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日蓮大聖人・池田大作

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心の浄明刀  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1  私は歳をふるにつれ、汲めども尽きぬ仏典に、心が深まっていくような気がしてならない。その仏典のなかに“浄明刀の説話”が出てくる。これは釈尊が弟子に語ったものである。
 ──ある王子の親友に一人の貧しい男がいた。その男は、王子の持っている浄明刀が欲しいと思っていた。ところが王子はその刀を持って、どこともしれず出奔する。男は刀のことが忘れられず、「刀、刀」と寝ごとを繰り返していた。不審に思った人びとが、縄を打って王のところへ連れていく。たしかに浄明刀という刀があった、と男は主張するのだが、王はとりあおうとはしない。浄明刀について、周りの臣下の言うことも、いっこうに要領をえなかった。
 やがて王が死に、出奔していた王子が帰ってきて国王になる。そこで王は浄明刀を見たかどうかを臣下にただす。
 「ヒツジグサのようでありました」「羊の角のような形をしておりました」「火の塊かと思われるような、真紅のものでありました」「黒蛇のようでありました」(前掲『仏教説話文学全集5』)等々、いろいろな答えが返ってきたが、真実の浄明刀について語ったものはいなかった。
2  この故事を引いて釈尊は説いた。
 ──人びとが“我あり”と言うが、「我」とはいったい何か。
 「我」の実相の見えないことは、あたかも臣下に刀の相の見えないのと同じである。「我」というものの実相は、と問われると、「親指ほどのものだ」「米つぶぐらいだ」「ヒエつぶぐらいだ」「我というのは、心の中に住んでいて、火のように燃えているものだ」(同前60㌻)と――。
 しかし、いずれも実相ではない。真実の「我」とは仏性のことをいうのである。
3  この譬喩は、仏性という真実の「我」を教えたものであるが、私たちの生活や人生のあり方を示唆するものとして、私にはまことに興味ぶかい。
 人間というものは、思い込んだ“固定観念”からなかなか抜けきれないようだ。すべて「親指」や「米つぶ」ほどの自分の寸法に合わせようとする。合わないとなると無理にも合わせようとして、そこからさまざまな角突き合いが始まる。そうした確執が、だれもが内に秘めている“その人ならでは”の可能性を殺してしまうケースが、あまりに多い。私は、とくに子育ての最中にあるお母さん方は、わが子の健全な成長のためにも、このことに十分留意していただきたいと思う。
4  ある賢聖の言葉に「修羅は身長八万四千由旬・四大海の水も膝にすぎず」とある。修羅とは阿修羅ともいい、もともと仏教用語で、戦闘を好む鬼神の名であった。それが転じて他より劣ることに耐えられず、つねに勝他の念に執着している状態、また他を軽んじ自分のみを大切にするエゴに陥っている状態をいう。その修羅という命の傲り高ぶるさまは、八万四千由旬(古代インドの距離の単位)もの長大さであり、大海の水も膝までしかとどかぬほどである。
 増長した修羅の命のとりこになった人にとっては、わが子や他人の存在など、じつにちっぽけなものでしかない。だから、いっさいを自分の支配下におき、意のままに動かそうとする。八万四千由旬といっても、そのじつ、自分自身が「親指」や「米つぶ」大のものになってしまっていることを気づかずにいるというのである。
 小は家庭内のいざこざから、大は戦争にいたるまで、人間同士の争いは、みなこの修羅の命の仕業であるといってよい。
5  いわゆる“きめつけ”や“押しつけ”の類も同じ根から発しているのではなかろうか。小さな我をわが子に押しつけ、未来性豊かな若い芽をつみとってしまう愚だけは避けたい。そして、もっと広々として大きい心を親自身も開いていきたいものだ。農民が作物を育てるには、肥料をやり、雑草を除き、太陽光線を存分に与える。作物の生長を眺める彼の目は、自然の理を知った人の、忍耐強い慈しみの目である。
 子らの成長にも、同じ道理があると思う。子らは可能性の宝庫である。上から、自分の枠を押しつけるのではなく、農民の温かい目のように、横から、子らの自立していく姿に慈愛のまなざしを送り、応援していっていただきたい。人間は物ではない。どんなに鋳型にはめこもうとしても、かならずはみだしてしまう部分が出てくる。昨今続発している子どもの不幸な出来事も、多くは、そのはみだし現象から生じているとはいえまいか。
6  人間の可能性といえば『新書太閤記』(吉川英治著)のなかに、福太郎という人物が出てくる。秀吉がいまだ若き日吉丸といっていたころ、奉公していた家の少年である。その少年は、甘やかされながら育っていったために、わがままで意地が悪い。日吉丸もさんざんいじめられる。
 やがて戦乱のなかで家が没落し、福太郎も人足などしながら、諸国を転々とする。性格はすっかりいじけてしまい、たまたま秀吉の下で働いているときも、小姓たちに“おたんこなすのお福”とからかわれたりして、ますます萎縮してしまう。そんな福太郎が、あるとき縁を得て、茶道の千宗易(後の千利休)に仕える。そこで隠れた才能の芽が発見され、やがてはひとかどの茶人になれるであろうと嘱望されるにいたる。生きいきとしてきて、性格的にも自信と落ち着きがでてきたことはいうまでもない。
 この小説の展開とは、あまり関係ないことであろうが、妙に私の印象に残っている。まことに人間の可能性というものは、どんなところに潜んでいるかわからないということを、感じさせる挿話である。

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