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日蓮大聖人・池田大作

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不退の戦い  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1   国父ここに眠る
  民衆ここに詣る
  父子共に永遠に
  幸多かれと祈る……
 緑深いラージ・ガートのガンジーの墓所に詣でた折、私は、こう記帳した。 マハトマ・ガンジー──その名の響きは、仏教発祥の地、インドの大地とともに、私には親しい。二度ほど彼の地を訪れ、インドの人びとが、いまなおいかに彼を慕っているかに接するにつけ、あらためてマハトマ(偉大なる魂)と呼ばれる所以を感じさせられたものだ。
 ガンジーは、その八十年になんなんとする生涯を、インドの独立のために捧げ尽くした“戦士”であった。そして、その実践は、人間としてのやむにやまれぬ発露からの放射であり、不屈の戦いであったといってよい。
 「顔の色は、黒いというよりも、日光に焼けて青銅色をしている。頭蓋の横の輪廓は長く、鼠のように、口を細く見せる前歯がないために、その印象が強化されており(中略)耳はたいへん外に突き出ている。額は広く、しっかりできていて、喋るときに強い皺がよる。しかし頬も、その他の部分もしっかり張り切っていて……」(『ロマン・ロラン全集 31』宮本正清・波多野茂弥訳、みすず書房)
 ロマン・ロランは、この静かな“戦士”の風貌を、こう描き出している。
2  ガンジーは“戦士”であった。武器こそ手にしなかったが、否、武器を手にしなかったがゆえに、真実の戦いを戦い抜いた“戦士”であったといってよい。
 イギリス植民地主義の圧政に対する彼の怒りは、たんなる修羅の怒りではなく、愛と信念に支えられた深層からの怒りといえよう。だが彼は、銃を手にせず、知恵をめぐらしたのである。
 たとえば塩の進軍。
 酷暑のインド、とくに灼熱の太陽のもとで働く農民にとって、塩は一日も欠かすことはできない。ところがイギリス政府は、この生活必需品に対しても、重い税金をかけていた。ガンジーは立ち上がる。「塩税法を撤廃しなければ、海岸を行進し政府の専売となっている塩を手作りするであろう」と、断固として宣言した。
 この請願が聞き入れられなかったため、彼は、修道場の七十九人を引き連れ、はるか南のボンベイ州ダンディ海岸へ向けて行進を開始する。沿道の農民は、ほこりっぽい道に水をまき、木の葉を散らし、旗を振って一行を歓迎。村の首脳は政府の仕事を放棄し、多くの村人が行進に参加。このニュースが全世界を駆けるなか、二十四日間にわたる進軍を終えたガンジーは、ダンディ海岸に立ち、手作りで塩を作る。
 そのひとかたまりの塩は、インド独立へのシンボルとしてまたたくまに語り伝えられ、停滞していた独立運動は、再び大きなうねりで盛り上がっていったという。
 「非暴力」というガンジーの運動は、決して戦うことを放擲した“無抵抗”ではない。彼は運動を進めていくうえでの暴力を排しただけで、むしろ生涯にわたって圧政に抵抗し、それと戦いつづけた。
 どんな苦境も彼の信念を挫折させ、絶望の淵へ追いやることはできなかったといってよい。彼の進軍は、狂信的なヒンズー教徒の兇弾に倒れるまで、やむことのない、不退の戦いであった。
3  トルストイは、私が若いときから最も好きな作家であり、いまも変わらぬ愛読者の一人である。
 「人間」というものを見つめつづけ、真理探究に生涯取り組んだ彼の生き方が、作品のなかのそれぞれの登場人物から、伝わってくるようで、どの作品もじつに興味ぶかいのである。 クトゥーゾフ将軍──彼の代表作である『戦争と平和』に登場する老将軍である。
 一八一二年、ナポレオン率いるフランス軍が、怒涛の勢いで、ロシアに侵攻した。この戦いで有名なのが「ボロジノの戦い」である。ボロジノはモスクワの西、約百二十キロにある村である。並みいるロシアの将軍一同が敗戦とあきらめていたにもかかわらず、ロシア軍総司令官のクトゥーゾフだけが「戦いは勝つ」と言いきった。
 ボロジノの戦いは激戦であった。ナポレオン軍の“無敵”の神話を崩す戦いとなったのである。ボロジノの会戦の翌日、ロシア軍は撤退し、最後の勝利を得るために、あえてモスクワを放棄する作戦をとる。しかし戦況は一見、救いがたい劣勢のようにみえた。クトゥーゾフは周囲の批判にもじっと耐えた。ナポレオン軍をみずからの陣地に引きこみ、厳寒のなかに巻きこんだ。そして、総退却を余儀なくさせ、最後に圧倒的な勝利を得るのである。
 不利な条件だけに目を奪われることなく、いかなる困難のなかにあっても「最後はかならず勝つ」と信じて進んだクトゥーゾフの強靭さに、私は、己が決めた信念の道に生きる人間の輝きをみる思いがしたのである。
4  次元は異なるが、日蓮大聖人の御一生もまた、戦いに次ぐ戦いの連続であられた。「大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」「賢者はよろこび愚者は退く」などの御遺文に見られるように、不退の御生涯であられた。
 権力によって、いままさに首を斬られようとするときも、時の最高権力者に向かって「あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをす」と師子吼され、一歩も退こうとされなかった。
 私は、日蓮大聖人が身をもって示された不退の戦いのなかに、大乗仏教の精神の精髄が脈打っていると信じている。それはまた、人間としての尊極の生き方であるといってよい。
 ひとたび決めた道を、生涯貫く人生ほど尊いものはない。時流に合わせて右顧左眄する人生の末路はみじめなものであろう。その轍を踏まないためには、つねの戦いを忘れてはなるまい。まことに、真実の人生とは不退の戦いの異名である。

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