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日蓮大聖人・池田大作

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溺れ死んだ猿の群れ  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

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3  昨年(昭和五十二年)上半期の芥川賞を受けた三田誠広氏の『僕って何』(河出文庫)は、そうした現代青年の心の世界を、赤裸々に映し出した佳作であった。
 主人公は地方から上京したある大学の新入生。郷里にいるころは、身の回りのことはすべて母親まかせで、さしたる悩みもなく過ごしてきた。上京の解放感をふさぐかのように、入学式を見についてきた母親は、下宿探しや衣類、台所用品の購入に走り回る。店頭での母子のいさかい、喧嘩別れ。しかしそれは、自分を自分と認めてくれる人と接した最後でもあった。 取り残された主人公は、キャンパスでつぶやく──「ここにいる僕とは何だろう」。
 小説では、この主人公が行きずりの石にでもつまずくように、学生運動のセクト争いに巻き込まれていく様子が描かれている。「僕って何」の空白感は、いっこうに解決されないままに。
 この「僕って何」の問いかけに答えるものは、なによりも親の姿であろうと、私は思う。言葉ではなく、姿である。最初、まなざしは自分というより、親や社会に向いている。再び自分に向くのは、大人たちの鏡を通してであろう。立派な親の生き方に接して育った子どもは、かならずこの「僕って何」の壁を乗り越えて、見事に成長していくにちがいない。

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