Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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心の空洞  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
3  雪山童子が求め抜いたものも“八風”という嵐に揺るがぬ大樹のような心と、それを支える厳たる法の存在である。ほかでもない「賢人」の生き方といえるだろう。
 “八風”に侵されぬ人生と“八風”に翻弄されゆく人生と──。
 仏法とは若干ニュアンスを異にするが、すぐれた文学作品には、両者の激しく劇的な撃ち合いを描いたものが少なくない。私は、とくに若年のころ、そうした作品にいくつも巡り合い、心を育む糧としたものであった。
 なかでも、ビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』での主人公ジャン・ヴァルジャンとジャヴェル警視との執念と執念の戦い、生死をかけての葛藤は、私の思い出に刻まれ、炎として消えることはない。
 善を志して生きゆくジャン・ヴァルジャンを、蛇のように執念ぶかく追い回し、おとしいれるジャヴェルの所業を、少年時代の私は、ことさら憎らしく思ったものだ。しかし、愛と寛容に満ちたジャン・ヴァルジャンの堅固な善心は、凍てついた大地のごとく残酷にして偏狭なジャヴェルの心をも、ついに溶かしたのであった。
 これは、人間の善性の偉大なる勝利であった。ジャヴェルの心の中には、ポッカリと、底知れぬ空洞ができたにちがいない。“八風”に執する人が、翻弄されゆく己自身を初めて目のあたりにしたときの、空しさと恐ろしさ。
 「一つの珍事が、一つの革命が、一つの破滅が、彼の心の底に起こったのである」(豊島与志雄訳、岩波文庫)と、ユゴーはほとばしる言と句で描写した。
 「彼の最大の苦悶は、確実なものがなくなったことであった。彼は自分が根こぎにされたのを感じた」「彼は暗黒のうちに、いまだ知らなかった道徳の太陽が恐ろしく上りゆくのを見た。それは彼をおびえさし、彼を眩惑さした。鷲の目を持つことを強いられた梟であった」(同前)
 「道徳の太陽」の眩しさに、たまらずジャヴェルは自殺し、果てる。
4  “自然は真空を嫌う”という。
 同じように人間の心も、空洞の存在を知って耐えられはしない。雪山童子の求道の炎は、万人の鏡である。また、人間だれしも、たとえ意識しなくても、奥底では自身の“芯”となるべき確たる充足感を求めているものだ。どんなに上辺をとりつくろおうと、自己の正当性を強弁しようと、メッキはいずれはげ、空洞に気づくときがかならずくる。
 ジャヴェルの悲劇を繰り返さないためにも、人生の真実は何であるかを、つねに求め、見失わない日々でありたいものである。

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