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日蓮大聖人・池田大作

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難陀への訓戒  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1  私は、若い人たちと語り合うのが大好きである。そこには、自分の世界に、新鮮味あふれる知識や知恵を与えてくれるものがあるからである。
 私と恩師とは二十八歳のひらきがある。言うなれば親子のような関係であった。
 よく、私の恩師は言った。
 「もはや私からものを教わるということではいけない。君たちが時代に生きながら、鋭敏に感じ取ったすべてを、私に教えてくれ」
 あの天才ともいえる恩師が、このように言われた言葉の深さに、いまさらながら、師弟というものはかくあるものかと、思索せずにはいられない。
 ──映画「衝動殺人・息子よ」を観てきた年少の友人は、目をキラキラさせながら語った。
 「いやあ、やっぱりいいですね。久しぶりに感動しました。木下恵介健在なり、ですよ」
 彼は「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」など、永年にわたり、木下作品のファンだとも付け加えていた。こんども、木下監督が三年ぶりにメガホンをとったとあって、さっそく観賞してきたらしい。
 この映画の大筋は、まったくいわれなき犯罪で一人息子を奪われた父親が、妻や知人の協力を得て日本中を東奔西走するというのだ。同じような境遇にある人びとの声を結集しながら、犯罪被害者補償制度の立法化にまでこぎつける苦労を描いたものである。実際にあった話をもとにして脚本化、映画化されている。被害者補償については、欧米など多くの国で立法化されていると聞くし、私も、為政者たるもの、まずこうした悲惨な状況におかれている方々にこそ、救いの手を差し伸べるべきだと、訴えたい一人である。
2  その点とは別に、私が主人公の努力の経緯で最も関心をもったのは、最愛の息子を奪った犯人に向けられたであろう、言わば「私的」な怨みが、どのようにして被害者補償という「公的」なものにまで昇華されていったのか、との点であった。友人にそれをたずねると、彼は、待ってましたとばかり、脚本の載っている『キネマ旬報』(昭和五十四年九月下旬号)を開きながら説明してくれた。(砂田量爾・木下恵介作『脚本 衝動殺人・息子よ』。以下、カッコ部分は同作から引用)
 犯人は未成年ということで、五年以上十年以下の不定期刑。軽すぎる、しかも遺族への補償はなにもない──憤懣やるかたない父親。しかし、どこにも怒りをもっていきようがない。
 失意と絶望のなかで、慣れない法律書などと取り組んでいたある日、同じような衝動殺人で娘を奪われた一人の男に会う。それを契機に、彼は、自分の工場まで売り払い、余生を賭けた運動に乗り出したのである。妻に語る決意が非常に印象的である。
 「俺あな、武志(=息子)の仇を討つにはつくづくこれしかないと思ったよ。殺した奴、許す気にはとうていなれないが、いつまであんな下らない奴にこだわってちゃ、こっちまで下らなくなっちまうような気がして来た。そう思うと、急にたまらなくなってな。何だか知らないが、時間に追いたてられてるような気がするんだ」
3  友人の感動は、ストレートに私の心を打った。
 たしかに息子を殺された怨みは、そう簡単に忘れきれるものではあるまい。この父親は、当初は、裁判所の廊下で、隠し持った包丁で犯人に切りかかったこともある。だが、「下らない奴にこだわってちゃ、こっちまで下らなくなっちまう」──ここまで心境を開いた、その朴訥な口調に、尊い真実が光っているとはいえまいか。
 私が、ここから学ぶべきであると考えることの第一は、人生において、高い大きな目標をもつことの大切さであり、第二に、そのためにもよき友人、知人に接するよう努めねばならないということである。
 殺人は一つの極限例としても、さまざまな恨みつらみは人の世のつねである。夏目漱石ではないが「とかくに人の世は住みにくい」とこぼしたくなるときもある。
 しかし、ひとたび大きな目標に生きてみると、いままで心に引っかかっていたことが、意外につまらぬことであったと気づく場合が多いといってよい。この父親も、被害者補償という使命を見いださなければ、おそらく絶望のあまり生ける屍のようになるか、自殺するかしていたであろう。目標を発見することによって、それが見事に蘇生する。
4  釈尊には難陀という異母弟があった。
 なかなか俗気が強く、仏道修行に徹しきれない。そこである日、釈尊は、難陀を連れて城下の魚屋の前に行く。かや草の上に置かれた魚が生臭かった。そのかや草を一把手にしてみよ、と釈尊が命ずる。難陀は手に取り、そして捨てる。
 「『手がにおうか』
 『はい、生臭うございます』
 『難陀、それと同様に悪人と交際するとしだいに悪業に染まり、はては悪声を天下に残すようになるのだ。それゆえ悪友との親交を断つがよい。それと反対に善友と交わる時は、名声を得ることができる。あたかも香物を持っていると、その妙なる香気が長く手にあるようなものである』」(前掲『仏教説話百選』275~276㌻)
 釈尊の訓戒にもかかわらず、難陀はまだまだその後も賢兄を手こずらせたらしい。
 それはともかく、お母さん方は、たんなる他人への非難、愚痴や不満を言い合うだけの間柄であってほしくない、と私は念じている。互いに励まし合い、磨き合い、大きな目標に生きるならば、地味ではあっても、社会になんらかの波紋を呼んでいくことはまちがいない。
 映画の父親の一人から始まる運動が、政府をも動かす偉大な潮流となっていったように。

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