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日蓮大聖人・池田大作

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“妙音”の調べ  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

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2  ある日ある時──。
 「歌は世につれ」なのか、それとも「世は歌につれ」なのか──ある創大生と慶大生が、こんな議論をかわしていた。
 S君 それは「歌は世につれ」だよ。なんといっても、歌は世相の反映だもの。
 K君 いや「世は歌につれ」だって捨てたものではない。歌には世の中をぐいぐい引っ張っていく力がある。そうでなければ、軍歌など生まれはしないよ。
 S君 とはいっても、人心の動向というものが基調となって、それに合った歌が作られ、歌われるのだろう。
 K君 しかし、いくら人間の心がはけ口を求めていても、実際に歌がなければ表れようがない。歌のもつ力を、そんなに見くびってはいけない。
 S君 べつに見くびっているわけでは……。
 どうも堂々巡りの感がある。やはり「歌は世につれ、世は歌につれ」なのだろう。古人も「いきとしいけるもの いずれかうたをよまざりける」と語りかけているように、歌はいつも人間の心と“二人三脚”で、幾歳月も歩みつづけてきた。
 この議論、たまたま幸田露伴の随筆「震は亨る」が話題になった席でのものであった。
3  これは、露伴が大正十二年、関東大震災の直後に綴った時事雑感である。彼はそのなかで、こんどのような大天災に見舞われたのは、人心の荒廃、慢心と、どこか関係があるのではないかと、警鐘を鳴らしている。 ──たとえば震災前「おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき」の歌(船頭小唄)が大流行した。童幼これを和し、口笛にのせたりしているうちに地震が起こった。とくに盛んに歌われた江東地区では、本所、小梅など、文字どおり“河原の枯れすすき”の惨に遭った人が続出。以来、パッタリ口にのぼらなくなった。歌詞音律の卑弱哀傷を思い起こすと、いやな感じがする。 と同じように──と露伴は綴っている。
 明治の末にも、大洪水に先立って、それを暗示するかのような忌まわしい歌がはやった。日本史をさかのぼると、斉明天皇の時代、わが軍が朝鮮半島で敗れる前には、なにやら不吉な歌が流行しており、逆に光仁天皇の登場する前には、その善政を予告するような童謡が、口々に歌われている。
 私は「科学一点張り」でも「科学慢侮」でもないが、こうした見方は、社会事象を理解するうえで一理あると思う。「郷に入つて其謡を聞けば其郷知る可しである」(『露伴全集 第三十巻』所収、岩波書店)と──。
 今日の科学は、これを“こじつけ”と一笑に付すかもしれない。しかし、私はかならずしもそうは言い切れないのではないかと思う。心の姿である歌や声色の哀楽は、どこか深いところで、社会や自然の動向と繋がっているのではなかろうか。
 少なくとも、こうは言えよう。
 人間にしろ、組織にしろ、伸びていくところには、それ相応に生命力の横溢する兆しがうかがえるものだ。輝く瞳、豊かな表情、力強い声の響き、明るく希望に満ちた歌声──彼(女)の、彼(女)らの発散する、はつらつたる息吹からは、今後の成長を確信させる鼓動が、静かに確実に聞こえてくるかのようだ。
 私は経験に照らして、そう信じている。
4  法華経には多くの菩薩が登場するが、なかに妙音という菩薩がいる。
 この菩薩は、浄光荘厳国という国に住み、その人徳と三昧(心を一所に定めて動じないこと)はまことにすぐれていたといわれている。なお求道心も厚く、釈尊の説法を聞くためには、八万四千もの眷属を引き連れて、はるばるやってくる。そのとき妙音を称えるように、大地は六種に震動し、天からは七宝の蓮華が降ってき、妙なる音楽が鳴りわたった、という。
 のちに、中国の天台大師は、法華経を釈した『法華文句』という書物で「妙なる音声をもって、あまねく十方に吼え、此の教を弘宣す、故に妙音品と名く」と述べている。
 ところで、法華経のサンスクリットの原本には、妙音菩薩は「ガドガダ」と表記されている。これは本来、“どもる”“聞きづらい”の意義である。
 それがなぜ、妙なる天楽の調べとともに登場する菩薩の名とされているのであろうか。
 この妙音菩薩は、過去世に、伎楽を仏に供養し、その功徳によって菩薩と生じたという。「ガドガダ」から妙音の人へ──もちろん経典にはその間の説明はない。しかし、あくまで一つの推測ではあるが、私の心には、そこに一個の人間革命の人生のドラマがあったと映るのである。
 宿命との苦しき戦いに生き抜き、やがて凱歌の人生の完成をしあげた、妙音菩薩の周囲の世界は、つねに人びとの心をなごませ、鼓舞してやまない、音楽や歌声につつまれていった。この事実から、だれびとの胸中にも、人生の生々輾転の妙なる音律はあるといってよい。挫折の友には勇気と希望を与え、みずからが名指揮者のタクトを振りゆく人生であっていただきたい。

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