーキを無視していたといえるかもしれない。
 それは、より自己自身に密着したものであり、詮ずるところ、自身の内から生みだしていかなければならないものであろうが、そのためにも、ヨーロッパは、まだまだ、日本にとって学ぶべき多くのものをもっているといわなければならないようだ。

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