Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

心の財  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
4  昔、釈尊が祇園精舎で説法していたとき、一人の愚かな男がいた。
 「ある日、外出する主人から門を守る外に、ロバに注意するよう命ぜられた。しかし彼は、その日、隣の家で音楽会があるので、それをききたくて我慢が出来なく、とうとう門を取りはずしてロバの背にそれをしばりつけ、そのロバを連れて音楽をききに行った。処が、あいにく、その留守中に泥棒が忍びこんで家財道具の一切が盗まれてしまった」(前掲『仏教説話文学全集 5』253㌻)
 この男が、帰ってきた主人からこっぴどく叱られたことは言うまでもない。ある仏典に出てくる話であるが、何のために門を守るのかという本質を忘れた男の愚かさを、いまの教育が笑えるであろうか。 何のための教育、何のための学問──荒れ狂う子どもたちの姿は、この原点をおろそかにした現代社会への無言の告発のように思えてならない。
 日蓮大聖人も御遺文集のなかで「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」と仰せになっている。
 この「心の財」こそ、人間の内面世界の至極の尊さを示されたものといえる。
 われわれはそろそろ、外側ばかりを追いつづけてきた現代文明の転倒に気づくべきである。そこにのみ「熱病にかかったライオン」が、病癒え、威風堂々たる百獣の王のように成長しゆく道が開かれていくであろう。

1
4