Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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師曠の耳  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
4  日蓮大聖人は御遺文集のなかで、この故事を引かれ「師曠が耳・離婁が眼のやうに聞見させ給へ」と仰せになっている。離婁という人は、師曠が素晴らしい耳をもっていたように、視力にすぐれ、百歩離れたところからも、毛の先を見分けたと伝えられる。
 いずれにせよ日蓮大聖人は、この故事をとおし、宗教の正邪はもとより、広く社会の盛衰の兆しを読みとっていく耳、眼、見識を養うよう、うながされているのである。
 私は漫才ブームを「亡国の音」などと目くじらたてるつもりはない。亡国をいうなら、さまざまな形をとって現れる右傾化、保守化の潮流こそそれである。
 “バター”を削って“大砲”に備える。戦後初めて防衛予算が福祉予算の伸びを上回ったことの不気味な予兆。平和憲法の改廃論議。いかなる大義名分を振りかざそうと、そこに「亡国の音」を聞き分ける師曠の耳をもつことが急務といってよい。
 しかし、どんな強圧的な政治であっても、民衆の最大多数の支持なくして事が運べようはずがない。これは、さきの大戦によってわれわれが得た、そして二度と手放してはならぬ貴重な教訓である。
 だから、民心の動向こそ、大事中の大事となってくる。笑いひとつにしても、その心の模様図は、じつに正確に反映しているものだ。 揺れ動く民心の健康度いかん──、師曠の鋭い耳は、そうした次元をも決して聞き逃すことはないと思うのだが、どうだろう。

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