Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

ある老母の失敗  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1  ある著名な人が言っていた。
 それは、日本の国で大蔵大臣を女性にすれば、かならず日本の財政はよくなる、と。ともあれ、お母さん方をさして、よく“大蔵大臣”と呼ぶ。一家の台所をあずかり、かぎられた収入を工面してのやりくり算段。その陰の苦労を、国家財政の切り盛りになぞらえて、そのように言うのであろう。
 ところでこのたとえは、むしろお母さん方にとって割に合わないものではないかと、私には思える。予算編成作業などをみていても、福祉や教育関係には金を出ししぶり、一方では軍事費などに膨大な金を注ぎ込む。そうした浪費は、“わが家の大蔵大臣”の感覚からはとうてい理解できないことであろう。より質素に、より堅実に──。毎月の家計簿は、お母さん方の涙ぐましい知恵と努力の跡を、赤裸々にとどめているにちがいない。
 しかし、最近の世情をみると、“大蔵大臣”も決してうかうかしておれない。不景気で収入もままならず、そのうえ、庶民生活の隙間と弱みにつけこんで、あの手この手の悪知恵をめぐらす人種が絶えないからである。ひところ猛威をふるったネズミ講やマルチ商法などがそれといってよい。最近は法規制の強化と、新聞やテレビなどを通じて罪過が報じられたため、下火になっているらしいが、まだまだ油断はできない。一部の悪徳サラ金業者の手口をみていると、言葉巧みに人びとの弱点を利用する点で、ネズミ講やマルチ商法と同類といってよいのである。
 こうした世の中を生き抜いていくには、まず心の備えを固めることが先決であろうと思う。ネズミ講やマルチ商法にひっかかった人の話を聞いていると、どこかに心のスキがあるものだ。なるほど生活苦のあまり、思わず儲け話に乗ってしまうという心理もわからぬではない。しかし、その苦しさを打開しようとの努力を避けて、一攫千金を夢見たところで、真実の価値創造にはつながらないであろう。“悪銭身につかず”といわれるように、日々の充実感、向上感をもたらすものは、たとえわずかではあっても、みずから汗して働いた“稼ぎ”である。
 お母さん方の立場でいえば、家計を必死に工面していくなかにこそ、明日への希望の道は開かれてくるはずである。金銭欲や物欲に左右されることなく、広々とした心で金や物をコントロールしていくことのできる、尊い創造の人生が、結局は凱歌の人生といってよいのである。
2  仏典に、目先の欲に迷ったため、大損をしてしまう老母の話が出てくる。釈尊が舎衛国の祇園精舎に住んでいたころのことである。
 甘い酒の瓶を背負った老母が道中、タマリンドの果実を食べては、その美味を味わっていた。食べ終えてノドがかわいたので、井戸のある家に寄り、水が飲みたいと夫人に頼む。まだ口の中に残ったタマリンドの甘さで蜜のような水のおいしさに、老母は言った。
 「『ああ、おいしかった。奥さん、わたしが背負っているこの瓶の酒と、あなたのそのおいしい水とを交換していただきたいのですがいかがですか』
 むろん、その家の妻君は、水と酒とを替えたいという物好きな老母の言葉を聞いて驚いたものの、こんなうまい話はないと、さっそく瓶いっぱいの酒と水とを交換してやったのであった。
 老母は喜び勇んで、重い水瓶を楽々と背負って家に帰って来た。そして、その瓶を背から降ろすや否や、さっそく甘い味のする水を飲まんものと瓶からすくって口をつけた」(前掲『仏教説話百選』127㌻)
 ところがである――。一口飲んでも二口飲んでも甘くない。舌がおかしくなってしまったのか……。そこで親戚や友人たちすべてに集まってもらい、一口ずつ飲ませてみたところ、なかには「おばあさん、これはたいそう臭い濁った水ですなあ。こんな水を飲むと身体をいためますよ。いったいこんなものをどこから持って来たのですか」(同前128㌻)とまで言う。そこで老母は、あらためて口につけてみたが、やはり甘くない。誤りに気づいたときは、すでに後のまつりであった。
3  世の中が世知辛くなればなるほど、口の中に残ったタマリンドの“甘味”にも似た“うまい話”が横行しがちだ。それだけに、うまい話などないと決めてかかることが先決ではあるまいか。警戒すべきは“甘味”そのものよりも、それにたぶらかされる自分の心といえよう。
 そうしたお母さん方の小さな努力の集積は、やがては社会の動向を左右する力にまで結実していくにちがいない。経済を意味する英語のエコノミーの語源は「家政」だそうである。一国の経済も、ささやかな家政や家計に、基礎をおいているのである。
 一家の幸福、子どもの健全な成長を願っての創意と工夫。それは、小さなことのようにみえても、じつに大きな力を形成していくといってよい。どうかその自信をもって、地道に、堅実に、日々の生活を聡明に運営していっていただきたいと念願したいのである。最も大切な、ご一家の家計をやりくりしゆくお母さん方に「“大蔵大臣”よ、賢明であれ」と、私は心から声援を送りたい。

1
1