Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ある老母の失敗  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
2  仏典に、目先の欲に迷ったため、大損をしてしまう老母の話が出てくる。釈尊が舎衛国の祇園精舎に住んでいたころのことである。
 甘い酒の瓶を背負った老母が道中、タマリンドの果実を食べては、その美味を味わっていた。食べ終えてノドがかわいたので、井戸のある家に寄り、水が飲みたいと夫人に頼む。まだ口の中に残ったタマリンドの甘さで蜜のような水のおいしさに、老母は言った。
 「『ああ、おいしかった。奥さん、わたしが背負っているこの瓶の酒と、あなたのそのおいしい水とを交換していただきたいのですがいかがですか』
 むろん、その家の妻君は、水と酒とを替えたいという物好きな老母の言葉を聞いて驚いたものの、こんなうまい話はないと、さっそく瓶いっぱいの酒と水とを交換してやったのであった。
 老母は喜び勇んで、重い水瓶を楽々と背負って家に帰って来た。そして、その瓶を背から降ろすや否や、さっそく甘い味のする水を飲まんものと瓶からすくって口をつけた」(前掲『仏教説話百選』127㌻)
 ところがである――。一口飲んでも二口飲んでも甘くない。舌がおかしくなってしまったのか……。そこで親戚や友人たちすべてに集まってもらい、一口ずつ飲ませてみたところ、なかには「おばあさん、これはたいそう臭い濁った水ですなあ。こんな水を飲むと身体をいためますよ。いったいこんなものをどこから持って来たのですか」(同前128㌻)とまで言う。そこで老母は、あらためて口につけてみたが、やはり甘くない。誤りに気づいたときは、すでに後のまつりであった。
3  世の中が世知辛くなればなるほど、口の中に残ったタマリンドの“甘味”にも似た“うまい話”が横行しがちだ。それだけに、うまい話などないと決めてかかることが先決ではあるまいか。警戒すべきは“甘味”そのものよりも、それにたぶらかされる自分の心といえよう。
 そうしたお母さん方の小さな努力の集積は、やがては社会の動向を左右する力にまで結実していくにちがいない。経済を意味する英語のエコノミーの語源は「家政」だそうである。一国の経済も、ささやかな家政や家計に、基礎をおいているのである。
 一家の幸福、子どもの健全な成長を願っての創意と工夫。それは、小さなことのようにみえても、じつに大きな力を形成していくといってよい。どうかその自信をもって、地道に、堅実に、日々の生活を聡明に運営していっていただきたいと念願したいのである。最も大切な、ご一家の家計をやりくりしゆくお母さん方に「“大蔵大臣”よ、賢明であれ」と、私は心から声援を送りたい。

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