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日蓮大聖人・池田大作

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槻の木の弓  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
3  私は、スパルタ教育を宣揚しているのではない。むしろ逆である。子らの成長していく過程には、多くの試練が待ち構えている。受験はもとより家族や友人関係など、一波も二波もかぶって社会人として巣立っていく。試練はときに、槻の木の弓で打たれるような辛さに思えるかもしれない。しかし彼らは、そのような困難を乗り越えていく力を、本来的にもっているものだ。そしてやがては、試練を与えてくれたものに感謝するにいたるであろう。
 もしその力が発揮されないとすれば“弓”の与える試練のほうに、どこか狂いがあるからである。めざすは受験一本で、その他は放任しっぱなしの家庭。成績の上下がそのまま人間の評価に直結しかねない学生生活。遊びや喧嘩のなかから人間社会の常識やルールを身につけていくことを知りながら、おおらかな遊び場を奪い、道路からも追放し、テレビっ子にしてしまう社会。やや極端な言い方になるが、子どもたちはそうした大人の世界が、彼らの健全な成長を願う愛情ではなく、自分たちの都合だけで動いていることを、本能的に感じとっているにちがいない。些細な理由による自殺は、それらのことへの無言の抗議のように思えてならないのだ。
4  昨年の夏、話題を呼んだ映画に「キタキツネ物語」がある。
 観てきた友人たちが、一様に最も感動的なシーンとして語ってくれたのは“子別れ”のところであった。その一人は、「キツネの社会でさえ、あれほど苦労して育てあげた子どもを、一本立ちさせようとして必死なのですから、人間たるもの、父親も母親も、もう少し考え直さなくてはいけませんね」と語っていた。私も、深くうなずき返したものであった。もはや、私たちは、今日の異様さに鈍感であってはならない。未来は、確実に私たちに重大な警告を発していると思うからだ。

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