Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

王さまと靴直しの老人  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1  春になると、桜の花が咲き競い、夏になると、海の水は暖にして、向日葵の花が微笑む。秋になると紅葉が色づき、冬に入ると雪が舞う。
 時というものは、不思議な力をもっている。色もない。形もない。それであって、人間の千差無辺の現象にかたく無言を守りながら、われわれをつつみこんで離さない。どんなに権勢を誇る者も、時の支配を断ち切ることはできない。一時は目より血の涙を流すようなことがあっても、時の到来とともに偉大なる自身の歴史を築き上げた人も多い。
2  新しい年が明けた。いよいよ二十一世紀へ向かいゆく八〇年代のスタートである。
 しかし、新たなる時代の幕開けにふさわしい明るい話題は、まことに少ないようだ。民衆の苦しみをよそにした、あの政権の争いといい、公費天国の乱脈ぶりといい、庶民の眼には──フランスの七月革命の前夜に、爆発寸前の民衆の怒りをよそに遊びたわむれていた国家の指導者たちを、皮肉った言葉が思い出されるにちがいない。それは、当時の作家サルヴァンディーの言葉だ。
 「彼らは、噴火山上で踊っている」と。
 ともあれ、庶民を、市民を、つねに味方にせぬ指導者は、はかない。庶民というものは、大地に根ざしている力である。雑草のようにしぶとく生きつづけている無限の力だ。私は、その庶民の一人として庶民とともに生き抜いてきた一人である。その庶民の力と、美しさと、可能性を信ずる点については、つねに楽観主義者であったといってよい。読者の皆さまも、元朝の清澄な大気のなかで、その庶民の栄誉を胸に秘めながら、この一年を逞しくも朗らかに生き抜いていただきたいことを祈ってやまない。
 ──昨今、私は、多少なりとも心の余裕ができ、時とともにさまざまなことを考える。そして、もっともたしかな手応えを感ずるのは、人びとの関心が人間の生と死、仏法で説く生老病死の問題に集中しつつあるという事実である。
 真実の生きがいの模索、子どもの自殺の増加や低年齢化、健康ブームの異常な高まり、高齢化社会や“三十代で老後を考える時代”等々、いずれを取り上げてみても、生死、生老病死ということが、人生の根本命題である事実を示唆してあまりあるということだ。たとえその関心の向きぐあいが偏った方向であったとしても、「噴火山上で踊っている」ような人びとにくらべれば、よほど健全であると思えてならない。
3  ところで、生死、生老病死という宿命的命題とはなんであろうか。それは、どんなに避けようとしても避けきれぬということではなかろうか。職業がいやなら辞めることができる。夫婦にも離婚の自由はある。しかし、生あれば死ありという運命だけは、絶対に避けて通ることはできない。
 ゆえに、生老病死を根底にすえる仏法の人生観は、転じて、人生万般の課題を避けるな、逃げるなとの生きる姿勢を教えているともいえる。願わくは、生死への関心の高まりは、そうした日々の生き方にまで昇華していってほしいものである。
 恩師が、秀吉について語っていた言葉が思い起こされる。それも“天下取り”以前、木下藤吉郎時代のことである。
 「秀吉は、草履取りをしているとき“天下を取るのだ”という、野望をもっていたかどうか。あとから、人びとがいろいろ言うけれども、本当のところは、わからない。だが、彼は薪奉行を命じられたら、日本一の薪奉行になった。これは、じつに青年らしい生き方だ」と。
 薪奉行といえば閑職である。武将が勇を競い合う場とは遠い。ふつうなら、気が滅入ってしまうにちがいない。しかし、若き藤吉郎は、愚痴ひとつこぼさず、明るく、そこを使命の場として、力のかぎりをふりしぼって、事に臨んだ。その生き方には、老若を問わず、時代を超えた尊い教訓が含まれているとはいえまいか。
4  仏典に“王さまと靴直しの老人”の逸話が出てくる。
 「その昔、あるところにサッピという王がいた。王はあるとき、ひまを得、そまつな服を着て裏門から城を出た。そしてその途中、一人の靴なおしの老人に会ってたわむれに言った。『世の中でいちばん楽なのはだれだろう』『それはあなた、言うまでもなく王様ですよ』」(前掲『仏教説話百選』31㌻)
 そこで王は、酒を飲ませ、正体もなく酔いつぶれた老人を城内に移し、立派な服を着せる。百官にもそのむね言い含め、王として仕えるように指示しておく。
 酔いが覚めた老人は、自分の立場をいぶかしがったものの、あるいは王になったのかも、と思って玉座に座る。しかし、ひきもきらぬ政務に休む暇もなく、疲労と激痛に襲われ、ぜいたくな料理も食べられず、からだも日に日に衰弱していく。潮時だと判断した王は、再び酒を飲ませて城下にもどす。数日して、おしのび姿の王が訪ねると、老人はこりごりしたように言う。
 「先日はお前さんの酒をいただいて酔ってしまって、王様になった夢をみましたよ。多くの役人の中で国政を裁いたり、いろいろわけのわからぬことを聞かされて、すっかりまいってしまいました」(同前33㌻)と。
 なにも階級制度を肯定する逸話ではない。人それぞれに使命があり、ほかからはわからない苦労もあるということだ。いたずらに他人をうらやんだりせず、要はそれに腰をすえて取り組むことだろう。その努力と挑戦のなかに、人生の前進の一歩一歩が、着実に刻まれていくと思うのである。

1
1