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日蓮大聖人・池田大作

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溺れ死んだ猿の群れ  

「随筆 人間革命」「私の履歴書」「つれずれ随想」(池田大作全集第22巻)

前後
1  五月の光線は明るく、緑が鮮やかだ。言うなれば、五月は青春の季節といってよい。
 昨今、大学生の間に“学生無気力症”という病気が急増している、とあった。いわゆる“五月病”のような、ある種の心象風景をさすのではなく、れっきとした病名だそうである。何事にも積極的な関心を示さず、なんとなく憂いを漂わせながら、青年らしい感動がなくなっている、というのだ。いわゆる“乳離れ”していない男性に、これは多くみられ、なかなか治りにくい、とあった。下手に叱ったりすると、高じて、重度の精神障害を引き起こす恐れさえある。
 日本精神衛生会常務理事の小林司氏によると、入学生の約三パーセントにあたる一万七千人の学生が、この症状による留年を余儀なくされているという。これは、決して軽視されてよい数字ではない。無気力、無関心、無責任、無感動をさして“四無主義”というらしいが、その土壌からは、想像以上にたちの悪い病芽が出つつあるといっても過言ではないだろう。
 原因は多々考えられよう。乳離れの時期の精神的な不安定は、いまに始まったことではない。いつの世でも、子どもはそれを通り抜けて、立派に成人していく。だが、小林氏によると、最近はそれに教育制度という大きな要因が加わっているという。
 「教育ママ、塾、予備校、学校と、休む間もなく受験勉強に追いまくられた学生たちは、大学へ入るとヤレヤレとばかりに気が抜けてぐったりするのも無理はない」(『週刊朝日』昭和五十三年六月十六日号)と。
 つまり、学生無気力症は、少年期の登校拒否や落ちこぼれなど、現代教育の“陰”の部分と、深く根を通じ合っているのである。教育といい勉強といっても、「何のため」のそれなのか、人間的成長とのバランスはどうか──。その点を、教育熱心なお母さん方に、ぜひよく考えていただきたいと、私は思う。
2  昔、釈尊が霊鷲山で説法した。
 「ある処の海辺に、数十里にわたる樹木があった。そこに五百余頭の猿がすんでいた。あるとき、雪山のごとき形をした高さ数メートルの白い波が海面に現われ、それが潮流の加減で、海岸にやって来た。猿どもはこれを見て大いによろこび、『われわれがこの山頂に登って、東西に遊ぶのも、また楽しい事ではないか。』と、ともどもに語りあっていた。
 そのとき、一匹の猿は、すばやく雪山とも見える多くの白い波しぶきの上に飛び乗って、たちまちのうちに水底に没してしまった。岸で見ていた多くの猿どもは、彼が山中から姿を見せないのは、沫山の中が、快楽きわまりないからであろうと言って、みなあらそってその中へおどり込んではいり、一時に溺死を遂げてしまったということである」(前掲『仏教説話文学全集 5』326㌻)
 「雑譬喩経」という経典に説かれている物語である。
 釈尊は述べている。「この海とは生死海である」と。ここでいう生死とは、苦しみというほどの意味である。海面に躍る白波ははなやかで、快楽そのものと映るかもしれない。しかし、それは蜃気楼のようなものだ。幻に目を奪われているかぎり、待っているのは苦しみのみである。砂漠で蜃気楼を追うような、空しい人生であってはならない。真実の幸福を求めて、まず足元の“一歩”を大切にせよ──こう釈尊は説くのである。
 愚かな猿の轍を踏むな、との釈尊の戒めをかみしめたい。大学生諸君を猿などに擬しては恐縮だが、決して他意はない。教育の原点は知識の豊富さや、まして学歴の取得などにあるのではない。それのみで、精神が空白状態であれば“白波”に幻惑され、翻弄されゆく姿であり、人生の溺死へと通じていく。大事なことは、人間として、自分らしき確たる地歩を築くことである。
 子どもには“幻”を教えるのではなく、人間の真実を教えることである。平凡ななかに、人生の尊さがあることを、知らしめることである。友情、忍耐、勇気、情緒、感謝といった心の豊かさを啓発していかなければならない。心の貧しさほど、青年にとっての不幸はないからである。──まさしく、人間教育こそ、教育の原点であるといってよい。
3  昨年(昭和五十二年)上半期の芥川賞を受けた三田誠広氏の『僕って何』(河出文庫)は、そうした現代青年の心の世界を、赤裸々に映し出した佳作であった。
 主人公は地方から上京したある大学の新入生。郷里にいるころは、身の回りのことはすべて母親まかせで、さしたる悩みもなく過ごしてきた。上京の解放感をふさぐかのように、入学式を見についてきた母親は、下宿探しや衣類、台所用品の購入に走り回る。店頭での母子のいさかい、喧嘩別れ。しかしそれは、自分を自分と認めてくれる人と接した最後でもあった。 取り残された主人公は、キャンパスでつぶやく──「ここにいる僕とは何だろう」。
 小説では、この主人公が行きずりの石にでもつまずくように、学生運動のセクト争いに巻き込まれていく様子が描かれている。「僕って何」の空白感は、いっこうに解決されないままに。
 この「僕って何」の問いかけに答えるものは、なによりも親の姿であろうと、私は思う。言葉ではなく、姿である。最初、まなざしは自分というより、親や社会に向いている。再び自分に向くのは、大人たちの鏡を通してであろう。立派な親の生き方に接して育った子どもは、かならずこの「僕って何」の壁を乗り越えて、見事に成長していくにちがいない。

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