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日蓮大聖人・池田大作

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不軽菩薩の振る舞い  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
2  知人のすすめもあって、先日、L・プライスという人の編んだ『ホワイトヘッドの対話』という本を読む機会があった。編者プライスは、「ボストン・グローブ」紙の論説委員を永らく務めていたジャーナリストである。彼を含めて何人かの人びとが、晩年のホワイトヘッド夫妻を囲んで交わした四十数編もの対話を収録したものであった。
 内容は、さすが“二十世紀のデカルト”といわれる哲学者であるホワイトヘッドを中心としたものだけに、思索の深さや幅の広さにおいて、人類的課題と四つに組んだ重厚さをみせている。
 哲学、科学、教育、音楽、政治など、話題は万般におよんで談論風発、そこには老いを感じさせぬ哲人のすぐれた見識が随所に散見され、穏やかななかにも明晰な語り口は、一種の香気をたたえている。
 それとともに、私が強く印象づけられたのは、編者プライスの対話に臨む姿勢であった。偉大な哲学者を前にして、心の構えに少しも過不足なく、言わば“自然体”で臨んでいるのである。
 その点について彼自身は、一つのエピソードを引きながら述べている。
 ──第一次大戦の前、イースト・ボストンの船員宿泊所の近くによく投錨していたある貨物船の甲板水夫に、十六歳の英国少年がいた。ロンドン生まれで、名をチャールズ・ベイリー(チョールズ・ベーイレイと発音されていたが)といった。
 立ち居振る舞いにしつけのよさがたいへん感じられたので、彼と親しくなった人があるとき、こう質問した。
 「『チャールズ、君の話だと、両親が貧しくて、イースト・ロンドンの埠頭で育てられたということだが、それなら、どうして君のマナーがこれほどいいんだい』
 すると、チャールズは、ごく控え目に次のように答えたのである。『ぼくは、自分よりもすぐれた人たちの前では、自分のマナーに気をつけるよう、教えられました』」と。彼には、自分よりすぐれた人たち……すなわち、だれからでも教わるという健気な心根があったのだ。
 このチャールズ少年の言葉を受けて、プライスは言う。
 「この感銘ぶかいことばは、それが発せられたとき以来、いまだに燦然と輝いている。そして、この『対話』についても、わたくしは次のように言いたい── 『チョールズ、自分よりすぐれた人たちの前では、自分のマナーに気をつけよう』」(以上、カッコの部分は岡田雅勝・藤本隆志訳、みすず書房から引用)
 私はこのくだりに接して、プライスという人もまた、ひとかどの人物だな、と思った。こうした言葉を自然に口にできる人は、人間の見える人であるといえよう。人間が見えるということは、自分を知り、他人を知ることである。己を知るがゆえに、ほかの人びとを尊敬できる雅量、真の意味での礼節も生まれる。おそらくプライスは、ホワイトヘッドにかぎらず、いかなる人と交わっても、この態度を崩すことはなかったであろう。
3  よく、場に臨んで媚びへつらい、追従の世辞を並べたてる人がいる。逆に独り合点の驕慢の言を弄して、自己満足をしている人もいる。逆のようでも媚態と驕慢とは、一つ心の、裏と表にすぎないといってよい。
 縁にふれて、裏が表になり、表が裏になる。こういう人は、すべてに己の心根の卑しさを投影してやまない。なにかを見たようなつもりでいても、見ているものは、じつは己の卑しさの影でしかない。つまり人間が見えないのである。
 「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」とはよくいったもので、プライスの言葉は、こうした、人間が陥りがちな通性を突き破る、人間性の尊い真実を語っているといってよい。
4  法華経に不軽菩薩という修行者が描かれている。常不軽菩薩ともいう。
 仏道修行を志して一歩も退かない。人びとは、出家も在家もこぞって迫害を繰り返すが、不軽という名前のごとく「我深く汝等を敬う、敢えて軽慢せず……」と述べ、信ずる道を歩みつづけた。そしてついに、六根清浄を得、仏になることができたという。
 これは、仏道修行というものの厳しさを教えたものだが、広く拝すれば、人間関係のあり方一般をもつつみこむ教訓が、含まれているといってよい。不軽菩薩の目には、自分を含む一切衆生の生命に存在する、仏性という尊極無比の心の核が見えていたのだ。しかと見えていたからこそ、不軽はそれを信ずることができたのだ。
 人びとを敬いつづけた不軽の振る舞いのすべては、その信から発している。
 人の尊さを信ずるということは善であり、善は人間関係を潤し、生かす最高の力であるといえよう。
 こうした力を軸にしていかないかぎり、世の中は、いたずらに悪の力のみが跳梁跋扈する闇におおわれてしまう──そんなことが痛感されてならない昨今である。

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