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日蓮大聖人・池田大作

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猪と金山  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
2  ところで、アランの言うように、意志堅固にみずからの人生の王道を歩いてきた人の周囲には、楽観主義ともいうべき雰囲気が漂っているものだ。
 楽観というと語弊があるかもしれないが、屈託のない、それでいて世の中の酸いも甘いも知っている、カラッとした明るさ、余裕といってもよい。意志堅固に、一歩一歩自身の人生を積み上げてきた人には、確信があるからだろう。
 人生、なにごとも起きぬわけはない。しかし、どんな逆境に遭遇しても前進のバネとしてみせる、“なんでもこい!”という、その自信が、本当の楽観を生むといってもよいだろう。
 およそ人生の達人といわれる人には、不思議な底抜けの明るさがある。川柳に見られる軽妙、秀抜なユーモアなどにも、私は、人生の妙といったものを感じてならない。
 最近、たまたま『誹風 柳多留』のページを繰る機会があった。読後のさわやかな余韻にひたりながら、あらためて江戸庶民の健全な知恵を楽しんだものであった。
  本ぶりに 成て出て行 雨やとり
  役人の子は にぎにぎを 能覚(よくおぼえ) 
  孝行の したい時分に 親はなし(山沢英雄校訂、岩波文庫)
 人情の機微を巧みについた言い回しは、いまもってわれわれにもなじみが深い。俳句とちがって、季語などの趣向はこらしていないが、それだけに庶民の飾らぬ生活実感がにじみでている。
  仕事しの 飯は小言を 菜(さい)にして (同前)
 わずか十七字のなかに頑固一徹な職人気質が躍っていて、微笑ましい。そこに注がれる、少々辟易ぎみながらも情のこもった目を、私は好ましく思う。
  是(これ)小判 たつた一ト(ひと)晩 居てくれろ(同前)
 手元は不如意である。“宵越しの金は持たぬ”という、その心意気は壮とするも、ない袖は振れないので、“これ、小判”というわけである。まことに健康な庶民の金銭感覚ではないか。挙げていけばきりがない。
 生活条件の厳しさなど、今日とは比較になるまい。にもかかわらず彼らは、節々の苦楽、哀歓を十七字のなかに流しこみ、昇華させ、おおらかに歌いあげる。ウイットに富む諧謔精神を潤滑油に、したたかに雑草のように生き抜いている。まさに永遠の庶民像がそこに光っている。
3  日蓮大聖人は御遺文集のなかで、中国の天台大師の『摩訶止観』の一節を引用されている。「猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を熾にし風の求羅を益すが如きのみ」と。
 猪は、金山の輝いているのを憎く思い、自分の体をこすりつけて光沢をなくそうとする。だが、こすればこするほど、金山は輝きを増してくる。あたかも、多くの河川が流れこんで海水を豊かにし、薪が加えられると火がますます燃えさかるように──。求羅は風にあうと大きくなるという伝説的な生き物である。
 これは、仏道修行の厳しき過程で、逆風に負けず、それを前進のための追い風に変えていけとの戒めだが、人生万般に通ずる尊い教訓が秘められていると思う。
 たびたび申し上げて恐縮だが、戸田先生は私の人生の師であり、父であり、主人であられた。また、私が親しくしている松下幸之助氏も、私の尊敬している人である。このお二人に共通しているのは「青年期は苦労を買ってでもしておくべきである」と言われていたことである。
 たしかに、いまの時代においては、古い言葉とみる向きもあるだろう。
 しかし、人生の岩盤がしっかりとできていなければ、大業はなしえないということは道理であると、私は思っている。
 お二人とも家庭の状況から、いわゆるスムーズに勉学の場が与えられなかったといってよい。
 松下氏は小学校五年までの学歴で、実業界で日本一の金字塔を打ち立てた。恩師は早朝から深夜まで、北海道の白雪の地で、ソリをつけた荷車を引きながら、荷物の配達をして勉学に励んだ。恩師はともかく小学校から夜学の大学まで、素晴らしい成績であったことは論をまたない。
 その恩師が、晩年よく「私が若いころ苦労したなんて、だれも思ってないよ」と呵々大笑されていたのが、脳裡に鮮やかである。その笑顔には、人生に勝ち、己に勝ってきた人の無縫の温かさとユーモアがたたえられていた。
 この四月二日は、懐かしい恩師の二十二回目の祥月命日である。

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